蝶は空気を読めない
夜会は夢の国のようだった。
様々な色のドレスを着た令嬢、礼儀正しく優雅な令息たち。
ダンスホールには管弦楽団の奏でる音色が響き、食事ブースには見たこともないような豪華な料理が食べきれないほど並ぶ。
ブラン侯爵曰く、ちょっとした夜会から慣れていこうということで、参加したのだが、マリーは度肝を抜かれるばかりだった。
今宵、マリーは、このちょっとした夜会で社交界デビューを果たした。
ブラン侯爵に連れられて、馴染みの貴族を紹介され、挨拶回りをして一息ついた頃。
マリーは自分の存在をより認識してもらえるよう、術を使い、蝶を飛ばし、雪のような花びらに変化させ、会場一面を彩る芸を披露した。
辺りから感嘆と、マリーに興味を持った者たちが集まってきた。
マリーはブラン侯爵の娘という事になっている。
しかし、ただの辺境地にずっといた設定の侯爵令嬢では、任務終了までのたった数ヶ月で人脈を広げるのは難しいのが現実だ。
だから、フレッドの助言により、多少目立つことで、もしかしたらターゲットも近づいてくるかもしれないと思っての術の披露だった。
だから、マリーはとりあえず社交界で目立ち、かつ夜会をこなす必要があった。
今回の任務は主に若い女性が血を抜かれて殺されている事件の犯人探しだ。
被害者は、娼婦からはじまり、最近は令嬢まで広がっているらしい。
被害者はちょうどマリーのような年頃で、若く小柄の茶髪でエメラルドの瞳の女性ばかり狙われているそうだ。
マリーは潜入捜査をしながら、囮になるつもりだった。
ただ、犯人は儚げな美少女または美人が好みなので、平凡なマリーがいくら着飾ったところで、そう簡単に拐ってくれる気もしなかったが。
「素敵な術ですね、とても感動しましたわ!」
「ユートゥルナ修道院学校をご卒業されたんですって? 憧れますわ」
気がつけば、マリーの周りに令嬢たちが近寄ってきた。
どの令嬢も洗練されていて、ドレスはもちろんアクセサリーも全て流行の最先端だ。
ちなみに、マリーが身につけているのは大胆に胸元が開いた夜闇のような紺のドレスだ。
マリーは自分にはこのドレスが大人っぽいかと思ったが、ジャンの目利き通り周りに浮くこともなく、こなれた感じにダイヤ耳飾りが揺れてよく夜会にあっていた。
ジャンのセンスは、マリー自身が選ぶより、おしゃれだった。
靴については、やはりオーダーは間に合わなかったため、先日リシャールがくれた硝子の靴だ。
誰が見ても、明らか王族が異能で創り出したような硝子の靴は目立つ。
幸い、その靴はドレスの裾に隠れて見えなかった。
今日は小さな夜会だから、多分依頼主であるテオフィルも参加しておらず、あまり気を張らずに雰囲気だけでも慣れるようフレッドに言われていた。
マリーが令嬢たちと談笑していると、ダンスの曲が流れ始めた。
マリーは、『誰にも誘われない令嬢は壁の花になる』と聞いていたが、誘われない前提で壁際に身を寄せると、令息たちが寄ってきた。
マリーを取り巻いている令嬢たちを、彼女たちの婚約者がお迎えに上がったのだろう。
皆、愛しい人の手を取りダンスホールに向かった。
マリーは、彼らのために、また魔本から蝶を出し、場を彩った。
宝石のようなシャンデリア、麗しい人々、優美な音楽。
それに花を添える蝶たち。
今日は緊張していたけれど、マリーが出席することで喜んでもらえたし、来てよかったと思い、今度こそ一息ついた。
マリーはこんなにも蝶魔法を喜んでもらえるなら、しばらく蝶たちは回収せずにいよう、と思った。
マリーは、食事ブースで配られた葡萄ジュースをひとくち飲み、緊張してカラカラになった喉を潤した。
しかし、なぜか、マリーは先程から令息たちの視線を感じた。
マリーは呑気にあたりを見まわしていたところ、集まってきた令息ひとりと目が合い、声をかけられた。
「ブラン侯爵令嬢、よければ、ダンスのお相手をして頂けないでしょうか?」
青年は育ちが良さそうな柔らかな物腰で、柔和に微笑んだ。
誘われたのはいいものの、今日マリーの婚約者ということになっているジャンの姿がまだ見えないのだ。
