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彼女と私の色②

 五月上旬。

 リシャールは執務が終わり、部屋に帰ると待っているはずの彼女がいなかった。


(やはり、逃げたか)


 リシャールは彼女に部屋で待っていろ、なんて言いながら逃げるとも思っていた。

 彼女が人前に出れないように、恥ずかしい痣も見えるように付けて、ドアに厳重に鍵もかけておきながら、なんとなく。予感みたいなものだ。


 ベランダの鍵が開いているので、たぶんそこから逃げたのだろうとリシャールは推測した。


 ただ、どうやって3階にあるこの部屋から地上に降りたかは謎だが、ざっと見て血痕や事故の知らせは聞いてないから彼女に怪我は無いと思われた。


(……よかった。怪我なんてさせてたまるか。散々守ってきたのに、自らベランダから転落なんてしてもらっては困る)


 普通の令嬢なら逃げ出すなんて困難だが、彼女なら頭を使えば術を使い、逃亡も可能だ。

 だって、彼女は令嬢ではなく、魔術の使える修道女なのだ。


 正直言うと、リシャールは出会った当初から彼女の正体はだいたい把握できていた。


 彼女の持つ魔本も教会のものだったし、術も王都では限られたものしか使えなかったからだ。

 見かけも報告書と一致したし、きっと派遣された修道女だろうと。


 しかし誤算だったのは、彼女と関わるたび、どうでもよかった魔物騒ぎの一件が気になりはじめた。

 特に婚約者役の男が憎くなった。

 それは仕事だし、口出しするつもりもなった。

 どこかで自分だけが彼女の特別だと思っていたから、彼女の仕事上の婚約者役なんて割り切れるはずだった。


 何度も言うが本当に、彼女は色気もなく、子供みたいだったし、結婚とか情事とか似合わない存在だった。

 婚約者役なんかいても、自分が一番彼女に近い存在なはず、という自信があったのだ。不思議なことに。

 恋人とか夫でもないけれど。


 彼女はリシャールにとって、自分だけの可愛い秘密の存在であり、古い教会で見つけた愛しい人だった。


 それに、彼女はあまりに能天気で危なかかしく、可愛くて、リシャールはほっておけなかった。


 自分が面倒を見てやらねば、田舎者で世間知らずの彼女は、知能も少し足りないので、王都に適応できずにあっけなく死んでしまうと思い、出会って間もない頃から密かに分身で尾行を開始した。


 なかでも、リシャールが驚愕したのは、彼女が任務開始前から律儀にも単独で捜査をすすめていた事だ。


 そう、単独で。


 彼女はひとりでわざと夜の街に赴き、おとりになっていたのだ。


 リシャールはその奇怪な行動が彼女の仕事と知っていたが、居ても立っても居られず、変な輩が近づきそうになったら先回りして排除した。

 だって、ターゲットでも何でもない、いやらしくヨダレを垂らした下品な男達に彼女が危うく路地裏に連れて行かれそうになっていたからだ。

 

(ふつう、ターゲットが見つかったら近づくものじゃないか? 何故わざわざ囮になるんだ?)


(夜に歓楽街をぶらぶらひとりで歩くなんて娼婦の客引きか、襲ってくれといっているみたいなものだろう? 襲われたいのか?)


(ああ、見てられない)


 リシャールは彼女の行動力や、身を呈して仕事をする努力は認めようと思う。

 その姿勢はいいのだが、自分の身を守れないのに、無茶はやめて欲しかった。


(せめて、フレッドでも誰でもいいから連れて行け。きみは蝶を出す魔法くらいしかできないのだから、私がいなかったら……どうなっていたと思うんだ)


 そう。リシャールがいなかったらゾッとする場面が絶えなかった。


 でも、リシャールは、良い風に考えれば、彼女には自分が必要だと確信した瞬間でもあった。


 彼女に知られず助けて見守るのが、自分の仕事。

 それは、とてもやり甲斐がある仕事だ。

 小動物みたいな彼女が獣に食べられないように、こっそりと守ってやりながら見守るのが彼の愛情であり、スタイルだった。


(ちなみに、私的に、彼女の潜入捜査に点数をつけるなら、落第点だな)

