深紅の髪は耳飾りを嫌う
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まだ夜空に星が瞬く、午前二時半。
回廊の蝋燭が闇を照らし、城中が静まり返っている頃。
リシャールは案の定、早朝覚醒し、寝台から身を起こすとめまいがした。
浮遊感のようなふわふわした感覚と、時々ぐるぐる回る視界の2つのタイプのめまいだ。
耳の平衡感覚がおかしくなっているのかもしれない。
立ち上がると、地震のような揺れも感じる。
原因は単純な睡眠不足と過労だろう、と彼は推測した。
まぁ、溜まりに溜まった公務がなかなか終わらないのだから仕方がない。
リシャールは仕事を片付けるしかないと思っていた。期限に間に合わないなどあってはいけないのだ。それは、彼のプライドが許さなかった。
こんなことなら、戦場に書類持っていけばよかった、なんてリシャールは考えるが、そこまで行くと『何のためにこんなに寿命を削りながら働いているんだろう?』 とも感じた。
(王族だから仕方ないか)
だが結局、その一言で片付いてしまった。
全ては『王族だから』で済む話だ。
農民が畑を耕す理由がないように、王族が公務をしない理由もない。
リシャールは生まれた瞬間から王族で、国の為に働く運命なんだから。
だから、リシャールに猫を膝に乗せておばあちゃんが座って居そうな椅子で揺れる穏やかな老後とか若い時期に貯めたお金で旅行や趣味等好きな事をするセカンドライフなんてない。
死ぬまで働く。病気になっても、血を吐きそうでも、とにかく働く。薬を飲んで働く。
もちろん、休日なんてない。
だって、王族だから。
いや、リシャールがまともな、職務放棄していない王族だからだ。彼が別の人間に政権を取られてもいいなら話は別だが。
要は彼にとっての王族が公務をするのは息をすることと同じぐらい自然なことで、それ以外の理由があれば教えてほしいくらいだった。
しかもリシャールは「超」が付くほど真面目だった。
国の犬、奴隷というのは彼にぴったりな言葉だと幼馴染や執事は笑っているように。
さらにリシャールは、可哀想な事に、適度な息抜きが下手なのと、趣味がない事、娯楽がないこと、恋人がいない事が問題だった。
だいたい、数年前まで戦時の代行として留守を預けていた執事が急に『副業』なんて始めるからおかしなことになったのだ。
不在時の仕事がためっていくのも無理がない。ただでさえ、仕事量が多いと言うのに。
(だが、もし私があいつに帰ってきてほしいなんて言ったら、あのバカ、「やっぱり殿下、俺がいなくて困っていたんだね。強がりさん。やせ我慢のリシャール君。身体はこーんなに大きくなって、今や俺を何様かって思うくらい偉そうに見下ろしていても、やっぱり中身は子供だね。ふふ、かわいい。さぁ、リシャール君。言いなさい。『私は仕事が間に合いませんでした、あなたが必要です、お願いします、帰ってきてください』って。君できない仕事は優しい頼りになるお兄さんである俺に全部丸投げしなさいな」とか言って、調子に乗りまくって、大変癪に障るから、絶対したくない)
(ああ、あいつのことなんて思いだす価値がない)
かといって、リシャールは王子らしく、ずっと王宮にいる弟に頭を下げて仕事を頼むのも嫌だった。
しかも、テオフィルは外交や視察で忙しい。
彼もリシャールに負けないくらい仕事人間だった。
城で見る事もめったになく、仕事に忙殺されている。それに。
(新婚だしな…)
弟に毛嫌いされていても、腐ってもリシャールは兄だ。
新婚ほやほやの弟に「仕事が終わらないから手伝ってくれないか?」などとどの面下げて言えばいいというのだろう。
それにテオフィルは今頃励んでいるかもしれないし。
え? 何って。そりゃ、新婚と言えば……。
(子作りとか。あいつは王になりたいようだし、継承者を作るのも王族の務めだし、頑張って回数こなさないと。王族は出来にくいらしいし。いや、頑張ると言うのは違うな。むしろソレは楽しいから娯楽に入るのか……あいつも楽しみあったのか。あれ? 私はないな。……何考えているんだ、私は。ああ、やっぱり寝よう)
くだらない思考を終わらせるためには寝るのが一番だ。しかし、リシャールは眠れない。
くだらなすぎる考えばかりが頭に浮かんでしまう。
そして、なんとなく、リシャールは人生が空しい気がしたが何故かわからなかった。
しかし、リシャールは一度冴えた意識をまどろみに戻すことは難しかった。
最近は休戦状態で、無理な魔法を使う機会も減ったから、案外、体調がよかったのかもしれない。
