青い部屋
広場を出て、長い回廊を渡った先に休憩用の客室が並んでいた。
マリーはリシャールに抵抗しようと何度も手を振り払おうとしたが、びくともしないところが、全く動かすことすらできなかった。
彼女の抵抗は虚しく、その小さな手はリシャールの長い指に絡められ、握られた力はますます増すばかりだった。
マリーはリシャールに何度も、「どこに行くんですか?」とか「離して下さい!」と訴えたが、全て見向きもせず、無視された。
客室の中に入り、頑丈そうな内鍵がかけられたところでマリーはやっと手を離してもらえた。
連れてこられた客室は建具に手の込んだ薔薇の彫刻が施されており、いかにも高そうな異国の絨毯が敷かれ、室内は青を基調として落ち着いた色合いでまとまっていた。
家具は薔薇のクッキーが置かれた机、長いソファが向かい合うように二脚、奥には天蓋付きのキングサイズのベッドがあった。
ベッドまである変わった休憩室。
マリーは直感で悟った。
(もしかしたら、この部屋は……!)
今までマリーにとって、縁もゆかりもなかった豪華な部屋を見渡す。
(貴婦人が窮屈なドレスや高いヒールで疲れた体を癒すために主催者なりの心遣いがこもったオモテナシルームだわ!)
さすが、貴族、とマリーは感心した。
相手を敬う気持ちが、スマートだと。
しかもベッドに天蓋なんてつけて、ロマンチックな令嬢好み。
またひとつ、マリーは貴族文化を知ってしまったと思った。
(絵に活かせるかもしれない)
一瞬、強引に連れて来られたのを忘れ、マリーは感動し、立ち尽くした。
「何、ぼーっと突っ立っている、座れ」
リシャールはいつの間にかソファに座っており、ジャラジャラ付けた腕輪なり指輪なり外して、机に置いていた。
(あれ? なんで、アクセサリーを外すのかな?)
肌身離さずつけているリシャールのアクセサリーたちは魔法石をあしらった武器でもあるとジャンが言っていた。
アクセサリーに魔法石をつけて持ち運び、魔法の強化のために使用しているらしい。
(今日はもう戦わないから必要ないのかな?)
マリーはリシャールに促され、向かいの席に腰掛ける。
やっと座れて、少し体が楽だった。
貴婦人が着るドレスというものはもれなくコルセットという下着を装着しなければならないのだが、これが慣れてないと苦しい。
初めて着用した時は立っている時に血の巡りが悪くなり失神しそうになったほどだ。
マリーはゆっくりと息を吐いた。
できるものなら、全部脱いでそのふかふかのベッドに寝たいくらいだった。
「慣れない格好で苦しそうだな」
リシャールはマリーの事なら、なんでもお見通しなのか、心が読めるのかわからないが、その通りだった。
「やっぱり慣れないとつらいです。殿下もお疲れですか? 私に気にせず楽にして構いませんよ」
マリーは連れてこられた時はなにされるかと思ったが、リシャールは大人しく、せっせと装飾品を外し、専用のガラスケースに閉まっていた。
軍服の上着も脱ぎ、シャツの首元のボタンを二つも外している。
マリーはリシャールの鎖骨付近が露になり、少しドキッとした。
綺麗な首筋、鎖骨、あと二つくらいボタン外したら胸まで見えるかな、なんていやらしい事を考えてしまう。
あまりの色気に、今なら甘美な絵が描ける気もした。
「コルセットはずしてやろうか?」
「え?」
「脱がしてやる。苦しいだろう?」
マリーは『殿下は何を言っているんだ?』と一瞬戸惑った。
リシャールは男だから、最悪上半身裸でもまぁいいかもしれない。
しかし、マリーは曲がり間違っても、全然リシャールみたいに色気がなくても、一応胸だってあるし女だ。
脱ぐという行為は、いくらリシャールが全然マリーを女として意識していなくても、プライドが許せなかった。
地味で男っけのない修道女でもそれくらいの恥じらいはある。
リシャールはきっと経験豊富だろうから、綺麗な令嬢のコルセットを外し慣れていて、苦しんでるマリーを見るにみかねて提案してくれているのかもしれない。
リシャールがマリーの胸なんか見ても、全く得がないと、マリーは確信していた。
「いえ、いいです。殿下。もし脱ぎたいようなら勝手に脱いで頂いてもいいですよ」
「そんなに私の裸体がみたいのか?」
「はい、ちょっと見てみたい気もします。勉強になりますし」
絵の勉強に。
「貴様が脱いだら、脱いでやってもいい。私だけ脱ぐのは恥ずかしいだろう」
「恥ずかしがらないでください。私しかここにはいません」
気を利かせてマリーは微笑んだら、リシャールは黙り込んだ。
「……」
なぜかリシャールは少し腕を組み、考え込んだ。
マリーは用意されていた水をコップに注ぎリシャールに手渡すと、彼は一口その水を飲んだ。
マリーは、机に置いてあったクッキーを摘みながら、「ああ、会話が途切れたな、何で私ここにいるんだろう?」とか「ジャン先輩どうなったの? どうかご無事で!」と神に祈ったり思考回路は忙しかった。
「ジャンとのお茶は楽しかったか?」
静寂を破るようにリシャールがマリーを見据えた。
「あ、まぁ。先輩は、ああ見えて優しいところもありますし、殿下が心配なさらずとも大丈夫ですよ」
マリーはばっちりジャンのフォローをした。
一応、あれでも上司だ。それは部下としての勤めだった。
「お手付きになったのか?」
「お、お手付き……?」
なんだかマリーにとって、予想外な言葉が聞こえた。
「……何のことでしょう?」
「二人で出かけて何もないわけない」
(いや、何もないよ?)
