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夜が来る前に

前回から時間が空きました……。

 マリーは、リシャールが婚約者になった奇想天外な夜を終えて、正常心を取り戻すのに三日かかったのは言うまでもない。


 まず、一日目は朝から新聞の記事に『氷華殿下、ブラン侯爵秘蔵娘とご婚約!」と自分の名前が載っており、教会での密会がスクープされていた事に蒼白になった。


 あわわわわ! 何だこりゃ。


 マリーは思わず飲んでた紅茶を全て吐き出し、鼻からも紅茶が出てきて、思いっきりむせて苦しんだ。

 そしてしばらく咳が止まらなかった。


 記事によると『白昼、神に背いた逢瀬』が行われていたそうだ。


(神の目の前で衣服を空中に飛ばすように豪快に脱ぎ棄て、何度も外まで響く大きな声で深い愛を誓ったそうだよ、私)


 ふぅん。すごい情熱的だなぁ。

 大袈裟なミュージカルみたいな演出だわ、と他人事のようにマリーは記事を読み返した。


(確かに私は殿下が捨てたと言い張る上着を拾ったことはあったけど。でも昼間から教会で脱ぎ散らかした覚えも、全裸になった記憶もないんだけどなぁ)


 新聞によると、日中から厳かな教会に甘い声が何度も教会に響いたって話だ。

 マリーは休憩以外、リシャールの仕事を邪魔しないように無言を貫いていたのに、どこからそんな艶めかしい声が聞こえてくるのやら。怪奇現象じゃない、それ。


 その日。思考停止に近いマリーを横目に、ブラン侯爵は婚約の話題に触れる事無かった。

 目を伏せ、小声で『うわぁ、権力って怖いな』とつぶやいていたの聞こえた。

 マリー的には、事実を知っていたなら一刻も早く教えてほしかった。


 二日目は怒涛に結婚式関連の業者がドレスのサイズ合わせなどの打ち合わせに来た。

 屋敷の前には記者が殺到。

 無論、マリーは外出できず。

 業者になされるまま、サイズを測り、大人しくドレスの生地のサンプルを見比べて、一番安いものを選んでおいた。


(だって本当に結婚しないかもしれないのに申し訳ないでしょう? いくら殿下がお金持ちでもオーダーだし、売れないと勿体無いし)


 しかし、マリーの心配をよそに、業者に「もっと華やかなものにされたらいかがでしょうか、妃殿下。予算は厭わないと申されております」と言われた。


(お金をいくら使ってもいいって誰が言ったんだろうね? 妃殿下って、誰? 私はしがない万年下っ端地味修道女ですよ?)


 空耳かと思った。


(だってまだ、結婚してないよね? 妃殿下なんて仰々しい呼び方おかしいよ。そもそも、実は私、殿下と結婚すると一言も言ってないんだよ。……ああ、でも、私の意思なんて誰も聞いてくれないだろうけど。特に殿下は無視だろうな、あの調子だと。最近あの人、頭ちょっとおかしいよね。もしかして会わないうちに頭強打したとか? 病気なったのかな?)


 マリーの疑念は絶えなかった。



 三日目には、マリーはもう現実逃避をしており、部屋にこもって、内職で描いてる挿絵の仕事をしていた。


 無意識に筆を走らせると優美な線を紡ぐ。

 童話の王子様の挿絵も、官能小説のきわどい絵も、整った眉、形の良い薄い唇、筋の通った高い鼻、やや釣り目だけど深い愁いを灯したような色っぽい瞳になる。


 結果、髪形が違うだけで、顔は全部リシャールになる。


 正直、顔は死ぬほど好きだったから、出会ってから穴が開くほど見つめていた甲斐があって、想像だけで描けるようになったらしい。

 そう。指示された絵を書けず、全く仕事にならなかったのだ。


 そして、何もしないと直ぐに思い出すのはあの夜の事。


(あの日の出来事は、任務でも何でもなくて、かといって殿下に試されているわけでもなかったのかな?)


