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腕の中で祈る②

 リシャールは不服そうに編み込まれている彼女の髪を愛しげに撫でた。


「え、髪のセットですか……」

「ああ。他の者がするくらいなら、私でもいいだろう。……心配するな、私は割と器用だからそれなりにできる自信はある」


 リシャールは名残惜しげに櫛を片付けた。

 マリーは、呆れて、はぁーっと深いため息を漏らしてしまう。


(それは侍女の仕事でしょ。あなたは王子様)


 彼に元々その様な世話好きなフシがあったのは認めるが、過剰かつ間違った方向に開花させてしまったのはマリーだ。


 これがもし、万が一結婚なんてしてしまったらどうする?

 愛されるのが怖いとは知らなかった。

 愛が重すぎた。すべて管理されそうな気がする。


(管理だけなら、いい)


 死ぬ程愛される『腹上死』というものが頭を過ぎる。


(だって、そうでしょう? 殿下体力ありそうだし、そ、その夜の欲も強そう)


 失礼だが、彼は存在全てがエロそうだ。

 彼自身、口調はいただけないが、声は吐息のようで、少し掠れていてかなりいやらしい気分にさせる部類だった。

 体つきもまぁ、絵を描くマリーならだいたい服を着ていても彼がいい体をしているのは分かる。

 背が高く、無駄のない筋肉がある、男らしい身体。


 リシャールがマリーの事を死ぬほど好きなのはわかる。表情に出なくても。

 恋愛初心者だったマリーは、修道院を離れて官能小説とリシャールに出会い、愛とか恋とか少し知った。

 今なら分かる。 

 前より少しだけ。


(私は色んな意味で今かろうじて生きていると言う事がわかる)


 もう、マリアと田舎のカフェ開いた方がいい?

 任務片付く前に修道院クビな気がする。

 王都にいては、身が危ない。


「何か悩みか? 相談に乗ってやるから遠慮なく言え」


 悩みの種が心配してきたから笑える。

 マリーが黙り込んでいるから一応心配しているらしい。

 あなたのせいで人生なにか可笑しな方向に向かっているのだ。平和なライフは消えかけている。

 人の気も知らないでと、わなわなと怒りが込み上げるが怒ってはいけない。

 リシャールはこの国の王子様なのだ。

 しかも、恐れ多い戦に明け暮れる氷華殿下。

 いろんな意味で逆らっても徳がない。


「貴様はあんまり脳みそが無いのだから、悩むのは無駄だ」


 すっごく失礼。ひどい。酷すぎる。

 マリーはちょっと間抜けだと自他共に認めるが正面から真顔でしかも心配したような顔で言うことではない。

 マリーも流石に傷つく。


 リシャールは『取るに足らない貴様など1ミリも好きではないわ』という顔しているんです、この王子様。 

 でも本当は私の事大好きなんです。困った人なんです。


 ここまでわかりにくいのも、マリーが彼の異常を気づけなかった要因でもある。

 

 マリーは物申したいが、ぐっと堪えて言葉を紡ぐ。

 無理矢理笑顔を貼り付けて。


「……そうですね、悩み、ですか」


 一旦、リシャールのことから離れて頭を冷静に戻す。


「最近よく思うんです。修道女向いてないな、って」

「だろうな」


 相談乗る気はないらしい。何を今更という感じでだ。相談は終了してしまった。


「しかも最近、太ってしまいました。王都に来てから令嬢していたんで、身体が鈍った割に食べてしまって。……何も解決しないのに体重だけ増えた気がします」

「何キロだ?」

「さぁ、最近測ってませんし」


 リシャールは何を思ったか立ち上がり、マリーを抱きかかえた。

 

「え、ちょっと……」

「47キロ」

「え」

「貴様の体重だ」

 

 あんたは体重計かい!と思った。


「正確には47.3くらいかな」

「殿下の隠れた才能ですね。なかなか芸達者で驚きです」


 マリーは心なく、拍手をする。パチパチパチパチ。


「ガリガリより少し肉付きある方がいいんじゃないか」

「そうでしょうか」


 あんまり太ると、パンツからお肉がはみ出すよ?というのがマリーの感想だった。

 細いに越したことはないと思う。

 ドレスの見栄えも痩せている方が似合うし。


 リシャールは「抱き心地もいいし」と言い、軽々と抱き上げたまま寄せるようにぎゅっと腕に力を込めた。

 

 あ、温かい。いい香りがする。長い指がマリーの体に絡む。


「私は柔らかい方が美味しそうで好きだが、貴様が痩せたいなら、運動でもするか?」


 色を伴う少し笑った意地悪な顔だった。

 マリーはかぁぁっと赤くなる。

 美味しそうって、何だ。運動って何の運動だ。もしかして、夜の?

