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鏡に甘く映るのは

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 無情にも信じていた助け船であるジャンが逃げた後。


 マリーは決意した。

 もう自分で対処するしかない。誰も助けてなどくれない。

 世の中そんなものだ。結局自分で解決するしかないのだ、と。

 そしてマリーは今一度、この状況を冷静に考えてみた。


(落ち着いて、落ち着くのよ、マリー。たとえ、殿下の綺麗な顔が頬にくっついていても。頭をなでなで、首にちゅちゅっとキスされても落ち着くの)


 マリーは危機的状況にあった。

 しかし、このままでは状況は悪化の一途をたどる事は容易に想像できた。今一度、立て直さなければ。


「殿下、悪ふざけし過ぎです」

「ふざけ?」


 そう。これは度の過ぎたいやがらせなのだ。きっと。


「私が危ないから身をもって教えてくれているんでしょう?」

 

 いやがらせという根拠はある。

 リシャールは既成事実を作るとか言いながら、触れると手は優しいし、体重かけて組み敷かれているのに重くない。

 足と首以外どこも悪さをされていない。


 ほら、よくある物語の官能場面だとまずはキスしていろいろ触るでだろう。それがないし、マリーは服も着ていた。


 どうせリシャールはマリーを手のかかる動物くらいにしか思っていない。

 それは子供や妹みたいなものだ。

 いざとなったら、マリーに手は出せないだろう。これは、脅しだ、脅し。

 今までだって、数えられないくらい彼にはチャンスがあったのに、何もなかったのだから。


「もう、わかりました。ありがとうございます。やっぱり男性には力で敵わないですし、私には無理な任務でした。もう懲りました。反省してます」


 もう疲れた。帰りたい。寝たい。


 マリーは自分の行動に後悔していた。反省しているから、ちゃんと言葉で伝えれば解放されるはずだ。


 だいたい、修道女に手を出したところでリシャールに何の得もない。

 万が一、子供が出来たら、側室に置いたとして正妃との間に確執が生まれるだろう。

 正妃を差し置いてちゃっかり子供までいる。

 しかも相手は修道女。背徳的な相手だ。また面白おかしく新聞に書かれる。

 後宮も修道女でもいけるなら女官やら令嬢やら様々な女たちが『私もいける!』なんて思い、様々な思惑が行き交い、わちゃわちゃになるだろう。

 どろどろな面倒くさい後宮の完成。


 そんな後宮は人付き合いが煩わしいリシャールがそれを望むとは思えない。結婚すらしたくなかったような人だ。

 せめて、正式に正妃を迎えてから、しかるべき身分の側室なら有り得てもそれはない。


「だから、どいていただいてもいいですか? もう任務終了時間なので」


 時刻はもう0時を過ぎている。

 新規の客入りも無くなったこの時間。

 もうマリーがここにいる意味もない。

 リシャールは顔を上げて不思議そうにマリーを見下ろした。


「何を決めつけている。今から、するところだろう?」

「はい? …ほんとに、冗談でないのですか? は? 殿下、私なんかと子供作ってどうするんですか。正妃の方と結婚する前から私みたいな側室いて後宮でわちゃわちゃなって困るのは殿下なんですよ? 冷静になってください」

「何回くらいならできそうだ?」

「何回って、何回もする予定ですか!」

「念には念を入れて仕込みたい」

「しこ……そうじゃなくて、私を後宮に入れて品位が疑われるのは殿下ですよ」

「後宮なんて作らない。側室はいない。問題ない。貴様の話はそれだけか? なら、早く続きをしよう」

「だーかーら、王族として相手は選んだ方がいいです!平民ならもっと有能な」

「もうしゃべるな」


 マリーはリシャールの大きな手で口を押えられた。んんん。苦しい。

 リシャールはいらだったように、低い声で囁いた。


「うるさい。静かにしろ。暴れるな」


(その言葉、思いっきり犯罪者の言う事ですよ)