 もしかして、真剣なプロポーズだったのか、と。


 だって、マリーが期間限定のお飾り婚約者ならば、リシャールも大金かけて大急ぎで結婚式の準備なんてしない。


 というのも、普段のリシャールはジャラジャラ魔法石をあしらった貴金属(戦闘用の武器)を身に着けており、おしゃれに見える。

 しかし、話をしていると案外、贅沢に興味なさそうだった。

 彼は無駄遣いも嫌いで、『国費が無駄だ。どうしてこんな無駄な事に金を使うんだ……世の中、だいぶ平和になったからと言って……ぶつぶつ』だとか『予算、どうすべきか……はぁ……』とか、そんなことばかり独り言でつぶやいていたから知っている。


 リシャールはいつも質素な木の机で、年季の入ったペンを愛用しているほどだ。マリーには高級紙をくれるけど、自身の暮らしは比較的質素だった。


(ああ、やっぱり本当に殿下と結婚するのかな……)


 マリー婚約という事実が、時が立つにつれ現実味を帯びて、手は震え、絵はぐちゃぐちゃになっていった。


 挿絵の仕事が間に合わなかったら、リシャールのせいだ。

 仕方ないからマリーは気を紛らわせるため、リシャールの顔みたいになった絵に髭とか変な眼鏡とか描いてみる。腹いせだった。



 四日目にて事実を確認しようと、マリーは王城の彼の執務室を訪ねた。

 教会に通っていたころは無縁だったパニエを使用し、ふんわりボリューミィーなフリフリドレスで。


 別に、久しぶりに会うから気合いを入れたわけではない。決して。


 令嬢はこれが普通なのだ。動きにくい実用性にかけたドレスは、無駄な装飾が施され、富の誇示する。

 化粧もブラン侯爵の侍女にばっちり施されて、いざ、執務室。


 マリーは意を決して扉を開くと、リシャールは仕事中なのか机に向かっていた。

 これまた腹立つほど澄ました顔をしたリシャールが、特に何も感情の無い声で「何しに来た?」と一言。


 「ああ、今日は暇なのか」が二言目。


 婚約者がわざわざ訪ねて来て、「仕事邪魔しに来たのか?」みたいなちょっと嫌そうな風にも見える。

 内心、マリーは「今日は雰囲気違うな。似合ってる」くらい、言われる事を期待していた。

 ちょっと褒められるんじゃないかと期待した自分が馬鹿みたいだった。   


 マリーはそのような普通の婚約者の反応をリシャールに求めるのはやめようと心に誓った。


 気を取り直し、マリーは背筋を伸ばして、改めて婚約の事実について「殿下と私って結婚しませんよね?」と丁重に聞いてみた。

 するとリシャールは眉をひそめて「絶対する」とだけ言って公務を再開した。


 リシャールは書類に目を通しながら、「結婚は死角から致命傷を食らう不慮の事故みたいなものだから諦めろ」と他人事のように述べた。

 リシャール曰く、「貴様が爵位のない平民、市民権を得てない蛮族、身元不明の奴隷、まぁ死刑確定の犯罪者でも私が良ければいい」と。

 それなら、修道女も平民以外のそれらよりはよっぽどいいかもしれない。

 マリーは、自分の悩みはちっぽけかも、と一瞬暗示にかかってしまいそうになった。


 マリーはひどく単純だった。

 

 リシャールは、執事として付き添ってくれるフレッドに対しては「フレッド。ローゼに近寄るな。お前は爽やかそうな顔してどこでも事に及ぶという変態だからな。どんな体勢でもできると自慢していただろう。しかも、ストライクゾーンもガバガバに広い」とこれまた辛辣な第一声。


 「フレッド。お前みたいな役立たずいつでも解雇してやる」と解雇宣告が第二声。


 相変わらずマリーの大切な仕事仲間を減らそうとしている。

 ちなみにジャンはリシャールとの死闘の末、少し怪我をしたみたいだ。ジャンは負けたので最近は大人しく神官の仕事をしているらしい。

 さらに、ジャンは妙に仕事量が増えて寝る暇もないんだとか。


 マリーは彼らの協力なくして任務はこなせない。

 ただ、ジャンが生きていたのは幸いだ。

 『茶飲み友達』だったはずのリシャールが、ことごとく仕事の邪魔をしてくるこの状況。

 もしかしたらマリーは、リシャールが任務の黒幕なんじゃないかと思えてならなかった。

 

 その日は更に運悪く、元々軟派なフレッドの悪ふざけが度を越していて、「殿下機嫌悪、人相悪、態度悪ー」と言って、彼らしくなくマリーの肩を強引に掴み、可愛く後ろに隠れた。ドロッとした甘い微笑を浮かべて。


