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何も聞かなかったことにするから

「考えられるとすれば、貴様は自身を卑下しているか、余程……私に惚れているかどちらかだろう。どちらかな?」


 そんなことは一目瞭然だ。

 正直、マリーは自分を卑下しているし、リシャールにも惚れている。


 よくある小説のヒロインなら、こんな場面では堂々と胸を張り、リシャールに淡い恋心を伝えるのだろう。


 出会った頃からずっと殿下の事が気になっています。

 見惚れてしまいました。

 話す声も、少し意地悪な不遜な態度も、仄かな花の香りも……。

 身分不相応と理解はしています。

 でも、いつもあなたの事ばかり考えてしまう自分が愚かでかわいそうで惨めですが……私はあなたが好きです、と。


 しかし現実、そんな無責任な告白は出来ない。

 いや、してはいけないのだ。


 マリーにとってリシャールは会えるだけで幸せな存在だった。

 本音を言うと、友達みたいに、何気ない会話をして笑っているだけでよかった。


 マリーは修道女。

 リシャールは正真正銘の王子さま。

 マリーは恋愛をするために王都に来たわけじゃない。

 期限付きで令嬢になり、潜入捜査のために社交界デビューしたのだ。

 これも、王家から魔物退治の依頼を受けたからだ。

 あくまで仕事できたのだ。


 恋と仕事は別。

 なぜかマリーはリシャールの婚約者をする事になったが、本来の目的を忘れてはいけない。

 マリーは何も言わずに黙り込んでいると、リシャールはふっ、と笑った。


「まぁ、こんな私であるから、冷静に考えてどちらでもないかもな。単に、この状況に貴様が適応出来なかっただけ、とか」

「どういう意味でしょう?」


 リシャールは体を起こして、マリーから距離をとり座った。

 マリーは呆気にとられて、徐に上体を起こした。


 マリーにはリシャールの言葉の意味が理解できない。

 だって、リシャールの『マリーがリシャールに惚れている』という推測は図星だったから。


 確かに艶っぽい経験は今まで皆無だったため、押し倒されている状況には適応できていない。

 しかし、もし彼以外だったら激しく抵抗するだろうし、助けを呼ぶと思う。  


 婚約者という肩書きがあっても、仕事だとしても、心のどこかで彼の手を振りほどけない自分がいたのだ。

 

「貴様の目の前にいるのは人間ではない化け物だ。死神の方が可愛いものだろう。一度、戦に出れば街が消える。知っているだろう?」

「え……」


 リシャールには珍しい自信を卑下する言葉だった。

 彼はいつもと変わらない平然とした態度で語る。


「人々から受ける感情は畏怖などではない。あるのは、恐怖。明らかに人間とは異なる悪魔に対する嫌悪。まぁ、世間というものは皆が共通に認識する悪者が必要なんだ」

「何を言って……」


 確かに新聞ではそういわれている。

 リシャールを『氷華殿下』としてたたえると共に、まるで冷酷な戦闘狂いと言われている。


 リシャールがひとたび戦いに赴けば、その町から人は消える。

 リシャールの魔法は、人も植物も建物も全てを凍らし、空気中のちりと化す。

 血も残らない。何も残らない。

 一番残酷で綺麗な葬り方だ。


 しかし、リシャールの言う、皆が共通に認識する悪とはどういう意味か。

 リシャールは散々な言われ方をしているが、彼の功績は国に貢献している。

 戦は無慈悲であるのは変わりない事だ。

 誰が行っても戦は戦。

 人が死ぬのに変わりはない。

 戦で民が守られているのも事実だ。

 もともとローズライン王国は国境に結界をはり、自国を守る保守的な国だ。  

 戦より交渉、工業より美術や伝統、近代化より古くからの教会信仰を重んじる。

 リシャールのやり方は倫理的に非道だからというとしても、だからといって彼だけを自国の民が批判するのもおかしな話だ。


 リシャールが悪で、誰が正義?

 なぜ悪という役割で例える?

 その裏には何があると言うのだろう、とマリーは思った。


「世の中、私を恨んでいる奴は腐るほどいる。戦争が続いているのも私のせいらしい。芸術の国を武力国家に変える悪魔だからな。私が死んだら、喜ぶ奴の方が多い。……無駄に権力と、魔力を持て余している。国のためになるなら、別に首くらいいくらでもくれてやるが」


 リシャールは他人事のように淡々と語る。

 マリーはその事実が堪らなく嫌だった。

 皆が口を揃えて彼を非道だという、その言い様がマリーは許せなかった。


「殿下はそんなひとじゃない!」

 