 

 ベッドの上にあったのは、見慣れた種類の睡眠導入剤と書き置き。

 リシャールは内服用の導入剤で寝れたら苦労しない。


(本気で眠らせたいなら、気を失うくらいの麻薬を注射器に詰めて持ってこい)


 そして、書き置きは短く一文。

『しばらく考えさせて下さい』

 と可愛らしい字で書いてある。


 全くその通りだ。戸惑うのも無理もない、とリシャールは感じた。


(勝手に婚約したのも、いきなりの同居も、友達の距離からいきなり恋人の触れ合いに変わったのも、何もかも……こういうのは、性急っていうんだろう?)


 性急。それに尽きる。

 

 リシャールは彼女とは大して年も変わらないのに、『もっと勉強しろ』『スポンジ頭に知識を詰めろ』とか家庭教師ノリで、年上ぶっておいて、社交界で再会したらいきなりーー。


 『婚約者殿。結婚式は秋だ』


 さらりと爆弾発言。

 弟子だと言っていたくせに結婚って。

 いきなり過ぎるだろう?

 物事にはもっと順序ってものがある。

 リシャールは少し急ぎ過ぎた。


 しかしながら、リシャールの当初の計画では、もっとゆっくり彼女に歩み寄るつもりだった。

 

 それに、リシャールは自分を氷華と知りながら、彼女は優しくしてくれたし、いつも楽しそうだから好感度はなかなかじゃないか?と思っていた。


 純粋で素朴な彼女と友達として、話すことは楽しかったし、そのままの関係で暫くは満足もしていた。

 だから、タイミングがあったら彼女に少しずつ想いを伝えようと思っていたのだ。


 しかし、彼女が幼馴染の手をとった日から、執事と消えた日からリシャールの何かが壊れてしまった。


 彼女との穏やかな時間はあまりにもあっけなく終わりを告げた。

 彼女がジャンなんかとお茶に行くと聞いた時だった。


 リシャールは自分の中で残っていた、少なくとも彼女に対しては紳士的だった理性とか常識とか、そんな類のものがぶっつんと千切れてしまったのだ。


 ジャンなんかと?  

 なぜ? 

 どうして自分じゃないんだ?


 ぶちぶちぶち、ってリシャールの何かが切れた。

 ジャンはガンガン攻めていくのに、自分は何故あんなに回りくどいことをしていたのだろうって、後悔した。


 しかも夜会でも、彼女は名も知らぬ令息たちから視線を受けていた。

 リシャールが彼女の胸元が開いたドレスを見た時は、白く柔らかそうな肌に目を奪われたとともに、周りの男に対して耐えがたい憎悪を抱いた。


  現実、彼女は23歳で遠い昔に成人していて、子どもでもない。

 だから、その気になれば、いつでも私以外の誰とでも、指を絡め、身体を重ね愛し合うことができるのだ。

 リシャールは残念ながら、あの夜会までそれすら気づかなかったのだ。


 だから、もう目を離すわけにはいかなかった。

 他の男に捕まる前に。

 身も心も自分に捧げるまで、追い続けるしかないだろう、と。


(明日まで泳がせるのもいいが。……まぁ、か弱い動物は安全なところでいた方がいいはずだ。……早速保護しに捕まえにいくか)


