君と早めに夕食を
日が高く昇る、昼過ぎ。
マリーがリシャールに首に噛みつかれそうになっているところに、午後の鐘が鳴った。
リシャールは急に体を起こして、名残惜しそうに言った。
「夕食を早めに摂る。それまで大人しく読書でもして待ってろ。……今宵はずっと我慢していた甘いものを存分に食べてから、心置きなく、寝たいんだ。いや、寝かせてくれ……いいな?」
リシャールにそのように言われ、マリーは特に何も考えず頷いた。
「はい? 甘いものって……ケーキとかですか?」
「……いや、もっと甘いものだが」
「え? そんなに甘いお菓子って検討がつきませんけど」
「味は甘いというか、なんというか。……私もまだ食べたことが無いが、絶対美味しいだけは確かだ」
「へぇ? 何かわかりませんけど、楽しみですね。甘いものを寝る前に食べるのは良くないみたいですけど、たまにはいいんじゃないですか? 全然、付き合いますよ!」
「付き合ってくれるのか。嬉しいな」
「お腹いっぱい食べてから、ぐっすり寝てください。寝ないと健康に悪いですから」
マリーはやっぱり何も考えずいつもの調子で返した。
リシャールはふふ、と笑った。
「じゃあ、満足いくまで付き合ってほしいな」
リシャールはマリーの頭を優しくなでた後、低い吐息交じりの声で、「夕食まで身体を休めておけ」と言い残し、執務に戻っていった。
彼が出て行ったあと、マリーははだけたドレスを戻し、先ほどの一連の会話を思い出し呆然とした。
(あれ、さっきのやり取りって、殿下のこと好きって言ったみたいなものなのかな? 大切な人だから、悪くは言って欲しくなかったけど、あれじゃあ、まるで……)
リシャールが彼自身を冷酷な化け物なんて言う事に対し本気で泣いて、なぜかリシャールに慰められて、好き以外の慕っていると思わせるような沢山の言葉を集めて、伝えて。
それって。
(告白みたい……)
マリーは自分で言ったことに、羞恥心で悶えて、顔を掌で覆った。
(ああ、どうしよう。これって両想いってやつだよね。まさか、殿下と。嘘みたい)
リシャールはマリーの本名、つまり戸籍も知っており、いつの間にか偽の令嬢が本物の王子の婚約者になっていたのは驚きだった。
そこまでするのだから彼のマリーに対する思いは本物だと言う事は紛れもない真実だ。
(私、本当に殿下に好かれていたんだ。でも、何がよかったのかな?)
思い出の中の彼との交流は、一緒にサンドイッチを食べたり、お茶して話したぐらいだ。
これという理由が見つからない。
一目ぼれなら、初対面で刺客と間違えられ戦う事もないだろうし、仮にも王子のリシャールに十人並みのマリーの外見に惚れると考えずらい。
(全然わからない……なんで? 何がよかったの?)
自分でそう思うくらい理由が見つからない。
(それに……私今日から、ここで本当に住む事になるのかな?)
リシャールが先ほどマリーの同意なしに勝手に決めた同居。
だいたい、婚約者のくせに王宮に住むのは常識的にはおかしい気がした。
一緒に住むってことは生活を共にするという事であり、夜も同じ空間にいることになる。
続き間が用意されているから、一緒なベッドに寝る心配はないかもしれない。
だって、まだ正式に夫婦になってないし。
なんだかんだで色々あったが、今のところマリーは手を出されていない。
リシャールの決めたことなら、権力に従順な、あのブラン侯爵はきっと従うだろう。マリーの荷物をすぐさまこの部屋に運ぶ手はずを整えるはずだ。
ブラン侯爵は任務において重要な助っ人だが頼りなく、今までもリシャールに対しかなり戦いており、頼りにならない。
人が良く、気が小さいブラン侯爵。
ブラン侯爵は、マリーが王都に来たときは快く迎えてくれ、王都のための魔物退治と言う事で、無償で修道院に協力してくれた。
貴族なのに、修道女であるマリーを下に見ることなく、親切にしてもらったので感謝している。
さすがに、ブラン侯爵にこれ以上迷惑をかける事も出来ないので、マリーがリシャールの思惑どおりに同居することになるだろう。
マリーは気分が落ち着かなくなり、辺りをおもむろに立ち歩いた。
飾られるのは美術館みたいな高価な絵、部屋の中央に立派なグランドピアノ、作り付けの本棚は数冊の音楽教本だけ。
生活感が無く、実用性にかけ、人が住むようなところではないなと思いつつ、マリーはクローゼットから痣を隠すための肩の空いていないドレスを探した。
とりあえずドレスを着替えて、冷静になる為に外の空気でも吸おう。
リシャールの部屋に一人でいるのは落ち着かなかった。
(でもなんで今日は早めの夕食?)
最近のリシャールは忙しそうに朝から晩まで執務をこなしているとフレッドが言っていた。
その重要な仕事がもうすぐ片付くのだろうか。
(ずっと仕事していたから、きっと疲れているんだね。早く寝たいって言っていたし)
そういえば、別れ際、やけに熱っぽい視線だった気がする。
あれは恋い焦がれるような、切ない目つきだった。
仕事が無ければ、押し倒したいと言うような。
真面目に考えてみて、早く就寝するような顔ではなかったが。
(だいたい、甘い物って何だろう。殿下がはじめて食べる甘い物で、絶対美味しいお菓子ってなんだろうなぁ?)
リシャールは紅茶に砂糖もミルクも入れないのに、急きょ甘党に目覚めたのだろうか、とマリーは疑問に思った。
ケーキより甘い物ってなんだろうか。
リシャールが砂糖を直接舐めるとは考えずらい。
(いやいやいや! これは、危ないやつじゃない?)
いくら鈍感なマリーでもわかった。
彼の部屋で、夜で、二人っきりで、あの艶っぽい態度。
やけに早い夕食。
夕食が早いと言う事は、その後の夜も長い。
身の危険ぐらい馬鹿だってわかる。マリーにだってわかる。
続き間なんてあるから安心すべきではない。
(今日の夕食は私だ……!)
甘いとは、甘い情事の比喩だ。
マリーが急いで確認すると、入り口の扉は鍵がかかっていた。
鍵はびくともしないどころか、魔法避けまでされている。
どうやら逃がす気はないようだ。
これは正真正銘の監禁というやつだ。
マリーが『ドレスがなくても出ていく』という想定が用心深いリシャールらしい。
(殿下の事は好きだけど、そういう問題じゃない)
監禁されている時点でリシャールは頭の理性がブチギレている。
通常の神経ではしない行為だ。犯罪だ。
何がそうさせたのか、マリーには心当たりがない。
思えば、教会で別れた日以来、彼は妙に性急に距離を縮めようとしてくる。
今日はぐっすり眠りたいということだから、相当悩んでいたのは分かるが。
だが、しかし。
(ぐっすり眠るために、夕方から何するんですか?)
勝手に寝たいなら寝てください。
マリーはベッドの上に薬棚から選んだ睡眠導入剤と書き置きを残した。
寝れない言い訳に自分を使うのはやめてほしい。
マリーには本当に心当たりがないのだから。
それが恋煩いであっても、マリーが身をていして責任取る必要もないだろう。
マリーは指輪に収納しておいた魔本を取り出した。
勢いよく宙に投げる。
そして、彼女はバルコニーに出て、その手摺に足を掛け、躊躇なく飛び降りた。
ありがとうございます




