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娼館の修道女

 マリーはなかなか寝付けず、うつらうつら30分ほど仮眠をとった後、空はすっかり茜色に染まっていた。


 そしてマリーは、ややぼんやりする頭で身支度を整えて、先輩の神父であり任務協力者のジャンを待った。


 ジャンは「歓楽街は女一人でうろつくには危ないから」という理由に、仕事終わりにわざわざマリーを迎えに来てくれると言っていたからだ。

 マリーとしては一人で独自に捜査していたこともある歓楽街。自力で行けると思っていたのだが。


(だって、毎日のように犯人を捜して歓楽街を歩いていても、変な人に声をかけられても危ない目に遭った事なんてなかったしなぁ)


 そう。マリーの目の前に現れた変な人は皆恐ろしい結末を迎えるのだ。

 男たちはマリーに声をかけてきても、途中でなぜか「あ、あ、お、お前は……!」と訳の分からない事を叫んで冷や汗をかいて震えて時には漏らして……精神異常か、もしくは単純に具合が悪くなったように立ち去っていった。


 あるいはまんまとマリーの囮作戦に引っかかった犯人らしき疑わしい人物と一緒に歩いていたら、振り向くといなくなって居たり。


 ある意味、ホラーな歓楽街。

 個人的には、マリーはあそこは曰く付きだと思っていた。

 そしてここに来て、マリーの修道女としての祈りが神に通じたのか、マリーは神に守られている実感があった。


(これは神の加護というやつね……!)

 

 しかし、現実は神ではなく、尾行したリシャールの分身がことごとく男たちを闇に葬っただけであった。




 すっかり日が沈んだころ、時間通りジャンはやって来た。 

 長い髪を巻いて、化粧をほどこしたジャンはどこから見ても美女だった。

 そう。女装。

 もともと女顔で少し背の高い女性にも見える綺麗な顔立ちだ。

 手を加えれば、あら不思議、魔法なんてなくても女に見えてしまう。

 彼の華奢な体つきもその一因だ。


(あら、ジャン先輩、美しいじゃない。誰も娼館常連の非道徳的な破廉恥神父なんて思わないわ。完璧。ジャン先輩は人柄はともかく、仕事は真面目だし、頼りになるわ)


「わぁ。美人ですね」


 マリーは素直に感想を述べる。

 だって、女のマリーより綺麗だった。

 くやしさなんてない。綺麗な物は、綺麗だから。

 男だろうと、女の格好をしていようと似合っていればいいと、マリーは思っている。


「うん。自分でも驚いてるよ」


 ジャンもまんざらではなさそうだ。

 自慢げにふふふ、と笑っている。

 女装が似合うと言われて怒らない所もジャンらしい。


 夕暮れと共にジャンと予約してあった馬車で裏通り付近まで行った。

 馬車を降りて、娼館まで歩いていく頃にはもう時刻は7時過ぎ。

 娼館は貴族向けの高級な部類で、白い壁の3階建ての屋敷だった。

 娼館と言われなければどこかの貴族の屋敷に見えるような上品な作りで看板はなく、完全会員紹介制らしい。

 近くに身分の高そうな人が乗る馬車が何台も停まっていた。


 マリーとジャンは潜入捜査用の待合室的な部屋で待機していた。

 ソファが向かい合う様にあり、サイドテーブルがあるだけの部屋だった。

 娼館経営者にはジャンから今回の捜査の話をつけてある。

 捜査方法は至ってシンプルで、受付に犯人と思われる人物が使う古代魔法を感知する魔道具を置かせてもらい、反応があったらマリーとジャンがいる個室に誘導する。

 怪しまれない様、娼婦のふりをして事を及ぶ前にお香で眠らせるのだ。

 お香は即効性のもので、部屋に入って5分程度で効くらしい。

 もし、本当に襲われそうになっても5分耐えれば大丈夫だ。


 仮に、疑わしい物が来た場合、ジャンの部屋に通して、もし複数いた場合やジャンが対応している場合のみマリーの部屋に来る。

 要はジャンの予備なのだ。

 万が一、複数犯だった場合は、その時点で修道士や警備兵の増援が10分以内に来るように手はずは整えている。


 問題なのは魔道具の信頼度は100パーセントなのだが、もし仮に古代魔法が使えるごく一部の貴族だったら?という可能性。

 古代魔法はほぼ失われた魔法とされているから本当に万が一の話だが、細々と受け継がれている家系があってもおかしくはないのだ。

 そういう場合は、あとで謝るしかない。

 

