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雨音に紛れて②

 青ちゃんは無事に帰ってくれ、一件落着と言いたいところだが……。

 マリーは魔本を鞄に戻し、ちらりとリシャールに視線を移した。


「なんだ、小娘。まだ何か言いたげな顔だな」


 マリーが今一番気になるのはリシャールの酷い声だった。

 リシャールの美声は今や見るに絶えないガラガラ声だ。


(ひどい声だわ)


 見るに絶えないその声に、マリーは鞄から小ぶりなガラス瓶を出した。マリーは瓶のコルクの栓をとり、琥珀色の飴玉を手に乗せて、リシャールに差し出した。


「よかったら、飴どうぞ」

「…………」

「花梨味です。花梨はとても喉にいいんですよ。それとも蜂蜜生姜、蜜柑もありますよ。おひとつ、騙されたと思ってどうですか?」

「…………」

「お湯さえあれば、ハーブティーのティーパックもありますが。自家製で作っているんです」

「…………」

「殿下は顔色もあんまりよくないです。もともと色白なのかもしれませんが、疲れが溜まっているのではありませんか?」


 リシャールは無表情で無言だった。

 マリーははっとする。

 つい、修道院のノリで話してしまった、と。


(ローズライン王国王位継承権第一の高貴な王子様に飴渡すとか……やばかったかな?)

 

 そもそもこの方、スーパー強がりだから疲れているように見えると指摘した時点で気に障ったかもしれない。


「……毒入りか?」


 リシャールは深妙な顔をしていた。


(毒……? なんで? 酷い声だから、飴渡しただけなのに。ああ、でも、この方が生きる世界はそういう世界なのかもしれない)


 マリーにとってはたかが飴を親切心で渡して疑われたので、驚いた。

 いつも命を狙われる立場である王宮なら毒入りということもあるだろう。

 心配する気持ちもわからなくもない。

 しかし、マリーがリシャールに毒を盛る意味がわからなすぎる。なんの得もない。


「……まさか。私が食べてみせましょうか? 魔法がかかっているんです。本当にすぐよくなりますよ」


 病人をみると、ほっとけないのは、さすが修道院の精神。

 マリーにとっては、高貴な貴族だろうが、貧相な市民だろうが、関係なかった。

 困っている人がいたら『手を差し伸べる』。

 ……まぁ、偉大な聖人や神様ではないので、『差し伸べる』といえるくらい、高等な事はなかなか難しいが、自分ができることはする。

 リシャールは、ふん、と鼻をならして腕を組んだ。


「まぁ、貴様に毒を飲ませる度胸があるようにも見えんしな、一つ貰おう」


 案外、リシャールは、素直にマリーから差し出された飴を掴み、口の中に入れた。

 感想は特になかったが、しばらくするとリシャールは徐に立ちあがり、そのまま左の壁にある、入口とは違う扉を開けて、出て行ってしまった。


(あれ、帰ったのかな?)