リシャールは真剣な顔ですマリーを見ていた。
(あれから何度か会ったけど、ジャン先輩は『誓約書』にサインしたし、部下と肉体関係持って懲戒免職はさすがにきついだろうし)
ジャンが契約を破り、苦労して得た神官という名誉、職を失うほど、マリーに籠絡してしまうとは考えられなかった。
そこまでの魅力はマリーない。
しかし、リシャールは大きく勘違いしているようである。
「ジャンならあり得る。あいつは根っからの変態だ。伊達に二十年近くあいつと関わっていない」
二十年、とはそれは幼馴染というやつだ。
「私が保証する」
「……」
マリーはなんて言い返したらいいかわからなかった。
「見えるところに痕はないようだが……」
リシャールは立ち上がり、マリーの体に一通り視線を這わせた後、ハーフアップに下ろした髪を手でかき分けはじめる。
「きゃっ、殿下?! 何をされて……」
「痕がないか、確認しなきゃな。ああ……ないな。首の後ろや鎖骨付近にないとすると、やっぱりコルセットは脱がないといけないな」
「痕、などいうものはありません。おふざけはやめてください」
マリーは立ち上がり触れてくるリシャールの手払うように叩く。
パァァン。といい音が響いた。
「信じられないな。……浮気者の言うことは」
浮気者も何も、つい先日まで教会で会っていただけの茶飲み友達風情のリシャールに、浮気者など言われる筋合いは毛頭なかった。
マリーが、仕事以外で男性と二人きりで個人的に会ったのはリシャールだけだ。
しかも、もしジャンとの仕事の打ち合わせが仮に『お茶』だとして、リシャールの浮気の定義は二人きりで話した時点でアウトということらしい。
リシャールは苛立ちげに、強引にマリーを抱えて、ベッドに下ろす。
「きゃっ……!」
見下ろす瞳は怒りを含み揺れており、怪しげな色をしている。
「やけに胸元が空いた服だな。こんなのすぐ脱がされるだろ。ああ、男を誘っているのか?」
リシャールは、胸元のドレスに指を引っかけて遊んだ。
「これは私が選んだわけじゃ……」
「あいつの趣味か、なるほど。そこまで親密なのか」
「そんなんじゃあ……」
「どうやって、食べられたんだ?」
リシャールの言葉に愕然とし、思わず言葉が出ない。
一瞬、リシャールが苦しげに眉を顰めたかと思うと、肩を押さえられ、首に唇を這わせてきた。
「ちょっと、やめて、お願い」
「あいつは良くしてくれたか?」
「よく、って……」
(どうしてわかってくれないの?)
「貴様は優しくされるより……案外、強引なのが、好みなんだろう」
どうやら、聞く耳を持たないらしい。
もういっそ、潔くコルセットを脱いで身の潔白を証明するしかないのだろうか?
やましいことなんて、無いのだから。
(私が脱いだら殿下は……許してくれる? 信じてくれるの?)
身の潔白が証明されれば、リシャールはまたいつものように、マリーに不遜な口調ながらも、優しくしてくれるのだろうか。
どうか悪い冗談であって欲しい、とマリーは嘆いた。
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