 マリーはそう反論したいが、口が塞がれてできなかった。

 マリーの目の前に綺麗な顔がある。

 それはかなり不服そうだ。明らか怒っている。


「だいたい、好きな相手と結婚して何が悪い」

「え」

「ちゃんとしたふさわしい相手ってなんだ? 家柄か?能力か? ……馬鹿か、貴様」


 家柄は大切だ。

 どこの国も家柄だけで結婚相手が決まる。

 高貴な人物であればあるほど、世間に対する影響力もあるからだ。結婚は家が伴う。

 でもその常識すら、彼は違うと言った。


「ふさわしいと決めるのは私だ。私が良ければいい」


 現実はそう簡単に好きな人と結ばれるものではない。

 いろんな状況下でその時に応じた相手があてがわれるのだ。

 好きだ惚れたを優先していたら、こんなにもマリーはつらい思いをして身を引く意味がない。


「私にはわかりません。非常識です。社会はそうではありません。それはわがままです」


 彼の理想とする世界は身分差がなく、優秀な物が輝ける世界だ。

 その夢のような理想の中では結婚もロマンス小説のように自由なんだろう。


「私と居て嫌か?」

「嫌ではないです」


 嫌とか嫌じゃないとかそういう問題じゃないのだ。

 正直言えば、むしろ楽しい。

 リシャールと過ごす時間は、毎日がキラキラしていて、充実していた。どんな絵画より鮮やかで、マリーを魅了するぐらい、美しい。

 こんな気持ちは生まれて初めてだと言うほど、日々は輝いて、綺麗だった。


「食事の趣味も合うし、会話も途切れないし、いくら時を過ごしても飽きない。もっと居たいと思う。なかなか私たち、相性がいいんじゃないか」


 事実、リシャールが仕事中や不機嫌でない限り、くだらない事を言って仲良く会話している。

 お互いインドアで部屋に居る事が多く、好きな物も割と同じ。気構えたり、飾らなくてよくて、落ち着けるし、性格は合っているかもしれない。

 おまけに彼の顔が世界で一番好き。いや厳密にいうと、身体も好きだ。

 背が高くて細めだけどちゃんと肩幅がるところとか、長い指とか、上品なしぐさとか。香水ではないのに近づくと落ち着くようないい香りとか。腰に響く、掠れた甘い声とか。もうきりがないくらい好きだった。


 マリーは会話をしていても、博識な彼の話は興味をそそるし、強引だけど正論な真っ直ぐな意見も好きだった。

 ああ、なんてどこもかしこも好きなんだろうっていつも思う。

 でも。それだけじゃあ、ダメなのだ。


 マリーは修道院、ユートゥルナを裏切れない。

 それに、リシャールにはいろいろ引き目がある。きりがないほど。


「そうでしょうか。つり合いはとれていない気がします。私は見かけも地味で微妙です。でも殿下はきらっきらな王子様じゃないですか」

「きら……貴様、目が悪いのか。大丈夫か?」


 リシャールは今日初めて見せる狼狽した表情だ。

 そんなに変な事を言っただろうか。


「視力はいいですよ。殿下……サラ様みたいな有能な方には冷たいくせに、私みたいなどうしようもない人間が好きなんですか?」


 役立たずな万年雑用修道女が。


「いや。貴様はなかなか妃に向いているぞ。まぁ多少教育は必要かもしれないが」

「修道女も務まらないのに無理です!」

「修道女が向いてないだけなんだ、破壊的に」


 もう、意味が分からない。


「もういい」

 

 リシャールは有無言わせないように冷たい声でぴしゃりと言われれば、マリーは押し黙ってしまった。

 リシャールは簡単に彼女を抱き起こし、壁に向かせた。この部屋の壁はベット付近は鏡張りだ。


「よく見ておけ」


 鏡に映るのは綺麗な男と薄着の小柄な女。

 リシャールは顎を固定し、後ろから耳元に甘く囁く。

 ゾクゾクとするような掠れている甘い低い声で。


「これを見れば、貴様の色気のない絵もよくなるだろう」


 目の前に映るのは、男が熱のこもった瞳で見つめる男と、恥ずかしそうだが嫌でもなさそうな、いやらしい表情の女。

 頬を染め、煽る様に切なげだ。


「言葉はもういらないだろ? しっかり、見るんだ」


 マリーを後ろから抱きしめるリシャール。

 目の前に映るのは愛し合う二人の男女に見えた。

 リシャールのマリーを好きでたまらない甘い表情に言葉を失った。

 マリーは抵抗をやめ、ただ鏡を見た。


(自分じゃないみたい。とても、切ない顔している)


 嫌だと言って、ほしいといっているような、矛盾した姿だ。

 こんな風に見えていたかと思うと、恥ずかしい。


「綺麗だろう、貴様は」

 

 リシャールは酔いしれる様に言った。


「でも、鏡越しより実際の方がいい。微かに色が変わるからな。見るよりも今は触れたい」


 昔、フレッド達が言っていたことを思い出す。

 リシャールは本気になると怖いと。


 今ならわかる。

 彼の行為は真っ直ぐで損得ないが、一方的で執拗でどろどろになるほど深く甘く、執拗だ。

 優しいところもある分、強弱が激しい。

 彼から注がれる視線がマリーに巻きついて離れない。

 ねっとり、どろどろに愛されるとはこういうことなのだろうか。

 彼からすれば立場も何も関係ない。熱がこもった視線を愛する人に向けているだけなのだ。


 リシャールはマリーを自分の方に向かせて、囁いた。


「どんな、君も私は……」


 リシャールがそう言いかける前に眠気が襲い、マリーの意識が遠のいた。



********



 マリーが気づいた時には、平民街の部屋でちゃんとネグリジェを着て寝台で寝ていた。

 夢だったのか。

 いや、鏡で確認すると首の痕が増えている。夢ではなかったのだ。


 目が覚めたのはもう10時過ぎだった。

 かなり寝過ごしてしまったようだ。

 マリーは急いで身支度を整え、ブラン侯爵邸に行く。

 ドレスアップして途中からサロンに参加し、その後で図書棟でサラと出くわした。サラはどうやら無事の様だった。


(殿下に小説の事ばれていなかったみたいね、よかった)