でも、こんな夜中にリシャールが城中をうろうろしていたら、「氷華が出た!」と大げさに騒ぐものもいる。
夜中の散歩していやだけで、まるでミステリーの様な記事を書かれる。
『言ってはいけない場所 ローズライン王国首都編』に夜の王宮の中庭が掲載されたのも、リシャールがぶらぶら散歩していたからだ。
時に、夜中にばったり出会った兵が卒倒したこともあった。
「何も見てません! お許しを! 殺さないで」と。
リシャールはただ王宮の薔薇園で、「今年も綺麗に咲いたなぁ」とほほえましく花を観賞していただけなのに。
結構花が好きで花見も好き、薔薇なんかも時間があれば育ててみたいくらいだ。似合わないけど。
ちなみに結構動物も好きだった。小動物のリスとか猫とか気まぐれなやつが好きだった。
「……私は本当の化け物扱いだな」
こんな感じで、王宮にいてもろくなことはなく、戦もない近頃。
しかも早朝覚醒も多く、たいてい日が昇る前に、リシャールは書類を持参し、あの古ぼけた教会で1日中仕事をしていた。
もともと、あの教会は時々巡回には言っていたのだが、珍しい来客が来てからはほぼ毎日通っている。
(昨日も来なかったな、小娘)
ちょっとお気に入りだった小娘は、リシャールらしくなく、すこしからかいすぎたあの日から来てくれなくなった。
本当はからかうつもりなんて、微塵もなかったのだ。
いつものように、メイドや使用人をあしらうように単調な口調で言えばよかった。
彼女もまさか皆が化け物扱いする恐怖の対象である自分に対して、あんな、不満げな顔をするなんて思わなかったのだ。
今思えば。
(……いい顔だったな)
少し反抗的な態度にそそられるリシャールがいた。
彼女は普通にリシャールなんかの事を心配してくれているというのに、何てこと考えているんだという自覚はあった。
(ああいう、感情のこもっている顔は好きだ。下手に顔の上辺に笑みを張り付けている安っぽい女より、よっぽどいい)
リシャールは彼女の表情が、不快でも嫌悪でも好意でも快楽でも何でもいいから歪むのが好きだった。
他人行儀はいらない。礼儀も不要、遠慮なんてする必要ない。
彼女が自分の事を考えてくれている。それだけで、心が揺さぶられる。
(そもそもあの小娘、私にあまり遠慮がないからな)
親近感? というのだろうか。
彼女を誰に対しても気さくに話しかけて、特別明るいわけではないが話しやすい人種。
出会った人にただ挨拶するように声を掛ける部類だ。
誰に対しても、特にこれといった行為があるわけでもないが自然に息をするように。
人との間に大きな隔たりのあるリシャールとは真逆のタイプの人間。きっと信仰に厚いんだろう。
ある意味、悪い人間はいない、人類皆友達などという、たれ事を本気で信じている救いようがない素直なタイプだ。
高確率で悪人に利用されて最後に痛い目にあって泣く哀れな人種。
それに加えて、彼女は世間知らずでまっすぐで、平等で、男女の愛も知らない。
真っ白な、染まり毛のない人。
夜空の月明りが窓辺から差し込む。月は少し欠けていた。
「……救いようのない女に、少し救われたのかもしれないな」
夜闇を照らす光に手を伸ばしても届かない様に、彼女も自分から遠い存在な気がした。
********
日が昇ってから執務室に行こうと回廊歩いていると、異国の姫であり弟の妃である――サラにばったり会った。
サラは普段王宮に居ない私と出くわし、みるみる青ざめつつも何か言葉を探しているようだったが、聞いてやるのも面倒だったので、リシャールは無視してサラを通り過ぎた。
(一国の王子の相手があれでは呆れるな)
動揺を隠せない時点でアウトだ。
いくら怖かろうと顔に出してはいけない。
相手の事が嫌いでも微笑くらいできなくては王族として失格だ。そんな感じでは先が思いやられる。
今はよくても、今後を思えば、使い物にならないだろう。
人々が彼女の透き通るほど白い肌や神秘的な赤瞳、妖精の様な淡いピンクブロンドなどの容姿を称えようとも、生まれが帝国の皇女で華やかな出生でも、すべてお飾りに過ぎない。
弟の妃であるから、リシャールはサラに敵意はないが、だからと言って好感もない。
どうかテオフィルと末永く仲良くやってくれ、ぐらいだ。
(あの女と話すくらいなら、小娘の方がいいな)
なんて考えながら、リシャールは執務室の扉を開いた。
「貴様なぜ、いる?」
リシャールは思わず言葉が漏れてしまった。
そこにはいないはずの執事が甲斐甲斐しく執務室に朝食を用意していた。
朝日に輝く銀色の髪、爽やかな笑顔、優雅な物腰は紛れもなく彼の執事だった。
