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僕の修道女を返して下さい。

「やあマリアちゃん」


 フレッドは王都から修道院まで馬車で10日かかるところを、単身騎馬で4日で帰った。

 不眠不休でも、集中力がなくなることはあっても疲れない。

 普通の人間だったら、遠い昔に眠っているだろうが、彼は人間ではなかったので、平気だった。

 フレッドは、人間のように食事を摂り、仕事をこなし、それなりの異性交流はあるにせよ、それは趣味、嗜好品みたいなもので、渇望する事もなく、いつも平和な日常が彼の死人生活だった。所謂ゆるゆるお気楽ゾンビライフだ。


 生きていた時より、抑揚のない平坦な気持ちと、食べ物も女体も何も欲しない身体は時に寂しくはあるけれど。


 一度、生を終え、リシャールにもらった命。

 年も取らない化け物と言えばそうだが、穏やかなゾンビであると自分でも思う。

 時とは切り離された存在ではあるが、人々はまるで彼の孫や子孫の様で(フレッドに子供はいない)、広い心で接する事が出来る。

 おまけの人生だから、気軽な気持ちで楽しめるのがいい所だ。


 普通に人間として生きていると、限られた時間の中で仕事や恋や欲に悩まされるが、それがないので楽だった。

 今は傍観者として、自分を甦らせた奇妙な運命を持つ王子の行く末と、国の将来と、女に生まれなかった女神さまの人生をただ観察している。

 最近はその奇妙な観察対象に大切な友人が加わってしまったのが、フレッドの悩みだった。

 つまり、マリーの事なんだけれど。


「げ、あんただけ、帰ってきたの? マリーは?」

「残念ながらおれだけ。ごめんね、おかえりのキスしよう」

「……あんたの言葉、文章がおかしいわよ」

「舌も入れたいの? ははっ、昼間から困るな……いいよ」

「来るな、変質者!」


 修道院の上司であるユーゥトルナに定期報告に帰って来たフレッドは、回廊を歩いていると同期のマリアにばったり会った。

 フレッドを見て嫌そうな顔をする馴染みの同期――マリアは修道院服を着ていてもはっきりとわかる豊満な体形だ。

 胸が垂れそうなほど大きい。いやらしい。見た瞬間、男なら裸の胸を想像させるような胸だ。

 ウエストは細いのに、お尻は大きいし、背は少しだけ平均より高めでスタイルもよい。

 栗毛色の髪に、エメラルドの瞳も柔らかな雰囲気がある。

 しかも彼女は、これまた美人だった。目鼻立ちが綺麗に整っていた。下手な貴族令嬢より、気品と色っぽさがあったのだ。釘づけになるような、魅惑的な女だ。

 女のマリーですら酔った勢いで彼女の胸をもんでいたのを覚えている(微笑ましく拝見していた)。


(相変わらず、ゾンビのおれすら誘惑してくる、やらしーい身体。まぁ、身体だけじゃなくて……)


 フレッドは挨拶がてら彼女を引き寄せようと肩に手を置くと、バッシッ! と振り払われる。余程警戒されているようだ。


(マリアちゃんはいい子だし、好きなんだけどなぁ。でも、どうしても、違う意味で嫌われる)


 アリアはフレッドとマリーの同期だ。

 以前、3人で魔物を倒しに行った際、フレッドは不意打ちで致命傷の怪我をしたのだが、死なない事がマリアにばれてしまった。

 結果、問い詰められ、死人だけど生き返ったから不死なんだと説明した。

 普通はこの手の話をすると、みんな避けるか、忌み嫌う。

 だって、ゾンビは怖いしね。

 当たり前の反応。

 だけど、彼女は、『みんないろんな事情があるから』と言って気に留めることなく、態度を変えなかったのだ。


 まぁ、『性欲に忠実な変態』という理由で嫌われているけど、嫌うのはそこ? って拍子抜けで、結構新鮮な感じだった。


 ちなみに、こんなフレッドでも受け入れてくれる人間は少なからずいる。

 生き返らせたリシャールもそうだ。

 ユートゥルナ様は神様だし、こんな自分でも受け入れてくれるのは広い御心で理解できる。

 しかし、こんな普通の女の子に自分の存在を受け入れてもらえるなんて思わなくて。

 しかも、致命傷を負った時に、飛んで行ったフレッドの腕を拾って、気味悪がらず縫ってくれた(胴体から切り離されても勝手に動いちゃう困った腕なんだけどね)。


 その時から、彼女の事を本気で好きなのは、秘密だ(ちなみに彼女が変態という割に、実は性欲は棺桶の中に置いてきたのは秘密である。不能ってわけでもないけど、やはり生きてた頃とちょっと違うのだ)。