「ジャン先輩、今夜、もてるんじゃないですか?」


 マリーは娼婦用の薄いドレスに着替えたジャンをにやにや見ていた。

 マリーは自分もそのペラペラな膝上のドレスを着て、ジャンとお互いに濃い化粧を施していた。

 ジャンは驚くほど化粧も上手で、「女の子にしてあげた事あるんだ」なんて話していた。

 ジャンはため息をつきながら、マリーに仕上げの光沢のあるグロスを唇に塗る。 

 このグロスには魔法がかかっていて、「マリーだけどマリーに見えない魔法」の暗示の薬で出来ている。

 社交界で知り合った者に顔を見られても、認識出来ないようにするために。

 本当にマリーだと分からなくするには相手の体のどこでもいいからキスすると余計別人に見えるらしい。

 本来は香水で嗅覚から魔法をかけるのだが、今回お香を炊いているので代用品というわけだ。


「男にモテてもねぇ。僕、そんな趣味ないし。……あれ、マリー。楽しそうだね」

「ごめんなさい。……実は、最近巷で男同士の恋愛話、流行っているんです」

「へぇ、マリーもそういうの好きなんだ。これ、男の娘ってやつだろ」

「そうなんです!」

「へぇ」


 マリーは捜査の事を、仕事中である事を半ば忘れ、キャーと声を上げる。


 そうなのだ、まさしくそれ。

 マリーのはまりつつある新ジャンル「男の娘」。


 美男子が女装して、かつ男相手に恥じらいを見せる姿が二重の意味で背徳的で良いのだ。

 男なのに、女の格好をいている自分に対しての恥じらい。

 男なのに、男と女の真似事をしている自分に対する動揺と、止められない行為。


 マリーは官能小説の挿絵を描き始めてから、いろいろな世界を知ってしまったのだ。


 自分は修道女で恋愛は無縁でも、小説があれば生きていける気がしていた。

 このときめきがあれば。


 ジャンはマリーに手鏡を見せて、変装の最終確認を促した。

 目の前にはいつもより妖艶で派手な化粧に薄着の自分が映っているが、ジャンに比べると大した事が無く、特に感想はない。


「はい、完璧。ちょっといやらしさが出てていい感じ」

「ジャン先輩の方が素敵ですよ」

「うーん。男の格好の時にイケメンとか言われてみたいなぁ。先輩、かっこいいです!みたいな」

「でも今の先輩は普段の何十倍も素敵ですよ」

「また、そんなこと言って。君の考えている事分かるよ?僕みたいな女らしい見かけの男と、リシャールとかフレッドみたいなイケメンの絡み想像しているんだろ、やーい、変態」

「はい、してしまいました」


 ジャンはにやっと笑い、マリーの頭をよしよしと撫でた。


「正直でよろしい。欲望に忠実なのはいいことだよ。マリーのそういう正直な所、好きだな」

「ジャン先輩こそ、欲望に忠実じゃないですか」

「だって、肌を合わせるしか知れない事も世の中多いんだよ? 覚えておきなさい」

「あはは、はーい」


 毎夜の娼館通いは引くが、ジャンは遊び慣れているせいか、おおらかだ。

 男の女装が好きなんてふざけたことも言える。

 口説いてこなければ、実害がなければ、わりと親切でノリのいい男友達だったら楽しいタイプ。


 するとジャンは何か思いついたように

「そうだ! 今度女装して、ドッキリでリシャールに夜這いでも仕掛けようかな? 反応したらウケるな。ああ、ほじられないよう、気をつけなきゃ」


 相変わらず下ネタを飛ばしてきた。

 いつもなら笑う事が出来るのだけれど、マリーはリシャールの事を思い出してしまい、少し黙ってしまう。


「マリー? どうしたの?」

「いや、その」


 ジャンは結構鋭い所があるから、リシャールとマリーが何があったか気づくかもしれない。

 でも、正直、この話は触れて欲しくはなかった。

 今はあまり考えずに仕事をしたい。

 

