好きな人には幸せになってほしい
マリーはユートゥルナのほかにもう一人、リシャールという親切な魔法使いに出会ってしまった。
御伽話のシンデレラみたいに、マリーは王子様と結婚は出来ないけど。
それは偽物づくしの侯爵令嬢にはもったいない魔法だった。
「……ありが、とうございます」
マリーの身に余る贈り物だった。
男性から生まれて初めて頂いたプレゼントがガラスの靴なんてなんてロマンチックで幸せなんだろう、とマリーは感激した。
(殿下にとって、どうってことない贈り物なのかもしれないけど)
きっとリシャールはモテないとか言っておきながら、他の令嬢にもこんな風にプレゼントをしているんだろうな、とマリーは思った。
それにマリーは自分だけが特別なんて思ってはいけないのだ。
(私は修道女で、絵具まみれのマリーなんだから)
たまたま教会でリシャールに出会って、なんとなく仲良くなった、そんな関係。
だいたい、修道女と王子様が結ばれることなんてないのだ。
修道女は生涯独身だし、王子様は国の為に異国の姫と結婚するのが当たり前。
しかも、マリーはいまだにリシャールに修道女であることを言えないでいる。
(私が修道女だと言ったら、勘のいい殿下は王家の依頼に気づくはず。もし、殿下が依頼主じゃなかったら、私は潜入捜査している事を自分からばらすことになるしなぁ)
本当なら、マリーはリシャールに身分も名前も、何も隠さず出会いたかった。
(私は令嬢でなければ、殿下に相手にすらされていないだろうけど)
マリーが物思いに伏目がちになっていると、リシャールは何を思ったのか、「ああ、靴だけ準備しても意味ないな。じゃあ、本格的に行こうか」と言って氷魔法を使った。
また霜が降りたかと思うと、あっという間にマリーの服が、淡いブルーのドレスに変わった。
そのドレスはチュール素材のフリルがふんだんに使用され、胸元にはパールが縫い付けられているばかりではなく、複雑な薔薇の刺繍が施されている。
まるで妖精のようなドレスだった。サイズもマリーにぴったりだ。
「少しでも練習の成果をみせろ」
リシャールはマリーの手をとって、教会の中央まで歩いて行った。
気を利かせた兵が急いでパイプオルガンまで行き、ダンスでよく使用される『薔薇姫』を弾き始めた。
(とても素敵な時間……夢、みたい)
正真正銘の王子さまと茜空の中、幻想的にステンドグラスが輝いた。
リシャールはダンスが上手だった。
彼のリードは踊りやすく、マリーは苦手なステップもすんなりできた。
(……たのしい。こんなにダンスが楽しいと思わなかった)
あんなに社交界デビューを嫌がっていたマリーではあるが、今ならわかる。
世の乙女の憧れである社交界というものがどんなに美しいものか。
(いや、違う。ただ、ドレス着て着飾ってもダメなんだ。私が嬉しいのは……)
マリーは目の前にある端正な顔を真っ直ぐ見上げた。
(この時間を殿下と過ごせること)
マリーはいくら自分が偽物の令嬢でも、今この一瞬がどの令嬢より幸せだった。
気持ちだけなら、王子に嫁いだ姫より幸せかもしれない。
「ニマニマ笑うな」
リシャールに指摘されてハッとするが、嬉しいという気持ちは隠しようがない。
「……やっぱり殿下は、御伽噺の王子様みたいです」
「おかしなことを言うのは貴様くらいだ」
リシャールは言葉とは裏腹に、とても優しい顔であり、かすかに微笑んでいた。
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一曲終えて、マリーは立ち止まった。
「殿下は結婚話はないのですか?」
それは、ふとした疑問だった。
リシャールはこんなにきれいで、王子様で、素敵な方だ。
テオフィル殿下も結婚したので、第一王子のリシャールにその様な話があってもなんらおかしくない。
マリーは嫉妬とか、そういうのも全くなく、もしリシャールが結婚することになったら、マリーなりに友人としてお祝いがしたいという気持ちが強く、訊いてみたのだ。
一瞬でも夢を見せてくれた優しい友人であるリシャールへ、感謝を込めて絵でも贈れたらうれしい、と。
「なくも、ないんじゃないか」
何の感情もない声が教会に響いた。
「どうせ、政略結婚だろう」
「……そうかもしれませんが、きっと素敵な方だと思います」
「なぜ?」
「政略結婚でも、殿下が選んだ方です。聡明な殿下に認められた方でしょう?」
リシャールは何も言わなかった。
「きっと教会で愛を誓う日がくるんでしょうね」
リシャールの結婚は責務みたいな絶対事項だ。
そんな日がいつか必ず来ることは誰でもわかる。
政略結婚でも、リシャールなら、マリーが知っているリシャールなら、未来の花嫁を大切にし、国を守っていくだろう。
マリーは確信していた。
一方、修道院に身を捧げたマリーは結婚対象の女ではないし、マリーが結婚する日は永遠にこない。
マリーは少し切なくなった。
「私が教会に何を誓うというんだ? だいたい、私は無宗教だ」
「あははっ。そうでしたね」
「神やら教会やらに、誓うことなんてないからな」
2人は特に言葉をなくし、辺りは静寂に包まれた。
軽い冗談を交わしてその日は終わった。
マリーはその日から、リシャールがくれたガラスの靴をなんとなく眺めてるのが日課になった。
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「ねぇ、リシャール。本気? どうしちゃったのさ」
マリーが帰った後、王宮に帰り、珍しくリシャールは執事を呼びつけた。
ジャンあての命令ともとれる書状を執事に投げ渡す。
珍しくいつも飄々としている執事の顔に動揺の色がにじんでいた。
「殿下、本気? こういうのは専門外な感じするんだけど……わざわざ君がする案件でもないような……」
執事は書状を何度も確認して、「なんで」「どうして」などとつぶやいた後、主人を穴が開くほど凝視する。
「ああ、私も結婚したくなったんだ」
リシャールは仁王立ちに腕を組み、いかにも不遜な態度で言ってのけた。
きっぱりと答えるリシャールを見て、執事は目を丸くした。
「結婚って……いやこれは、違うだろ……」
執事が言い終わる前に、リシャールは早足で立ち去ってしまう。
執務室に残された執事は頭を抱えたい気持ちだった。
どういう風の吹き回しかわからないが、宗教心の全くない王子が今回の依頼に興味を持ち始めた。
今回の件にリシャールが力添えするなど絶対にありえないと思っていたからだ。
たいてい、目に見えないものは信じない彼は宗教だの、神だの軽んじている。
もともとジャンを通して、王族に修道院に依頼するように頼んだのは執事だった。
テオフィルやジャンはしっかり事態を理解してくれたが、リシャールは何度も書状を送っても返事すらくれなかった。
魔物なんてそんなもの迷信だ、事件を起こす人間を捕まえれば済むだろう、修道院など訳の分からないものにわざわざ頼む必要がないというばかりに。
「へぇ……。こりゃあ一大事だな」
執事はもう嫌になって、銀髪の頭を掻いた。
なんだか、話がややこしくなっている。
せっかく、真面目な友人の為に今回の案件を提案し、自分もサポートするために戻ってきたのに。
「マリー何やらかしたの、あらまぁ、これはこれは……大変だぁ」
執事――アルフレッドは大きなため息を吐いた。
ありがとうございます




