秋になったら、また薔薇が咲くだろう②
前の話が一話で収まらず、続きになります
マリーはあれからふらふら立ち上がり、ソファに座って頭を抱えていた。
リシャールは手際良くポットにお湯を入れ、茶葉を蒸している。
彼はカップに紅茶を注ぎマリーに手渡した。
「ありがとう、ございます」
夜はだいぶ冷え込んできていた。
マリーのドレスは露出が多く、思いっきり肩を出していたので、リシャールがブランケットかけてくれた。
(こういうところは優しいのよね)
この前までわざわざ王子様にお茶を淹れてもらい、素直に喜んでいた自分が羨ましい。
思えば、リシャールは結構初期からマリーを気に入っていたのかもしれない。
マリーはリシャールに初対面で謀叛の疑いをかけられても殺されなかったし、毎日教会にスケッチに行っても邪険にされず、彼はお茶まで淹れてくれた。
挙げ句の果てに靴のプレゼント。
(どうして気づかなかったのだろう。馬鹿は自分だな)
リシャールがマリーのどこを気に入ったのか分からないが、いや、気づいていたらすぐに身を引いたのに、引けないところまで追い詰められてしまった。
マリーは、修道院では畑仕事の合間に無償で手伝いに来てくれた農家の人々に差し入れするのが当たり前だった。
学校に手伝いに行っても同年代の男性教師、女性教師関係なく取れた野菜をプレゼントしたり、一緒に校舎改築のために尽力を尽くした。
しかし、令嬢というものは、婚約者以外と二人っきりにもなれず、狭い世界を籠の鳥のように過ごすのが常識らしい。
野鳥だったマリーには知らず知らずに、はしたないことをしていたみたいだ。
本当にマリーには絵を描きたいという思いだけで、リシャールに下心などなく、彼の花嫁など大それた身分を望んだことはなかったのに。
マリーは単純にリシャールの明晰な意見や国に対する考えを学びたい思いが強かっただけなのだ。
それは一種の憧れなのかもしれない。
確かにリシャールの容姿が美しいのも、絵のモデルとして彼を描きたい対象になった理由だ。
それはマリーが教会に通うきっかけにはなったが、近頃は本当に『リシャールと友達のような気分でお話する』ために会いに行っていたのだ。
マリーにとってリシャールとの時間は異文化交流のようで飽きなかったから。
彼はマリーがどんな些細な事を何を聞いても率直に答えてくれる。
受け答えの中には常識外の事もあったが、それは先進的な発想で、いつも真新しく世界を開くようだった。
閉鎖的な修道院で過ごすマリーにとってその言葉は輝いて見えたのだ。
だから、断じてマリーはリシャールに対して、恋人ましては婚約者なんて大それたもの、全く望んでない。
あまりにも、マリーとリシャールの差は大きすぎた。身分、教養、術、能力。庶民と王族の壁。
リシャールとの時間は王都の素敵な思い出にしたかった。
だからあの日、ジャンに中途半端に関わるなと言われてマリーは目が覚めたのだ。
マリーとリシャールは住む世界も違うし、どうせマリーは修道院に帰る。
もしリシャールに婚約者がいたらなおさら、浮気だと思われるだろう。
耳飾りの件もそう。
リシャールは王子なのに、何故捨て身で戦に明け暮れているのだろうかと知りたい気持ちはある。
だか、マリーにリシャールの抱える問題をジャンのように止めたり、一緒に向き合う時間はない。
マリーの願いはただひとつ。リシャールが素敵な令嬢と出会い結婚することだ。
もしマリーが社交界でリシャールに似合う聖女のような人物を見つけたら彼に紹介したいと思っているくらいだった。
それなのに。
マリーはため息をついた。
(もし、殿下が本当に私が修道女だと知らなかったら? いいえ、知ったとしても、私は無事に修道院に帰れるのかな?)
マリーは悶々とする。
「今日はどうする? 泊まっていくか?」
考え込むマリーの横にリシャールは座って、覗き込んでくる。
「帰りますよ、もちろん。休憩室にずっといるわけにいきませんし」
「疲れただろう、ゆっくり休んで行ったらどうだ?」
リシャールが腰に手を回してぎゅっと引き寄せたところでマリーの思考回路が現実切り替わる。
マリーは気づく。
あからさまな密着、密室、目の前にはクラクラするほど綺麗な顔で優しく微笑む王子様。
気が緩めば、その深い色の瞳、水底に沈んで溺れてしまいそうな。
(そう言えばこの休憩室、馬鹿でかいベッドがあったな)
天蓋付きの夢見る乙女のベッド。
枕は沢山ある。
装飾品もロマンチックだ。まるで恋人の情事が行われてる官能小説のワンシーンみたいだ。
横には女より優美な王子様が息がかかりそうな距離にいる。
(ん? まさか。装飾品外したのは寝る準備?)
マリーはそこでやっと事の重大さを理解した。
「絶対、帰りますっ」
マリーは急いで靴を脱ぎ、両手に持って駆け出した。
リシャールはどういう顔をしていたかわからない。
マリーは瞬時にリシャールを思いっきり押しのけて、駆け出したのだから。
無礼は承知。
ああ、度重なる無礼過ぎて、キリがない。
今日だけでも、身分詐称、強打による傷害罪だ。
もう、不敬罪の覚悟はできている。
夜空には星が瞬き、半分の月が当たりを照らしていた。
もう時計は十二時近くだ。
夢見る舞踏会はもうお開きだ。
マリーは来た道を小走りで辿りながら、呪文のように唱える。
私は修道女。
私は修道女。
結婚なんてできるわけない。
昔は身分があっただけ。
(昔の身分なら、殿下と結婚できたけど)
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マリーが帰った後、リシャールは逃亡して行ったマリーの姿を思い出して、彼らしくもなく声をあげて笑った。はははっ、と。
愛くるしい動物が驚いて逃げていく様子を見るような感じだ。
「……靴、大事にしていたんだな」
マリーは物語のシンデレラとは違い、しっかり靴を脱いで両手に抱えて走って行った。
リシャールは彼女を追いかけることも引き止めることもせずに、心の中で愛しい人に言うように優しく『おやすみ』、と挨拶をしたぐらいだ。
ちなみにリシャールは、物語の王子のように靴を頼りにしなくとも、彼女がどこへ逃げても、どんな格好をしていても、見つけ出す自信があった。
もし、明日、「殿下さようなら、お世話になりました!」とあっさり言われて姿をくらましても、探し出す自信がある。
リシャールは教会で彼女と会う中、確実に彼女から自分に対して好意を感じた(それは絵のモデルとしてかもしれないが)。
しかしながら、それなのに彼女はリシャールに、ある日突然さよならと言える人物なのだ。
その事情は大方察しがついたが、彼女は自分の気持ちを押し殺すのがうま過ぎた。
ジャンが古教会に乱入してきたあの日、彼女にあっさりお別れを言われてリシャールは結構傷ついたのだ。
人生初の失恋を経験したような気分だった(実際、リシャールは彼女に告白すらしてないが)。
まぁ、今となっては勝手に婚約してしまったけど。
(靴ひとつで喜んでくれるとは。うれしいな)
リシャールる素直に喜んでいた。
リシャールは、こんなことなら久しぶりに王族の伝統工芸である硝子細工作りでもしてみようかな、とすら思っていた。
ありがとうございました!