「……やっぱり殿下は攻めなんでしょうか?」


 紛らわすために、またふざけた言葉が口から出た。

 とても令嬢の言葉とは思えない下ネタが。


「うん、きっとそんな気がするよ。あいつが受けなんて認めない。でも、僕は……やっぱりほじられるのかぁ」


 ジャンも気に留めなかった様に会話を合わせて来る。

 それから他愛のない会話をした後、開店と同時に持ち場の部屋に分かれた。




********



 マリーは浴槽と寝台が隣接した娼館の個室に入った。

 やはり娼館。

 生々しい。

 広い部屋に壁際に大きめの天蓋つき寝台、その付近の壁や天井は鏡張り。

 浴槽もゆったりしており、絶え間なく湯が注がれている。

 ガラス張りのシャワーも備えてあり、洗い場付近にはソープや総毒液、潤滑油、香油などが並べられている。


 マリーは309室、ジャンは向かいの3014室だ。

 

 マリーは部屋に入ってもう一度作戦をおさらいした。


①支配人に受付に古代の魔器に反応する怪しい人物がいたら通してもらう。

②そこで、部屋に誘い込み、お香で眠らせた所をとらえる。

③場所を変えて自白剤を飲ませ、尋問する。


 古代の魔術を使えるのはほぼ犯人くらいだ。

 ただ、今回の魔本の数が数冊盗まれたため、複数犯の可能性もある。

 怪しい物は徹底的に捕まえる。

 情事の痕に殺す変態集団かもしれない。

 この娼館はある一室がわずかに古代の魔術の反応が出たが、死人は出ていない。

 他は現場となっている。

 だから、部屋に人が入って来た時点でほぼ犯人であり、失敗は許されない。


 マリーはどきどきする胸を落ち着かせるため、深呼吸し、睡眠効果のあるお香に火をつけた。

 自分が眠っては意味がないのでジャンがくれた解毒薬を飲んだ。

 解毒剤の効果は1時間という話で、1時間ごとに飲めばいいらしい。


 マリーが待機して2時間。時刻は10時。

 娼館の入室時間が11時までだから残すことあと1時間。

 浴室のお湯に足をつけたり、情事を聞き耳立ててみたり(何も聞こえない)。

 消毒液の種類や香油を眺めたり。


(大人の世界だな) 


 その世界では、必要時に消毒して、身体を清めて、必要時潤滑油を使用する。

 体液が混じる行為は清潔とは言いがたい。

 

(でも、人はそれをやめられないから、こういう矛盾が起きる)


 特にやる事もなく、足湯をしながら、マリーは置いてあった潤滑油を手に出してみた。

 香りは柑橘系でさわやかなのに、液体は透明でどろっとしていて、試しに太ももに塗ってみるとよく滑った。

 本で書いてあった通りだった。

 マリーは昨日勉強した知識が生かされている気がした。


(収穫なしでも絵の勉強になったかな。こんなところ、娼婦ぐらいしか入れないし、貴重な体験だよね)


 マリーは楽観的だった。 

 そして、別れ際にジャンが心配そうにマリーに確認してきたのを思い出した。


「別にこの任務、僕一人でもいいんだけど、やっぱり本当にするの?」と今更ながらに。


 別に本当にそういう行為をするわけでもないから、これもいい経験だと思い、今回は志願したのだった。


 だいたい、娼館なんて普通に生きていたら、娼婦になるしかお目にかかれない題材だ。

 絵の勉強にもなるし。


 もちろん、ここでのこのこ帰るわけにいかないのでマリーは元気に「がんばります!」と答えると、ジャンは護身用の指輪をくれて、「何かあったらそれで僕呼んで」と神妙な顔で言った。


「無理矢理な客、乱暴なやつもいるよ。人間は見かけじゃ分からないし。貴族は誰でも紳士なんて思わないでね……変態に遭遇しない事を祈るよ」


 そして、ジャンは珍しく、神父らしくマリーのためにお祈りをしたのだ。

 だが、あのジャンが心配しているというのにマリーは能天気だった。

 

