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腕の中で祈る①

ブックマークして頂いた方ありがとうございました。評価大変嬉しいです。

 マリーの朝は相変わらず早い。

 時刻は午前4時。

 日が登る前の、空がやや明るくなってきた頃。

 最近は簡単な身支度を終えたら、キッチンに立つのが彼女の日課だった。


 マリーの化粧は主にブラン侯爵邸でドレスアップの折にするから、教会管轄の家に居る間はほぼすっぴんだった。

 服も町娘の様な淡い水色のワンピースに白地のエプロンで質素だ。この平民街の家に住むようになってから自分で買ったもので、シンプルながらも気に入っている。とても侯爵令嬢だと誰も思わない姿であったが、身軽で好きだった。


 昨日、今月分のお給料をジャン経由で受け取ったばかりだ。

 修道院にいる頃、マリーは住み込み修道女なのでいつもわずかなお給料だったが、今回は王都での任務であり、いつもの3倍の額はあった。

 何故かというと、住居費や特殊手当など含まれているからだ。

 手当て任務時に必要な物を購入したり、交通費に充てがわれたり様々だが、主に装飾品やドレスなど身なりはブラン侯爵の善意で世話になっておりタダ、住居に関しても協会の持ち物であるこの家で暮らす分はタダ、王都を離れることもなく交通費もかからない。

 馬車ならブラン侯爵のものを利用させてもらっている。

 だから、このお給料は一人暮らしの食費と日用品の購入に使われてるぐらいで、質素に暮らせば全く問題のない額だった。

 マリーは一人暮らしというものが初めての経験で、なかなか楽しんでいた。


(修道院もいろんな人がいたし、共同生活も楽しかったけど)


 修道院のスケジュールは、朝3時に起床、掃除洗濯食事の用意、お祈り、畑仕事に慈善事業と、予定は分刻みで自分の時間は就寝前だけだった。

 それを思えば今の生活は楽だった。サロンや捜査以外は時間の自由がある。

 ブラン侯爵邸も結構過ごしやすかった。令嬢になる前からレッスンを受けたり忙しくはあったが、使用人がたくさんおり家事がない分、快適だった。

 何より慣れない王都に戸惑うマリーに、みんな優しかった。


(侯爵も偉ぶる事なくいい人だし、侯爵夫人はいつも気にかけてくれるし。ああいう人が義父母だったらいいよなぁ。いい夫婦)


と思っていしまうほど。

 ちなみにブラン侯爵邸に子供はいない。

 ブラン侯爵夫妻は教会宗教に対して熱心で慈善事業に力をいれており、王都のためになれるならと、快くマリーの潜入調査に協力してくれている。

 いろいろあって、ブラン侯爵に迷惑をかけないために一人暮らしを始めたのだが、結構充実していた。

 窓から見える朝一も活気ついていて、眺めているだけで元気になれる。

 街道脇に咲く薔薇も、洒落た観光客向けの店も、大きな劇場も、街中で設置されたピアノの音色も、すべて美しい夢の都だと納得できるものだ。

 マリーはこのような街に住む人々はさぞ幸せだと思った。


(もし普通の平民なら、休日は外の屋台で食べて、平日は市場で買い物して、旦那さんと一緒に手作りの朝食を食べたりするんだろうな)


 昨日読んだ平凡な恋愛小説はそうだった。

 夫は仕事から帰ってきたら妻の手料理と美味しいお酒を嗜む。

 ほろ酔いになったら、甘い言葉を囁き、何気なくベットの誘い、キスをする。耳元で何度も相手の好きな所を囁く。そして甘い夜に溺れるように力尽きて眠る。朝になったら、夜の事が清々しいくらいリセットされて、また仲良く食卓を囲み、仕事に行く。


 その小説は、特にひねりがないが穏やかな甘々新婚生活の話だった。


(手料理を毎日好きな人が食べてくれるって、幸せだろうな。憧れるな。穏やかで甘い日々)


 そういうのが一番幸せ、なんだろうと思う。

 なんでもない、ごく普通の生活が。


(殿下はお酒飲まないけど……あ、だめだ)


 ずっと心の中をかき乱す人を思い出すので思考をやめた。

 マリーは、こんこん、とボールに卵をわり、小麦粉とベーキングパウダー、牛乳と混ぜて、熱したフライパンに慣れた手付きで生地を乗せる。

 今日の朝食はパンケーキとフルーツヨーグルトと、ホイップを乗せたキャラメル仕立ての珈琲だ。


(ちょっと贅沢な気分。修道院の朝はパンとスープだったし)


 食べると甘味が口の中に広がった。

 どれを食べてもおいしい。

 甘い。甘いものは大好きだった。生きる糧だ。


(今日はウインター伯爵のガーデンパーティに顔出してから、サラ様と会って、それから会議だな)


 会議とはジャンとマリーとフレッドの王都の魔物についての会議だ。この前の結果と、今後について意見を持ち寄る。

 窓辺に飾るユートゥルナからもらった砂時計にはもう半分しか砂がない。

 時間は刻々と迫っている気がした。



********


 今日も二人仲良く昼食。

 語弊はない、とマリーは思う。


 せっかくだからガーデンパーティに引きこもりがちなサラを誘い参加し、彼女と別れた後、マリーは執務室にいた。

 