「なんだよ、その顔。俺は殿下の執事だろ?」
惚けたように言う様は、リシャールの執事に間違いない。
慣れた手つきで椅子を引き、リシャールに座るよう促す。
出来立ての朝食。磨かれたスプーンや食器。真っ白な生地に複雑な刺繍の入ったナプキンが用意されている。
「いつ帰った?」
「ん? もう一週間はいるよ。殿下、全然執務室来ないんだもん。どこ行っていたの? まさかデート?」
「……」
「いやいやそれはありえないね、ごめんね。変な事聞いて……でもほんとう、寂しかったよ、俺たち」
にこにこ胡散臭い笑みをこぼす執事に嫌な予感がした。
その瞬間、執務室の扉が盛大に開かれ、槍が猛烈な速さで飛んできた。
(ああ、また来たか、暇人め)
リシャールはいつもの事なので、ほぼ反射的によける。
このような事は頻繁にあるので、魔法石を練りこんで作った特別強度の壁に改築してよかったと思う。
しかし、特別製の壁でも、特別製の槍は深く突き刺さった。
普通の壁なら大きな穴が空いていただろう。
なにせ、投げられたのは神聖な槍、こちらも魔法石をふんだんにあしらった武器なのだから。
「おはよう、リシャール君。今日も綺麗な顔してるね。悪役風情のくせに、顔だけはいい。上手く愛想よく笑えたら、嫉妬するくらい完璧なイケメンだよ」
朝から好き勝手人の顔について語る槍を投げた男は幼馴染かつ腐れ縁の神父だ。
深紅の髪を編み込んで肩に垂らしている。
クリッとした少女のような眼は金色で、どこか神聖な色。
唇は花弁のように美しい形で、一瞬彼が男か女かの判別は難しい。
やや背の高めな美女と勘違いする者もいるだろう。
「……また来たのか、貴様も懲りないな。変人に付ける薬はないから困る」
「ああ、恋人に囁くような吐息交じりのいい声だね。うん、えろい。相変わらず、口調は失礼でいただけないけど」
彼、ジャンは顔を見れば毎日でも突っかかってくる見慣れた女顔の変人だ。
リシャールが彼に何かしたわけでもなく、ある時から予告もなく槍を向けて来るようになった。
一応彼は王家の専属神官でもあり、教会の神父もしているため、出くわす可能性も高く、変な刺客より訳が悪い。
本来は王子であるリシャールに刃を向けた時点で謀反なのだが、個人的にジャンの母親にお世話になったのと、本気で殺そうとせずあくまで鍛錬の一環としての遊びとして黙認されている。
「相変わらず、女にしか見えない面だな」
「イケメンに成長したからって、調子に乗るな。小さい頃はお前の方が女女してたじゃないか」
「過去の事をうだうだ言うな。現実を受け止めろ、女装顔」
「女装言うなよ。僕は本当にかわいい顔なんだよ。愛くるしいってやつ。お前はいつもバカにするけど、最近は可愛い顔のほうがモテるんだよ。時代ってやつさ」
「ああそうか、女装が流行っているのか。女に相手にされないから、男でもひっかけたいのか? 世も末だな」
リシャールはジャンの投げた槍を壁から引き抜き、ジャン目掛けて放つ。
ジャンはなれたように槍をキャッチし、遊ぶように振り回した。槍を回すと風を切る音がする。
「女っ気のないお前よりモテるさ。どうせひとりで寂しく生きているんだろ、やせ我慢しちゃって」
「お前なんか、商売女か金づるがいいとこだ。都合のいい男でかわいそうだな。泣けてくるよ」
「そういうお前こそ政略結婚がないと、一生結婚なんて無縁だな。愛を知らぬまま死ぬのか。お前らしい。哀れだ、かわいそう」
「ああ、恋だの愛だのどうでもいいからな。結婚なんて政治的価値しかないだろ?」
「寂しい男め。女でも買え。金なら腐るほどあるだろ、王子様」
「娼婦を買って寂しさを埋めるお前よりマシだ。なんとでも言え。……少し遊んでやる」
リシャールが手をかざすと、霜が降り、宙に氷の剣が形を成す。
瞬く間に作られた剣はざっと百本くらいか。
「あれれ。結構やるきじゃん。そうこなきゃ、面白くないね」
ジャンは嬉しそうにほほ笑む。
「今日こそ、そのぶらぶら下がっている見苦しいピアス撃ち落としてやるよ」
ジャンはいつもピアスを狙っていた。
このピアスの秘密を知ってからずっと。
ジャンはこのピアスを付ける理由が大嫌いで、そんな精神のリシャールも大嫌いだった。
「それを打ち落としたら、なんでも僕の言う事きいてもらうからな。覚悟しておけ」
「できるものならやってみろ」
「ああ、耳ごと削ぎ落としてやるよ。お前は耳なんてなくても……」
ジャンの槍がまたリシャール目掛けて飛んでいく。
「十分魅力的だ、色男」
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