 ちなみに、フレッドには絶対止められるだろうし、言っていない。


(本格的な潜入捜査って感じがする)


 ちょっと仕事している感じがした。

 だって、今まで修道院では雑務や家事ばかり。

 それか簡単な任務のチームで医療班。

 娼館に潜入して、不当に売られた娘を保護している修道女の同僚もいる。

 みんな体を張っているのだ。

 

 それに今までだったら、仮とはいえ、客引きや囮捜査に対してリシャールに引き目を感じていた。


 ローゼという令嬢はリシャールが好きで、純情そうにしているのに、実はこんな胸元が空いたドレス着て客引きの捜査をしている修道女だ。

 リシャールはストールを持たず少し肩が出ていただけで、はしたないと眉を顰めたり、上衣をかけてくれる人なのだ。

 少なくとも、教会での彼はそうだった。

 そんなリシャールに対する裏切りだった。


 再会してからは、リシャールは無遠慮にマリーの服を脱がそうとしてきたりするが、本当の彼はそんな人ではないと思っていた。


 何がそうさせたのか、マリーには分からないけど。


 今、マリーはこのようにドレスの裾をたくしあげ、膝を出し、湯に足をつけている。そして客を待っている。


 そのさまははしたない。

 本物の令嬢だと有り得ない光景だ。


(殿下はもう私の事なんか)


 リシャールはマリーの事など、どうでもいいのだろう。

 マリーに逃げられてやっと目が覚めたのかもしれない。

 今まではちょっとマリーのような人物が物珍しかっただけなのだ。


 昼間のあの目は、お前なんか興味ない、だ。

 リシャールには、サラ以外見てなかった。

 マリーは心につかえていたものがとれたようでもあった。

 もう、悩まずに済む。

 安心して修道院に帰れる、これでよかったはずなのに。妃なんてなれないのに。


(殿下の、冷たい顔が頭から離れない。どうして?)


 昼間、マリーはあの場でリシャールに手を引かれて無理やり部屋に連れていってほしかった、迎えに来てほしかった自分の存在に気が付き愕然とした。

 今ならリシャールの監禁まがいの行為も目をつぶれる気がしたのだ。


 リシャールに嫌われるくらいなら、何されてもいいかなと思ってしまうダメな自分が少なからずにいた。


 もしかしたら、良い子に大人しくリシャールに従っていれば、いつか優しい殿下に戻るんじゃないかって。また、友達みたいに話して、なんて考えたところで、マリーは自分が嫌になった。


(……何が、友達よ)


 水面に移る娼婦姿のマリーだ。子供じゃない女。

 それは、あいまいな関係に甘んじて楽しくいたかっただけの自分を戒めていた。


 リシャールと居たいなら、大人であるマリーは結婚するしかないのだ。

 

 マリーはいつまでもふらふらリシャールの前に現れるわけにいかないし、それなら将来のリシャールの結婚相手に迷惑かけない様きっぱり消えるしかないのだ。


 マリーはリシャールの思いを知っていて、逃げるって決めていたくせに、今更なんで悲しいのか。それが理解できなかった。


(馬鹿みたい)


 マリーは涙が溢れ落ちた。


 これがあの失恋というやつか。告白すらしてないけど。

 マリーはリシャールにこういう辛い思いをさせて置いて、自業自得だと感じた。


 自分には恋愛する資格なんてないと。


(私は修道女で、未来の約束なんて出来ないもの)


 そんな時、ドアが突然ゆっくり開いた。


(ターゲットが見つかったの?)


 しかしそこに現れたのは、水面より深い青緑の瞳を持つ、優麗な黒髪の貴族だった。


「で、殿下……?」


 髪の色を変えても、黒いローブを着て服装が違えど、わかる。

 彼は澄ました顔で真っ直ぐマリーを見つめた。

 そして笑う。

 妖しく美しく、少しの皮肉と会えた喜びを混ぜた顔で。


「ローゼ、何している?」

 



「こんなところで」






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