 もしかしたらリシャールが言っていたのは別の小説のことかもしれない。本当によかった。


 それからマリーはサラとお茶して、また彼女の著書のいかがわしい本を数冊貸してもらい(好意を無下にするわけにもいかず)、平民街に帰った。

 恐ろしいくらい、昨日の事が嘘のように穏やかな一日だった。

 帰りに市場で買った食材で料理し、一人で食べる。

 そんな日々が数日経ってもあの日の事が忘れられない。


 足にされたキス、強く抱きしめられた間隔。凍えるほど冷たい表情の人から漏れる甘い声。

 キスはしなかった。

 なんだかんだで、彼は無理強いは出来ないのかもしれない。

 そんなところがまた……。


(好き)



 実はキスは昔した事が有る。

 しかも女の子と。マリーとほとんど背の変わらない細い女の子だった。

 あれはずいぶん昔で、修道女になる前のこと。12歳の夏の日だ。

 領地の教会で、昼下がりに、唇にちゅっとされた。


 数十年経った今でもマリーは当時不思議な気分になったのを覚えていた。



********



 娼館に潜入捜査に言ったあの日、マリーは最後の解毒剤を飲むタイミングを失い、気を失ったらしい。

 本当にどうしようもなく、自分に呆れた。潜入捜査、向いていない。


 マリーを誰が屋敷まで運び、着替えさせたか、数日後に上司であるジャンに聞いてみたが、ジャンはあの日の一件を「あははははー細かい事は気にしないで。いろいろ大変だったね、ほんと。犯人がいなくて残念だったけど、いろんな意味で犯人より大変だったね」と明確な事は言わず、教えてくれなかった。


 ジャンは頭に包帯を巻いていたので、何かあったことは間違いないのだが。

 案の定、リシャールにマリーをあんなところに連れていったと責められたのはわかる。


 ごめんなさい。ジャン先輩。欲を言えば、リシャールからもっと早く助けて欲しかったけど、とマリーは思ってしまった。


 数日後、マリーはフレッドにリシャールに渡して欲しいという書類をもらい、執務室を訪ねた。

 あの日から彼と顔を合わす事は無かったのだ。

 確か、今日は6番だ。

 しょっちゅう執務室は壊れるらしい。

 つい先日は5番だったのに何があったのか。

 たぶんジャンと小競り合いがあったのだろう。


(どうやったらこんなに派手に喧嘩するんだろう。っていうか、あの人たち喧嘩多いな、子供じゃあるまいし)


 ちなみにジャンもリシャールも25歳。いい大人だ。城を壊すことを繰り返す年ではない。


 マリーは緊張しながら扉を開ける。


(殿下、どんなふうに言えばいい?)

 

 今日も何もなかった様に、リシャールは澄ました顔で、執務をこなしていた。

 淡いプラチナブロンドが陽をあびてきらきら輝いている。


「これ、フレッドからです」

「ああ。そこに置いて置いてくれ」


 リシャールは一瞥すらせず、書類を読んでいた。

 横顔はどこまでも綺麗で、見惚れてしまうから恨めしい。

 いつものように冷たくあしらわれる。通常運転だ。

 だけど、執務室にある来客用の机にはお菓子が置いてあった。

 マフィンにマドレーヌ、メレンゲのクッキー、茶葉、ハーブティーセットも。

 透明なガラス細工のカップや食器はリシャールが造ったのだろうか。

 マリーがただ突っ立っていても、何も言われないし、せっかくお菓子を用意してくれたようだったので、彼女はソファに座った。


 この部屋でお菓子を食べる人物はマリーしかいないのだ。

 ジャンもフレッドも基本ここで飲食しない。

 リシャールが休憩時に水分をとるくらいで、マリーが来るまで机すらなかったらしい。


 マリーは行儀よく座って、お茶を沸かし、お菓子を食べる。


(うん、美味しい)


 マリーは何を語るわけでもなく、彼の分のお茶をカップに注ぎ、お菓子もとりわけ、何も語らない彼の机の隅に置いた。

 レモンバームの爽やかな香りが執務室に広がった

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