 まるでそれは狩のようだ。

 リシャールが外出の用意をし始めていたところ、何処からか部屋の中に入ってきた青蝶がひらひらと舞っていた。

 彼が手を出すと、指先に蝶が停まった。

 彼女の魔術で出した蝶だ。

 お転婆な娘で、勝手気ままに飛んでいくらしい。

 最近はリシャールの部屋に入り浸っている。

 ちなみに彼女はこの蝶を娘のように可愛がり、青ちゃんと呼んでいる。


「青。早く三人で暮らしたいな」


 リシャールと彼女と青の穏やかな暮らし。

 ひらひら、蝶も返事をするかのように羽をはためかせた。

 リシャールはパチンと指を鳴らすと、辺りに霜が降り、青蝶を包み込んだ。

 あたりが鮮明になったところに、さっきまでいた青蝶はおらず、青髪碧眼の美しい少女が立っていた。


「はい、リシャール様とママはお似合いだと思います。早く結婚して下さい」

「わたしも常日頃からそう思ってるが、今日は逃げられたみたいだ。悪いな、青」


 青、と呼ばれた少女は紛れもなく、彼女の青蝶だ。

 ただ、リシャールと契約して、人間の姿を与えただけだ。


「私はイケメンなパパがほしいです」

「私も早くきみに弟か妹作ってやりたい」


 青は、じーっと不機嫌そうにリシャールを睨んだ。


「やっと押し倒したのに、なんで早く交尾しなかったんですか」


 純粋そうな少女がいうには問題のある言葉だった。

 蝶からすれば交尾したら解決かもしれないが、人間はそうはいかない。

 無理矢理は犯罪だ。

 破廉恥な官能小説であるまいし、現実では許されない。


「いや、まぁ……無理矢理はあんまり好きじゃ無い」

「よくその顔でいいますね、殿下は犯しそうな顔なので人物像と行動は一致しており問題ないです」


(失礼ではないか、この虫)


「簡単なことでしょう。逃げるなら捕まえて手を縛れば解決です。得意でしょう?」

「それは私のイメージか?」

「あとは……バタン!ぎゅっ!ちゅっちゅ!ずぼん。しゅっしゅです」

「……」


 まさかの下ネタでリシャールは返す言葉もないが、青は真剣に語る。


「ママは修道女向いてません、散々下っ端としてこき使われて早死に確定です。早く身体だけでも離れられなくしてくださいな。私はずっとパパみたいな方を探していたんです」

「……」

「イケメンでお金持ちでお金持ちで、ママが働かなくても不自由なくて、悪魔みたいに凶悪なくらい強い。食物連鎖の頂点のような方を……!」

「ほめているのか? それ」


 リシャールは繰り返される金持ちの連呼もなんだか傷ついた。

 凶悪さは認めるが。


「金持ちだけじゃ、ダメなんです。イケメンは譲れません」

「ああ。そうか、とりあえず、ありがとう」


 青はいつもこのような感じで、早く押し倒せとか交尾とかばかりいう卑猥な娘で、しかも無類のイケメン好きだ。


(さすが蝶、虫だ)


 リシャールは感心した。

 なにより繁殖を主として生きてるだけ妙な切迫した説得力と条件のみで相手を選ぶ様は潔くて素晴らしい。 


 青はリシャールの中身なんてどうでもいいみたいだ。

 彼は虫に内面を認めて欲しいなんて思ってないから、別に良かった。というか諦めていた。


 リシャールは、でもやはり、青は急かしてくるが、性急はよくないと思った。

 頭を冷やして、今一度、紳士的な態度に戻ることが大切だと。

 リシャールは、彼女の気持ちも確認できたし、ゆっくり歩み寄るところから始めていこうと思っていたのだ。

 

 

 ちなみに、リシャールは青と契約している。

 情報提供してもらう代わりに魔法で人間の姿形を与えている。

 いわば報告係りだ。

 


「で、青。無駄話はこれくらいにしておいて、何か伝えたいことがあったのではないのか?」

「リシャール様、実は私、見てしまいました。例の男をーー」

 

 青は見た通りの事を語った。


「今、ママいる街です」


 確か分身の報告では、彼女は平民街の修道院管轄の建物にいるはずだ。


「ああ、そういえば……明日はママの特殊捜査の日でしたね」

「特殊捜査? どこで?」

「娼館です」



 青は相変わらず感情の無い声で無情な事実を語った。


「しかも浴室付きのタイプです。例の捜査の囮になるそうです」


 またぶちぶちとリシャールのなにか切れた。




(なんだと? 今何て言った?)



 

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