 たとえリシャール本人が認めていたとしても、冷酷とか非道とか、そんな言葉だけで片付けないでほしい。

 だから、思わずマリーは声を張り上げてしまった。


 彼自身に淡々と語られる事実に傷ついている自分がいる。

 そんなこと、本や記事で何度も読んだ。

 マリーは頭ではわかっていた。

 でも、そんなふうに言わないでほしい。

 お願いだから、やめて、と。


「なんで貴様がムキになる、おかしいだろう」


 リシャールは意外そうに、落ち着いた声でマリーを宥める。


「そのように言われても私は何も感じないから、同情なんてする必要ない」


 マリーはリシャールにくしゃくしゃと子供みたいに髪を撫でられた。

 マリーは今にも泣きそうな顔をしていた。


「そんな風にいわないでください。殿下は、私にはもったいないくらい、素晴らしい方で……私はただ……素敵な方と幸せになって欲しいと思うばかりです」


(私は、ただ、殿下に相応しいひとと出会って、耳飾りを外せるような、自分を大切に思える恋をしてほしい。それだけ)


 リシャールには、ずっとそばにいてくれる人が必要だ。

 人々の為に戦っても批判され、身を削って働いても誰も人間だとは認識しない。

 彼の道は険しい。

 それに加え、王位第一継承者。

 ひとりで国を背負うには重すぎる。


 マリーにはリシャールが自分を犠牲にする気持ちはわかった。

 いざとなったら、修道院のために死ぬ覚悟は下っ端のマリーですらある。


 マリーにですら共感できるくらいリシャールの責務は重く、彼に重くのしかかっている。


 だけど、願わくば、マリーは好きな人には命を大切にしてほしかった。

 ただ、自分は自分の命を仕事のためなら仕方ないと思っているようなマリーに彼を正す資格はない。

 すべてを修道院に捧げたマリーは彼の事が言えないのだ。

 どこか似た自己犠牲だ。


 だけど、好きな人には幸せになって欲しい。

 自分がたとえリシャールと、結ばれなくてもマリーは遠くから思いはせながら、彼の生末を願うつもりだ。

 それくらい、好きだった。

 

(私の知っている殿下は強がりで、すぐ風邪をひいたり、食事を抜いたり……ほっておけないひとで、冷酷な化け物なんかじゃない)


 リシャールは眉をひそめた。


「何を言う……? 貴様がいうような、好きになった者などいない。いるわけないだろう。私は、ふつうの人間じゃないのだから。恋愛などできるわけない。嫌われることはあってもな」


 リシャールはひどく、傷ついた顔だった。


「何を言って」

「貴様こそ何を言っている。……わかるだろう? 貴様の目の前にいる男に好意を向ける価値がないか、ぐらい」

「私はそう、は思いません……!」


 価値があるとかないとか決めつけないでほしい。

 マリーは真っ直ぐリシャールを見上げる。

 たくさん涙を瞳に溜めて、切なげに顔を歪ませた。


「世間では確かに殿下は恐れに値する存在です。私もはじめはそうでした。でも、殿下は普段はかなりの無礼でも見逃してくれるくらい甘くて、滅多に立ち上がらないくらい出不精で、本が好きで博識で、食事をとらないくらい仕事人間で……取るに足りない私なんかにもお節介で、優しくて」