本来ならジャンと一曲くらい踊ってから、社交のため青年と踊るべきなんだろう。
しかし、ジャンはいくら探してもいない。
ジャンはあれほどマリーと夜会に参加するのを喜んで、ドレスを選んでくれたり、マナーを教えてくれたり、熱心だったのに。
ジャンは、ユートゥルナに言われてやましいことはしないとフレッドの前で誓いを立て、署名をした彼は今までが嘘だったかのように紳士的だった。
それにジャン仮にもマリーの上司だ。仕事とプライベートはしっかり分けているのだろう。
まぁ、時々ジャンにマリーは少し手を握られたり、腰に手を回されたりするが、胸を触られたりキスせれるわけでもないし、この程度なら友人フレッドも馴れ馴れしいところがあるし、気にしないことにしていた。
ちなみに事件についてはマリーが休暇の間、いち早くフレッドとジャンがある程度は調べていたらしい。
実はフレッドは随分前から王都関連、王族関連の任務についていたそうで、今回は自分の仕事と掛け持ちで付き合ってくれていた。
しかも、フレッドはリシャールと以前から親交があり、リシャールの執事的なものまでしていたというから驚きだ。
世界はすごく狭い、とマリーは感じた。
知り合いは知り合いの友達的なやつだ。
いつまで経ってもジャンは現れないので、マリーは一先ずこのダンスに誘ってくれた令息の好意を素直に受け取ることにした。
「私でよければ、喜んで」
「ありがとうございます」
マリーは令息の手を取り、歩み出したその時だった。
当たりが妙にざわざわしたかと思うと、静まり返り、楽団の音色すら途切れてしまった。
会場が冷気を纏うように、温度が下がってきている気がした。
貴族、令嬢、令息、従者、すべての人々が道を作るように左右に分かれ壁際に寄る。
(誰か、来るの……?)
その道はマリーの目の前まで続いている。
マリーも邪魔にならないよう青年と移動しようとした。
ダンスホールの空中を蝶たちがひらひらと、呑気に、つまり場違いなほど、空気を読まずに飛んでいた。
(あれ……? あの人って……)
マリーは生唾を飲んだ。
そんなはずはないと思いながらもマリーは、人々が左右に分かれて迎える高貴な人物ーーマリーを真っ直ぐ見つめてその道をゆっくりと歩む軍服を着た人物を唖然として見た。
どんな美しい令嬢も敵わない美貌。
歩いているだけなのに、見惚れるような物腰。
混じり気のない、淡い金髪。
白い肌、深い神秘の水底のような瞳。
「術は見せびらかすものじゃないぞ?」
そして、マリーの身体に響く、低くて吐息のような声。
「殿下なぜ……?」
(なぜここへ?)
リシャールの視線が、令息とマリーの繋いだ手に行くと、令息が慌てて手を離した。
白地の軍服。王族ではなく、軍の騎士団長などが着る正装だ。
リシャールは王子でありながら軍を引いて戦にでることもあり、軍人としては正装であるから夜会で着ていてもおかしくはなかった。
「ローゼ。夜会は初めてだろう? 貴様がどうしているか気になってな」
「は、はぁ……そうですが、今日は王族の方々は出席されないとお聞きしてましたが」
「王族? 今は軍人だ。見てわからないか?」
格好の問題だろうか、とマリーは思った。
リシャールはじろじろとマリーを見た。
「その男と踊るつもりか?」
「そうなんです。親切な方のおかげで壁の花にならずに済みそうです。……あれ?」
気づくとマリーの横に居たはずの青年の姿がなかった。
というか取り巻いていた人々もいない。
みんなすぐさま壁際に寄り、リシャールとマリーの様子を固唾を飲んで見守っている。
リシャールは少し口角を上げた。
「可哀想に、逃げられたな。もう、今夜は誰も踊ってくれないな」
リシャールの存在に慄いて、マリーに誰も寄って来なかった。
(ああ、そうだ。殿下は世間では非情で冷酷な王子だと言われているんだ)
誰もがリシャールに逆らえばその場で処刑されると思っている。
出会う前のマリーも、リシャールの気に触れたら謀叛で殺されると思っていたから人の事は言えなかった。
それくらい仰々しい人物が、普段滅多に社交界に姿を見せないリシャールがこんな小さな夜会にいるのだから、驚くのも無理もない。