 それを見て、リシャールが椅子から立ち上がり、あからさまに不機嫌な顔で「汚い手をどけろ、手首から切り落とされたいか?」と傍に寄って来た。

 悪びれる事もなく、飄々としてフレッドは、今度はマリーのウエストにしがみついた。


 フレッドは「怖いよ殿下。あからさまな嫉妬は醜いよ?」とふざけた様子。


 マリーはフレッドを庇うつもりで「フレッドはこの馴れ馴れしい感じが通常運転なんです!」と火に油を注いだ。


 フレッドがマリーのウエストを細いな、とかいいながらべたべた触る、リシャールがあからさまに殺気で剣を抜く最悪な状況だった。


「殿下、早まるのはやめてください!」


(これ以上、仕事仲間を減らさないで。お願い)


 マリーは剣を持つ手にしがみついた。

 フレッドはマリーの腰にしがみついている不思議なこの状況。


「貴様は……私の名前は呼ばないのにこのふざけた執事は名前で呼ぶのか」


 リシャールはさらに立腹。


「だって、フレッドはフレッドだし、殿下は殿下でしかありませんですから」    


 マリーが正直に答えたのも悪かった。


 リシャールはフレッドを無理矢理マリーから引き離し、部屋から投げ捨てるように追い出し、立ち竦むマリーにソファに座るよう促した。


 言葉もなく呆然としていたら、メイドがこれでもかというくらい焼き菓子を机に並べ、暖かい紅茶を啜るしかなかった。

 いくら待てど公務は終わらず、声を掛けられることもなく放置され、その日は退散した。


 数日前、あんなに糖度高めの夜を過ごしたのに彼の態度は素っ気なく無視され続けたのだ。

 印象的だったのは、青ちゃんが知らぬ間にリシャールの前を飛んでいて、その時だけかすかに笑っていた。

 青ちゃん、いや虫に負けたのだ。マリーは全然相手にされないのに。


 次の日は抗議しようとまた執務室へ行った。

 今度は一人で。


「ああ、今日も暇なのか。だったら、城の中を探索してレポート提出しろ」とリシャールに言われ、使用人に案内され、探検開始。


 なぜ、殿下、仮にも婚約者にレポートを提出しなくてはいけないのか?

 疑問は深まるばかりだが、マリーは大人しく指示に従い、翌日レポートを提出。


 その日の帰り際に渡されたレポートには細かく訂正、説明付きコメントが有った。

 点数は「結構甘く付けてみた。30点以上はやれないな」と言う事だそうだ。


「もっと城の作りを自分なりに考察できていればよかったが。まぁ、図書棟だけは上手くかけている」  

 しかし、これは褒めているうちに入るのだろうか、とマリーは疑問に感じた。


 ちなみに図書棟は13階からなる塔で、王家が管理する貴重な資料保管庫だ。 

 建物の中は螺旋階段になっており、壁に隙間なく貴重な本が保管されている。 

 そこの管理官とたまたま仲良くなり、いろいろ棟について説明してもらったのだ。

 だから、ほかの場所より上手くかけていたのだろう。


 結果、マリーは婚約についてまともに話せないまま、執務室に通う事となった。


 マリーは何故リシャールと婚約することになったのか。自分が何のために選ばれたのか。

 何も聞けないまま、マリーはソファに座り、持参した本を暇つぶしに読んだり、図書棟で本を閲覧したり、庭の薔薇園を散歩するしかなかった。


 10日ほど経ってから、マリーは執務室に通う事がとても無意味な行為と気づき、リシャールとの婚約の事は一旦忘れて令嬢らしくサロンや習い事に没頭してみると、3日もおかずにマリーの予定が全て無くなった。


 ブラン侯爵曰く、「習い事はもう十分ですね。マナーもダンスもお上手ですし、あとは実践あるのみです。あ、そう言えば、リシャール殿下があなたを直々に指南されるとの事です。サロンについては、城で行われているものは予定にいれておきました。暇だったら参加してください。ええっと……私は決して、長い物に巻かれたわけではありませんよ。でも、詳細は聞かないでください」と。  


 その時からマリーの予定で城に関わらないものが華麗に消えた。

 どう考えてもそれはブラン侯爵よりも地位が上の者の仕業だった。

 しかもブラン侯爵のあの怯えっぷり。

 犯人は考えるまでもない。





 後日、マリーはフレッドに婚約の件についてに問うてみた。


「おれが聞きたいよ。何したのさ。君」

「何もしてないよ、あんまり綺麗な人だからちょっと、……声掛けてみただけだよ」

「冗談で氷華殿下におねだりして絵でも描かせてもらえといったのはおれだけどさ。あの、氷華だよ? ふつう、正常な人間だったら近づかないよね?」

「まさか殿下だとは思わなくて。イメージと違って、案外、優しい時もあって……」

「え? 優しい? なにそれ。あんな怖い人、王子じゃなかったら犯罪者だよ? 毎日会っているって知った時は卒倒しそうだったよ。……おれが知った時にはもう手遅れだったんだ」