 その優しさは上辺とかではなく、本心で。

 名も知らない私を邪険にすることなく、暖かい時間が確かにそこにはあった。

 生温い雨の様な。


「勝手になんでも教えてくれるし、ダンスの練習にも付き合ってくれるし、数限りない不敬も目を瞑ってくれて……」


 上辺だけ優しいひとはたくさんいる。

 気遣ったふりして、言葉だけ、笑顔を張り付けて。

 その場凌ぎの対応で。


 リシャールはそういうのじゃない。

 厳しいところもあるけど、マリーの可能性をはじめて示してくれた。

 期待してくれた。

 それがどれほど嬉しかったか。

 王子である彼がマリーのことなんて気に留めることすら奇跡なのに、存在を肯定してくれたのだ。


「自分で自分を悪く言わないでほしいです」


 今までの記憶が押し寄せて涙が溢れる。

 西陽に耳飾りが輝いた。

 本当はリシャールにそんな耳飾りを外してほしい。

 ゆらゆら綺麗に揺れて、マリーの心を悲しみに染める耳飾り。

 それは自分の存在を軽んじて、いつでもこの世から消えることを可能だと主張している。


「何故今度は泣くんだ」


 リシャールは呆れたようにため息をつく。

 マリーは耳飾りを外してと言えない。

 彼の心をずっと抱きしめることはできないからだ。

 辛い時、悲しい時、寄り添える未来はないのだから。

 気持ちを簡単に分かるなど言えない。

 言ってはいけない。それは嘘だから。


「……自分の事、悪く言わないでほしいです」


 ただ、マリーは本心が堰を切ったように漏れてしまった。

 絶対に言えないのは好きという二文字。


 リシャールはマリーを抱きあげ、膝に座らせ、胸の中に閉じ込めた。

 薔薇の高貴な香りが強くなった。


「私が怖いとか、軽蔑しているなら、手を振り払って逃げればいい。婚約もなかったことにしてやる。でも、貴様の顔はそうじゃないだろう?」


 ぐずぐず。

 マリーは不甲斐なく泣くしか出来ない。

 もう本格的に泣いてしまって、嗚咽しかでない。

 抑えようとしても、涙が溢れてくる。

 マリーはどうしてだろうと戸惑っても、気持ちが溢れて止まらなかった。


「貴様の話を聞く限り、私に少しぐらいは好意があるんじゃないか」


 リシャールは、勝手にマリーの部屋を作ったり、婚約を決めたりするくらいなのに、今更マリーに好意を確認するとか案外小心者なところもある。

 彼は、順序が無茶苦茶なことを気づいているんだろうか。


「なにが貴様を卑屈にさせているか知らないが、私は誰よりも」


 ちゅっ、と軽く触れた。

 唇を掠めただけのキスだった。


「ん……? な、なにを……」

「ああ、やはり言葉にしないとわからないか?」


 マリーはキスをされた事を理解し、赤面してしまった。


「やはり、もう私の事、好きだと言っているようなものだろう」


 ちゅっ。

 今度は子供にするようにおでこに軽いキスが落とされた。

 マリーは流されそうになるのを、必死で奮い立たせて口を開いた。


「殿下、実は……!」


 マリーは、ずっと引っかかっている事実を彼に何一つ伝えていないのだ。

 本当は令嬢でいる間はずっと嘘を突き通すべきかもしれない。

 そうすれば、すんなり仕事が終わったら修道院に帰れるからだ。


(私が修道女とバレたら不敬罪かもしれない。仕事も降ろされるかもしれない。だけど、殿下に正直に言いたい。それから、ちゃんと向き合って、任務が終わったらお別れしたい)


 リシャールがマリーの姿も身分も全部嘘だなんて知ったら、きっと失望するだろう。

 だけど、マリーは言わないわけにはいかなかった。

 好きな人にこれ以上嘘はつきたくなかったのだ。

 意を決してマリーは口を開いた。


「殿下……私は実は……ずっと言えなかったことがあるのです」

「……なんだ、いきなりこのタイミングで」


 リシャールは眉間に皺を寄せていた。

 まるで嫌な予感がしているように。


「別に人間、ひとつやふたつ、言えない事はあるものだ。私は気にしないぞ?」

「いえ! そんなわけにはいきません、言わせて下さい」


 マリーはゆっくり深呼吸する。

 よし、言うぞ。


「私は本当に結婚はできないんです。実は私は令嬢ではなく修道うぐっ……!」


 マリーは言い切る前に、リシャールに思いっきり口を手で塞がれた。

 まるで言わせない、というように。


「私は何も聞いていないからな」


 マリーが修道女という事実を聞きたくないから、塞いだようだった。


「何も言うな、聞かなかったことにするから。()()も今後の仕事に支障をきたすのだろう?」


(……きみ?)

 

 今まで、他人行儀に貴様としか言われていなかったから、その言い方はリシャールにしては不自然だった。


 塞がれた手が離れたかと思うと、マリーは急に体を引きせられた。

 マリーの頬にかかるのは、耳元で愛の言葉を囁くリシャールの淡い金髪だ。


「身分はどうあれ、今、貴様は私の婚約者だということに変わりはない。ちゃんと本名で婚約したから、書類上は問題ないはずだ」

「本名って……やっぱり殿下全部知っていたんですね」

「偽名では正式に婚約できないからな。例え宗教に全てを捧げようとも戸籍はどうしようもないからな。ジャンも、洗礼名と本名あるし、フレッドもそうだろう?」


 得意げなリシャール。

 リシャールはいつものように丁寧に説明してくれた。

 ちなみに彼はマリーの本名、本当のファーストネーム、『マリーローゼリー』を知っていた。

 マリーは本名と聞いて、正式に婚約したと確信した。


「少しでも私の事が好きならもうやめない。好意があるなら、それがもっと増す期待もできるだろう? 嫌いとはっきり言わなかった貴様が悪い」

「なんですかその前向きな発言は……殿下、何、首に噛み付いているんですか?」


 リシャールは無遠慮にまたマリーの首に歯を当てようとしていた。


「ふたつしか痕がないから増やそうと思ってな」

「はぁ? な、なにを言って、ちょっとやめ」


 マリーは上目遣いの深い瞳と目が合った。

 その瞳に、意地悪な色が浮かんでいた。

ありがとうございます

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[一言] リシャール殿下いい人すぎます。優しい甘い。幸せいっぱいになってほしいー!
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