「……殿下、何か御用ですか?」
失礼のないようにマリーは恐る恐る聞いてみた。
前回は、喧嘩別れというわけではないが、気まずい別れ方をしている。
せっかく女たらしのジャンから助けてくれようとしたリシャールの思いを踏みにじり、マリーは憧れのジャン先輩とお茶に行きたいとか言った挙句、早々と逃げるようにフレッドと立ち去ったからだ。
別にマリーはリシャールと恋人だったわけでもないし、マリーが誰とお茶しようがリシャールには関係ないから問題ない、無罪なのだが、気まずい。
なんとなく。
「慣れない夜会でどうしているかと心配して、わざわざ公務を済ませて会いに来てやったのに、つれないな」
「……心配?」
「当たり前だろう。小さな夜会とはいえ、一人で心細かっただろう? 遅れて悪かったな、婚約者殿」
ざわざわざわざわ。
辺りが騒つく。
全く女っ気のない、人殺が趣味と謳われている非情な殿下から婚約者というびっくりな言葉が出た。
(婚約者? 誰の事だろう)
マリーの目の前にはリシャールだけしかいない。
当然、『我こそはリシャール殿下の婚約者です!』 と名乗り出る令嬢もいない。
案外、リシャールの婚約者は内気で、清楚で、恥ずかしがり屋さんなのかもしれない、とマリーは悟った。
マリーは微笑んで、リシャールを見上げた。
「殿下、やっぱり婚約されたんですね。おめでとうございます。少なからず私からもお祝いしたいです」
「ありがとう」
リシャールも少し照れているのか、ふふっと笑みをこぼした。
「私に出来る事なら、なんでも言ってください! 蝶魔法なら結婚式とかお祝いの席で役に立てる気がします。殿下には本当に感謝してまして……」
「何でもしてくれるのか、それは……うれしいな」
「私に出来る事だけですよ? ……でも婚約者さんいないですね。おかしいなぁ」
マリーは辺りを見回したが、壁際の令嬢たちの中にそれらしい人物はいなかった。
マリーが首を傾げると、リシャールが恐ろしい事を言った。
「婚約者殿はいるじゃないか、ここに」
リシャールはマリーの肩に手を置いて、微笑んだ。
「……もしかして、婚約者って私のこと言ってます?」
愛しい人を見るような優しい顔をしているリシャール。視線の先は何とマリー。
(何の冗談かしら? 悪ふざけ? それにしても綺麗な微笑みだな。前々から殿下は笑ったら絶対素敵だと思っていたけど、やっぱりかっこいいなぁ)
マリーはリシャールらしくないとびっきりの甘い視線に動揺し、視線を外した。
そして、ある事に気がついた。
(え、嘘……?)
マリーが確認しようと、リシャールの服をまじまじと見ると、袖が微かに血で汚れていた。
(もしかして)
マリーは蒼白になった。
リシャールはマリーに言い聞かせるように言った。
「私の婚約者は、目の前の君しか有り得ない。そんな意地悪な事を言って私を困らせるな。今日は邪魔な者を始末していたら時間に遅れてしまったんだ」
本来婚約者役のジャンが来なくて、代わりにリシャールが来たこの状況。
マリーは理解してしまった。
「邪魔者はもういない」
邪魔者、それはもしかして。
(殿下は夜会に来る前に、ジャン先輩を手にかけたの……?)
さーっとマリーの血の気が一段と引いた。
(ジャン先輩、何やらかしたの? 本当に殺されたの? 矢とか飛ばしたり面白半分で殿下に突っかかるから悪いんだよ! 私には殿下から手を引けといっておいて、自分は始末されたなんて……!)
マリーが頼りにしていた上司が消えたと確信した瞬間だった。
ジャンはちょっとやらしい人だったけど、悪い人じゃなかったな、と今更思う。
ジャンは欲求に誠実過ぎて、人としての道を踏み間違え過ぎただけで罪はないのに。多分。
「ああ、顔色が悪いな」
「ジャン……先輩」
思わず亡き人の名前を呟くと、リシャールが眉根を寄せた。
そして、夜会に参加している皆にリシャールは言った。
「婚約者殿は慣れない場所でこの様にお疲れだ。少し休ませる。皆、私達に構わず夜会を楽しんでくれ。邪魔して悪かったな」
リシャールはマリーと手を繋ぎ、彼女を引きずるように会場を後にした。
ありがとうございます