「……」

「気づかなくてごめん。マリーが規格外に呑気なの忘れていた。これじゃあ、マリアちゃんに合わす顔がないよ。一生話してくれないかも。ただでさえ毛嫌いされて汚物扱いされているのにっ、あああ」

「フレッド、ご、ごめんね?」

「殿下はルール違反だ」


 フレッドは苦虫つぶした顔だった。

 ルール違反。

 マリーは修道女として任務で派遣されている。

 それなのに、リシャールはマリーに結婚を迫ったのだ。


「マリーは普通の令嬢じゃないんだよ。このままじゃあ、ユートゥルナ様に合わす顔がないよ」 


 修道女はユートゥルナ――神の物だ。

 常識的に考えれば、いくら王族といえど許可なく無断に修道女と結婚できるわけないはずだった。


 しかし、リシャールに常識は通じない。

 しかもここは辺境の修道院から離れた王都。

 王位第一継承権を持つ彼は、この国の王に次ぐ権力者だ。

 王都での権力はリシャールの方が強い。


「でも、もう過去には戻れないから、無事に任務を成功させるまでに脱出経路を考えよう!」 


 修道院に入ればリシャールの権力は及ばない。

 ユートゥルナが絶対優勢だ。

 一歩修道院に入れば、マリーは二度とリシャールに会うことはないだろう。


「殿下は確実にやる時はやるよ? マリーが逃げると確信したら、既成事実どころかとっとと子供まで作るかもね。一番確実な日、時間を計算して、馬鹿みたいに……」


 馬鹿みたいに……? 

 フレッドはそれ以上言うのが躊躇われて、気まずそうに言葉を汚した。


「そうしたら、君の子は貴重な王族だからもう逃れないよ。だから、修道院に帰るまでは、絶対殿下に変な気を起させない事。分かった?」

「う、うん。でも、どうすればいいの……?」


 マリーには分からない。

 どうすればこの問題を上手くこなせて、無事に修道院に帰れるか。


 間違っても、マリーは王族にはなれない。

 無理だ。修道女より向いてない。


 リシャールは今はちょっと変な気を起しているが本来優秀な人であるし、ちゃんとした教育された令嬢こそ彼にふさわしい。

 それが間違いのない事実だ。


「婚約者らしくしていなよ」

「は、はぁ?」

「要は、恋人らしくして、そこそこ殿下を満足させてあげれば、そんな簡単に襲われたりしないだろ?」


 この日から、恋愛経験皆無地味修道女マリーが一国の王子相手に恋人ごっことする事になったのだ。



 辛い話題は置いておいて、最近のいい話と言えば。

 リシャールはいろいろいわれのある人物だが、婚約者となった今でもマリーにとって『安全な存在』だった。


 極論言えば、気が振れてさえなければ、昼間から手を出してこない。

 仕事中なら青ちゃんの方が興味あり。見ているだけで癒されるらしい。

 リシャールは真っ昼間からジャンみたいに口説いたり、発情することはない。


 結論的には、この前はちょっと危険な雰囲気だったけど、あれは夜のせいで、太陽が沈む前に屋敷に帰れば大丈夫!だった。

 彼は節度と常識ある人物でよかった。

 だから、マリーは日が暮れる前に屋敷に帰っていた。


 ちなみに任務に関しては、日が暮れてから例の事件現場をフレッドとともに回っている。

 路地裏や令嬢が消えたとされる果汁園、浴場付近も探索したが、足取りは掴めず、証拠すらなかった。

 おとり捜査で夜の街を歩いてみたが、声をかけてくるものもいなかった。

 街は夜も明るく街灯が照らし、屋台が並んで、平和を描いたような王都。

 リシャールの結婚、婚約のニュースにかき消されて、表沙汰にはならない物騒な事件など誰も知らずに今日も人々は暮らしていた。


ありがとうございます

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― 新着の感想 ―
[一言] 声を出して笑った箇所がたくさんあったのですが、任務もこなしていたみたいで安心(?)しました。 続き楽しみです。
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