 官能小説の読みすぎでつい、そっちに思考がいく。

 リシャールはプニプニと無遠慮に二の腕を触ってくる。


「鶏肉だったらいい値段で売れそうだし。歯超えが柔らかそうで……」と付け加えた。


「鶏肉? と、とにかく、運動は結構です!」


 マリーは言うまでもなく、取り乱して赤くなるとリシャールは嬉しそうに一段と笑った。


「何いやらしい事を想像している。痩せるには走るに限るに決まっているだろう、馬鹿か」

「くっ……!」


 だったら紛らわしいことをその顔でいわないで。

 おいしいとか、あなたの好物の鶏肉で例えないで。

 現にあなたに何度か組み敷かれたんです。何もなかったけどね!


「まだ悩みがあります!」


 悔しいが話題をそらすためにマリーは続ける。

 リシャールに変な気を起こされたら困るのだ。


「なんだ?」

「修道女はこのままいくと(リシャールに)妨害されてクビかもしれません。ですが実家には戻れません。私は自活して生きていかねばと思うこの頃です」


 マリーは自活といいながら、結局貯金があるマリアに世話になる方向に向かいそうな気がする。

 それは自活ではないと気づき、リシャールの腕の中で項垂れた。


「もういいです。運を天にまかせます」


 マリーは半ばやけくそでリシャールに抱きかかえれたまま、祈る。

 情けない。一人で生きていく術が見つからないなんて。


「神に任せるなんてろくなことないぞ」


 リシャールは呆れながら、マリーを見た。

 マリーはもうそっぽ向いて不貞腐れていた。


「いいんです。それより、殿下、早く下ろしてください。祈りも終わりましたし」

「嫌だ」

「お願いします! 私を離して!」

「無理。絶対離してやらない」

「はーなーしーて」

「嫌」

「誰か助けて! 私に自由を!」


 マリーは叫ぶが誰も来ない。

 だって、みんなこの王子様が怖いから。


「馬鹿か、貴様」



 二人は、ほんとうに馬鹿みたいな会話を昼休憩が終わる鐘が鳴るまで30分ぐらい繰り広げた。



********



 夕暮れ時。

 会議はマリーが住んでいる民家で行われた。

 正確にはキッチンがある部屋で。

 部屋には食事用のテーブルに、4脚椅子がある。

 キッチン側にマリーとフレッド、向かいにジャンが座っていた。


 最近は犠牲者が出ておらず、すっかり犯人も影を潜めていた。

 今日は今後の方針の資料を持ち寄る、という名目だったのだが、もう一人参加者が居るそうで、3人はそれぞれの資料を目を通し待っていた。


(新たな協力者ってだれだろう)


 ジャンは来たらわかる、と言っていたが、皆目見当がつかない。


(まさか、殿下? いや、ありえないか)


 だってリシャールは自分も魔法を使用するくせに教会を、修道院を軽んじていたから。

 魔物なんて信じないと言うか、魔物が憑いた人を始末することになるこの案件。人間を始末すれば事足りるから、魔法も修道院もいらないらしい。

 魔物自体も古代の魔本から逃がされたもので、現在どれくらいの力が残っているか分からない。

 それに憑かれている人間の情念が重いほど効力が増すから、危ないのだ。

 魔物自体は信仰心が薄れつつある時代の中で、信じる力を生命力にしていた存在だ。近代化により、それらと妖精類は存在すら維持できなくなっている。

 昔より凶悪でないからと言って、野放しにするわけにもいかないのだ。


 こんこん、とロックされて、マリーは顔を上げた。


「遅れてごめんね」


 大きめのフードをかぶった男は何人かの護衛を連れてやってきた。

 声は明るく軽やかで、20代半ばくらいだろうか。

 男は護衛に合図し、外の馬車で待つように指示した。

 ドアが閉じるのを確認してから、男は深いフードの付いた上着を脱いだ。


(え……)


 そこには眩いハニーブロンドの金髪に、トルマリンのように淡い水色の瞳、恐ろしく整った顔立ちに、人のよさそうな微笑みを浮かべる人物がいた。

 リシャールの高い鼻と形の良い薄い口、顎の輪郭はそっくりな男。

 瞳はリシャールほど険しくつり上がっておらず、雰囲気も柔らかで、よく見ると、似ている点はあるがそれ以上に雰囲気が違いすぎるので、パーツが似ていてもやはり別人だった。彼の方が上品で。


(これが正真正銘の王子様か……!)


 別にリシャールがエセ王子なわけじゃないけど、彼、テオフィルはどこから見ても王子様。武官に間違えられやすいリシャールとは質が違う。


「初めまして、僕はテオフィル=スウルス=メイルアンテリュールと言います。長らくお会いできず、ご挨拶遅れて失礼しました。修道女マリー殿」


 彼は王子とも思えない丁寧な口調で、穏やかな笑みをマリーに向けた。


 誰かの不遜な言葉とは大違いだった。


(本当に兄弟なの?)

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