 執務室の主人であるリシャールと向かい合うように座り、彼女が用意したお茶と今朝作ったベーグルを食べている。

 リシャールは城に居ても仕事中は基本食事を摂らないと言うのが常識らしく、彼の昼食を運ぶ者はいなかった。

 マリーも別に運んでいるつもりもなかったのだが、事あるごとにジャンやフレッド、その他使用人、司書、ブラン侯爵に頼まれて、リシャールの書類などを運ぶことが多かった。

 結果、どうせリシャールは朝食もろくに食べていないだろうからというお節介な理由で、バスケットに軽食や焼き菓子を持参しているのだった。

 どうやってもリシャールの元へ手引きされてしまう。

 これも種類の違う、新手のいやがらせ、だと思う。


 今日もリシャールは優雅に硝子でできたカップで紅茶を飲んでいた。

 腹立つぐらいすました顔で、その姿は絵になる。

 マリーがじーっと見つめると、リシャールが立ち上がり、棚から本を数冊取り出した。


 改訂版花の図鑑と、魔法の参考書と、今はやりのスローライフがベースの新婚で特にひねりもなにもない話だが穏やかにひたすらうっとうしいくらいラブラブする平民の恋愛小説だ。

 それを丁寧に紙袋に入れて手渡され、マリーはつい受け取ってしまう。


(……昨日、読んでた本)


 マリーは言葉が出なかった。

 本を手にした手が震えてしまう。

 花の図鑑も絵の勉強のためにほしかったし、最新版なのもありがたい。

 魔法の参考書も修道女である限り、為になるから嬉しい。

 新婚の……話も結構好きなロマンスだったから、欲しかったのではあるけれど。


(なんで昨日読んでいた本を知っているの、この人……?)


 悪寒や寒気、いやもうそれ以上に動揺、いや薄々気づいてはいたけど。


「昨日貴様が読んでいた本の続刊だ新刊だ」


 最早堂々と昨日読んでいた事を知っていると発言し出したぞ。そうですね。昨日夢中に夜更かしして読んでたらやつです。


「あ、ありがとうございます」


 手渡され、礼を言わないわけにもいかず、一応形だけしておく。

 彼にはいろいろ聞きたいことがあったが、それを切り出す前にリシャールはマリーの顔を覗き込むように見て話し始めた。


「寝不足か。やけに呆けた顔だな。夜更かしなんかするからだ。……まぁ今日はあんまりうろちょろ寄り道しなかっただけマシか」


 昨日の私の読んだ本や寝た時間、さっきまで誰と会っていたか把握済みのようだ。今日は比較的真っ直ぐ執務室まで来たのも当たっている。

 怖い。怖すぎる。

 悪気なく、まるで当然かのように言ってのける精神もおかしい。

 何故かマリーの行動の全てがリシャールに筒抜けだ。

 リシャールは何もなかったように食後のお茶をまた啜った。


(この人は確実に危ない人だということはわかる、バカでもわかる、私でもわかる)


 異常者に好かれてしまったと思う。

 どの様に四六時中、マリーの行動を把握してるかは不明だが、やっていることはストーカーと変わりない。

 王子でなければ恋人でもないこの人をストーカーと呼んでいたかもしれない。


 リシャールは彼女の恐怖も知らず、涼しい顔していて、今日も物憂げに睫毛を伏せている。

 どの角度から見ても整っているイケメンである事は認めよう。少し近づくだけでくらくらするようないい香りがするのも。

 リシャールは普段人形のような無表情か苦虫潰したような不快感か、人を小馬鹿にしたような悪い笑みしかない表情しか持ち合わせておらず、マリーに対しては『貴様には1ミリも興味ない』という態度のくせに、彼女の経歴も生活も好みも身体の寸法も知っている。

 出会った当初の馬鹿な嘘すら甘受している。

 マリーが、どこにいても、どんな姿でもわかるらしい(異常)。最近に関しては何をしていても分かるらしい。

 時に、普段はそっけないくせに勘違いや些細な事で嫉妬し、気が振れたら執拗に私を求めている。怖いぐらい一方的に。

 しかもローズライン王国第一王子という肩書きもあるため無礼にできず、大変扱いの難しい人物だった。


 不意にリシャールがマリーに手を伸ばした。


「な、な、なにでしょう」


 手が触れそうになった瞬間、ビクッと身体がのけぞった。

 最近、いろいろあったので、つい過剰に反応してしまう。


「なんで、そんなに警戒している」

「なんでって……」


 ストーカーとか監禁紛いとか無理矢理とかまぁまぁいろいろあるよね、と言いたいところだが、ご機嫌スラッシュになったら困るのはマリーなので言えるわけもなく。


「髪が乱れている、こっちへ来い。直してやる」


 リシャールに手招きされればマリーは重い腰を上げ、素直に従うしかないのだ。

 たかが修道女と王子では身分差が甚だしい。

 大人しくマリーは、リシャールの横に言われた通り腰掛ける。

 

 マリーの髪は魔法で茶髪に巻き毛になっているが、本来は漆黒の髪に癖の付きにくいストレートだ。

 なかなかまとまりにくい髪質までは魔法でなんとかできなかったようである。

 一つにくくりまとめた髪が乱れておくれ毛が出ていた。リシャールは棚から櫛を取ってきて器用に直してくれる。

 何度かきわどい事はあったけど、リシャールと息がかかりそうな距離は慣れない。

 胸が、苦しい。ドキドキしてしまう。

 いろいろ数限りない問題がある人なのに、時々妙に世話好きで優しい時があるから、嫌いになれない。

 ほんとうに……困る。

 

「……ありがとうございます」


 マリーはつぶやく様にうつむいて礼を言う。

 リシャールは結婚したいと甘く囁くのに、抱くこともなく、いつでも逃げれる距離を追いかけ回しているのが趣味の男だ。とんでもないだろう。


 マリーは、早く彼から逃げなければとんでもない方に自分が向かってしまうと頭ではわかっているのだが、仕事で王都にいる以上、避ける術もなく、今日もマリーは構われていた。


「本当は私が全部したいのに」


 リシャールは不服そうに編み込まれている彼女の髪を愛しげに撫でた。


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