 だって、ゾンビに好かれるなんて、気持ち悪いし、迷惑だし。彼女は男が嫌いだし。

 こうやって、からかい半分に、気軽にコミュニケーションとれるだけでフレッドは幸せだった。


 ちなみにマリーは致命傷を負ったときに居なかったから、フレッドの秘密は知らない。

 マリーもかなりお人好しだから、変に同情してくれるかもしれないけど。


 マリアはさっとフレッドから距離を取って、ハエでも追い払うかのように手を振った。ししっ、と。


「触らないで。変態。性欲が移る。なんで帰って来たの」


 性欲って移るの? 移るなら、移したいなぁ、なんて考えてみる。


「なんでって、仕事だろ。報告だよ、報告。はぁ、相変わらず、つれないね。おれの飛んで行ったこの腕も、いや、指から髪一本まできみに捧げてもいいのに。切り取ってあげようか? 愛の印に、まずは小指辺りから……」

「いらない。きもい。私はあんたがきらいだって言ってんの!」

「おれはすごく好きなんだけど」

「腕より頭を直せばよかったわ」


 マリアは不機嫌そうに腕を組んで、ため息をつく。


「ねぇ、そういや、ユートゥルナ様は?」

「庭でお昼寝中」


 それだけ聞いて、フレッドは名残惜しい気持ちになりながらも、マリアと離れ、庭の木の木陰で本を目隠しにして横たわるユートゥルナに声をかけた。


「ただいま、帰ったよー。神様」


 フレッドがしゃがみ込み目隠しの本をそーっと取ると、黒よりも美しい群青の髪の青年が神秘的な金瞳を開けて真顔だった。

 全然寝てないじゃないか。

 しかも、ちょっと怖い。


「起きてんじゃん、神様」

「やぁ、アルフレッド。起きてるに決まっているだろう? 僕は君の報告ずーっと待っていたんだからね」

「いや、おれとしても早く報告したいって気持ちがありつつも、いろいろややこしい状況でして。手紙でも伝えたんですけどね」

「あのバカげた手紙かい?」


 ユートゥルナはおもむろに起き上がり、肩膝を抱えて座った。

 服装はラフなシャツとズボンで、平民風。誰も神様なんて思わない。

 20代半ばの青年か、学校を出たばかりの初々しい好青年に見えるくらいだった。

 

 確かにフレッドはユートゥルナに王都の仕事の経過や昇進試験中のマリーについては正確に報告している。


 マリーに対する内容はこんな感じだ。


『マリー部屋に離宮に連れ込まれるも、逃亡成功。無事確認済み。事件の犯人より凶悪なため、以後経過観察』

『マリー社交界に馴染むも、サロン以外の夜会参加邪魔が入り断念。犯人確定済み。以後経過観察中』

『マリー監禁されそうになるが逃亡成功。以後、拠点を平民街に移す』

『マリー未だに成果なし。点数なし。娼館潜入するも、邪魔が入り断念』



 手紙の内容は、重要な主語が抜けている。

 フレッドは怖くて、『誰が』マリーを連れ込んだり、『誰が』邪魔したとか書いていない。

 そっちも彼の上司だった。つまり、リシャール。


 中間管理職はつらい。いや、違うな。掛け持ちバイトというべきか。


 ユートゥルナは明らかにイラついている。

 珍しく鬱々な顔だった。


 フレッドは、ユートゥルナがマリーの事をどういう目で見ているか知っていた。ずいぶん前から気づいていたし、彼が彼女の事を大切に思い、本当に心配しているのもわかる。ユートゥナは、マリーにとって兄の様な気持ちもあるのだ。

 マリーが修道院に来て10年。想うには、十分すぎる時間があったのだ。


 ユートゥナ的には、今回の転生は本来『女神』でありながらも、男に生まれて、いろいろ思う事が有るらしい。

 そんなときにマリーには助けてもらい、彼女がかけがえのない人になったと。

 そりゃ、20代半ばの生身の男。

 かけがえのない女の子に抱く気持ちなんて馬鹿でもわかる。

 恋人にしたい。抱きたい。それに尽きる。

 ずっといろいろ我慢に我慢を重ねていたのに、他の男に取られたらたまったもんじゃない。


 ユートゥルナにとって、マリーが仕事が出来るとか能力があるとかそんなことどうでもいいのだ。

 だから、今まで仕事を全く任せてこなくて、マリーはますます落ちぶれた。

 それがかわいそうで、フレッドはユートゥナに昇進試験をするように頼んだのだ。

 難しい試験をパスしたなら、修道院で認められ、彼女もやっと一人前になれるだろう。

 身勝手な神様のせいで、立派な修道女の夢を壊すのはかわいそうだったからだ。

 マリーは抜けているが、魔法が全然使えないわけでもないし、自分がフォローすればなんとかなると思っていた。


 ユートゥルナのかわいい子にはつらい思いをさせたくない気持ちもわかるが、縛り付けるのは男の勝手な思いに過ぎない。


 それが生きている生身の、切実な恋心が絡んでいても、ダメだとフレッドは思っている。

 好きなら振り向かせればいいのに、それでも彼は立場上無理矢理関係を進める事もせず、辛抱強く、待った。愛も伝えず、愛情深く。


 ユートゥルナは『女神』と知れ渡っている身であり、必要最低限の身近な者にしか『実は男に転生した』と明かさず、影武者を立てている彼が、女好きのジャンにはしっかり身分を明かし、マリーに手を出さない様忠告したくらいだ。

 かなり深く、惚れている、のだと思う。


「ねぇ、王都の新聞も送られてきたんだけど、このブラン侯爵って、マリーの派遣先のブラン侯爵だよね? あの夫婦って子供居たっけ? なんかさ、手紙には書いてないから、マリーの事じゃないと思うんだけど、ブラン侯爵の娘は氷華と婚約したって書いてあるじゃないか」

「いや、もう、書いてある通りですよ」


 ははは。

 フレッドは愛想らしく笑う。笑うしかない。

 さすがにマリーがリシャールにはめられて婚約しているなんて手紙にかけず、だからと言って嘘も言えず、新聞を同封したのだ。


「世の中、同姓同名ってあるのかな。マリーならいっぱいいるけど、ローゼってそんなにいるのかな」

「いや、ローゼは薔薇だし王都にちなんで珍しくはない名前だとは思いますけど……」

「さっきから歯切れが悪いね。ん? フレッド。まさか、まさかマリーじゃないよね、違うよね、えっ?マリーなの?」


 ユートルナ様はどこか抜けている。

 普通はすぐわかるだろう。

 ブラン侯爵も侯爵だし、王都にはたくさんブラン侯爵がいるわけない。一件だけだ。

 もしろん、ブラン侯爵夫妻に子供もいないし。

 ブラン侯爵のところにいるローゼは一人だけに決まってる。

 

 いや、ユートゥルナは薄々気づいているが、認めたくなかったのかもしれない。


「はい」


 正直に述べた。

 嘘ついてもいい事なんてないし。

 ユートルナはがばって起き上がって、同封した新聞をビリビリ破り、近くに散乱していた本を拾い、地面に投げつけた。八つ当たりだ。どこに向けたらいいか分からないやるせない思い、というやつだろう、たぶん。


「なんでマリーがあんな変人凶悪鬼畜殿下と結婚なのさ!」


 フレッドは襟を掴まれこれでもかっと、ぶんぶん揺さぶられる。視界が揺れる。


「いや、どこから、話せばいいでしょうか。出会いは古い教会で、雨がザーザー降るドラマチックな日でした。交際の進展具合はーー」

「そんなこと聞いていない! 聞きたくもないわ!」

「え、いいんですか? 結構これが面白いんだなぁ。昼間からキスもしないくせに如何わしい行為を」

「あー! うるさいっ、フレッド! 口を慎みたまえ!」

「あははは」


 フレッドは半ばヤケだった。

 もう首な気がする。

 マリーの前に自分が先に解雇だ。

 ユートゥルナと一悶着後、彼はフレッドを離し、額に手を当てて、やるせない声で呟いた。


「フレッド……任務の区切りのいいところで、マリーを連れて帰って来てよ」


 どうせ、今すぐ解決できるような事件ではない、代わりの修道女も派遣するし、今回は昇進試験の割に難しい案件だったから別の試験を用意する、とユートルナは付け加えて言った。


「引き上げたいのは山々ですが……」

「氷華のことかい? 彼には一度直接会いたいね、是非。マリー事以外にも不可解な彼についてじっくり調べたいよ。……まぁ、僕はここを離れられないから、会いには行けないけど」


 一息ついてユートゥルナははっきりと言う。


「時が来て、マリーが帰ってきたら彼には生涯会わすつもりはないよ」


 そう言えば、フレッドは思い出す。

 マリーには瞳と髪以外に特別な魔法がかけてあると。

 個人を特定できない魔法だ。

 以前からマリーを知っていたフレッドや学友のジャンは『本物の彼女』が知るから魔法は効かないが、リシャールは最近出会ったから多分もう彼女を見つけられない。

 なにせ、神様がかけた魔法なのだから、世界で一番強力なのだ。


「マリーは僕の修道女だよ。今も昔もこれからも」


 ユートゥルナは瞬きもしない間に氷魔法で新聞を凍らせ、バラバラに砕いた。

 破片すら残らない。一瞬の出来事だった。


「うわっ……相変わらず、すごいね」


 フレッドは鮮やか過ぎる魔法に目を開いた。

 ユートゥルナが本気になれば人間なんてあっという間にあの世行きだ。


 リシャールも氷魔法が得意だが、実のところ氷魔法は本来女神が王族に与えたものなのだ。 

 だから、当然の事ながら、神は魔道具を使わずに氷魔法が使えるし、その他の魔法もずば抜けている。

 それに、神の魔法は古代から伝わる魔法の起源だ。


 そもそも人間が神の真似事をして魔道具を作ったのだから、神の魔法は本物であり、強力で、到底誰も太刀打ちできないのだ。

 ユートゥルナという存在は、まさに人間とは違う、生き神だ。


 そんな畏れ多い神様は、とても憤慨していた。

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