 マリーが戸惑っていると、リシャールは湯気が立ち登る繊細な硝子のポットと2つのカップを持って帰ってきた。


「何をぼーっとしてる、座れ」

「は、はい……」


 マリーは促され、礼拝堂の長椅子に腰掛ける。

 リシャールはマリーの前の席に座った。

 リシャールは少し指をならすと、一瞬で冷気が立ち込め、クリスタルの頑丈な机が出来た。

 それを礼拝堂の通路に堂々と置く。

 結果、マリーとリシャールは礼拝堂の通路にある机でお互い前後の長椅子に腰掛け、通路に足を向けるように座ることになる。


「一緒にお茶してくれるんですか?」

「ちょうど休憩の頃合いだったんだ。読書も飽きたしな。貴様もそこにたまたま居たから、慈悲だ、ありがたく思え?」


 不遜な態度は相変わらずだが、マリーが持っていたティーパックをもぎ取り、ポットに淹れて蒸らしている。どうやら、王子自らハーブティーを淹れてくれるらしい。


「そうですね、たまたま居ました。殿下とお茶できるなんて夢のようです」


 リシャールは頃合いをみて、硝子のカップにハーブティーを注いだ。ラベンダーの香りが広がった。

 リシャールは美しい所作でカップに口付けていた。

 マリーは見慣れた飲み物を美しい硝子のカップに注いだだけですこしいつもより美味しく感じた。

 ただ、リシャールは、マリーの手作りの見慣れたハーブティーを飲んでいるだけなのに、優雅で、端麗で、絵になる人物だった。

 伏せがちな目元は長い睫毛が縁取り、すこし憂いを含んでいるのも、妙な色気がある。

 陶器のような白い肌も、薄めの形の良い唇も全部、ずっと見ていたいと、思ってしまう程に。

 リシャールは妙に静かだった。

 大人しく座っていると、耳からぶら下がるピアスは派手だが、どこか物憂げな美青年のように見えた。


「今日も雨だな」


 ぽつり、とリシャールは呟いた。


「そうですね。王都はこの季節、雨が多いんですか?」

「いや、あまりない。雪が散らつくことはあっても、連日こんなに降るのはあまりない。せっかく休日にしたのにな」


 雨は絶え間なく降り注いでいる。


「これでは誰も外に出ないだろう。祭りやら色々催しもあったようだが、台無しだ。だから、薔薇の咲く頃にしろと言ったんだ、テオめ。……おかげで暇すぎて調子が狂うんだ」


 テオとは弟にあたるテオフィル殿下のことだろう。


「残念ですが、雨の日もいいものですよ」


 マリーは微笑む。

 目の前にいるのは、非道な王子ではなく、その辺に居そうなただの青年に見えたからだ。

 話していると、初対面の時より随分若く見えた。

 こうやって二人でお茶するなんて思いもしなかったが。


「大地が潤います。雨の後の余韻に浸るのも、なんだかすこしロマンチックじゃありませんか?」

「さっぱりわからんな」


 彼は、窓の外を見て、また一口ハーブティーを飲む。


「こっちは、普段の分刻みスケジュールをこなしているのに、こんなどっちつかずの日はもうごめんだ」


 リシャールはそう言っている割に機嫌は良さそうだ。

 マリーは、修道院の手土産にあの氷華殿下とお茶したと言おうかと思ったがやめた。


 (この時間は自分だけのものにしよう)


 リシャールは素直じゃない不遜な人だけど、上衣を貸してくれたり、机を用意してくれたり、雨の日に国民の事を思ったり。

 マリーが知っている悪魔の王子は一体誰なんだ? というくらいに、人間らしく、情がある人だった。


(リシャール殿下はあんな不遜な態度だから勘違いされてしまうのかな。冷たく見える整いすぎた顔つきのせい?)


 人間は見た目と雰囲気が大事だ。

 だけど、例えすべて差し引いても、リシャールのこの怖がられ様はなぜだろうとマリーは思った。


 (このリシャール殿下の偉大な能力のせい?)


 机はもちろん、リシャールが別室で作ったと思われるポット、カップはいかにも工芸品らしい。

 硝子細工やクリスタル用品の作成は、ローズライン王国の伝統工芸品で、王族の異能を使った仕事なのだ。


「年はいくつだ」

「18です」

「学校は?」

「ユートゥルナ修道院附属学校です」


 不意にリシャールから年齢の事を聞かれた。

 本当は23歳だが、一応社交会デビューも控えている。

 その設定ならば学校を卒業したばかりの18歳が妥当だろう。

 辺境地の貴族令嬢が修道院附属学校に通うのも珍しくない。

 礼儀作法や教育、一通りのマナーも学べる全寮制の学校だからだ。

 たまに都市から、宗教色の強さを希望して入学する令嬢もいるくらい有名だった。


「ほぅ。ちゃんと勉強はしていたのか?」

「まぁ……ちゃんと授業は受けてましたよ」


 マリーは成績はどんなに真面目に頑張っても中の上ぐらい。 

 ひどい科目だと下の中か。

 こればかりは努力に関係なくフレッドのように成績の良い人もいるし、どうにもならない。


「もっと勉強した方がいいぞ、貴様」

「はい?」

「身なりから貴族の端くれ、しかも変な術をかじっているから教育も受けているのがわかるが、貴様からは知性を感じない。……素っ頓狂というか、間抜けというか。すぐ、頭の回転が止まるだろう」


 マリーは言葉に詰まった。

 今だってリシャールにとったら間抜けな顔をして、言葉にならない声をあげているから言われても仕方ないかもしれない。


「もっと本を読め、新聞でもいい。まぁろくなことも書いてない記事もあるが」

「よ、読んでますけど、新聞くらい……」

「あの記事を見て私の前でへらへらお茶できるのは貴様ぐらいだ。余程の度胸があるか……ああ、それとも、ほんとうに脳みそスカスカのスポンジ頭か……変態か」


 さすがにマリーでも、スポンジ頭には腹が立った。

 マリーはむっと頬を膨らませて、堪える。

 しかしだ。

 だめよ、マリー。あなた、前科があるのよ、無礼だらけなの。と自分を言い聞かせた。


「……ちなみにリシャール殿下は、おいくつでしょうか?」


 マリーは王族に年齢を尋ねるなんて無礼かもしれないが、思わず聞いてしまった。


「私か? ああ、25だ」


(あれ、私と年そんなに変わらないんじゃ?)


「いいか? 小娘。お前の頭でもわかりやすく説明してやろう」


 リシャールはわかりやすく近年の工業化や他国の情勢を語りはじめた。


「我国は工業化した諸国から遅れをとっている。魔法石に頼りすぎたからだ」


 このことはマリーも少しは知っていた。

 最近は魔法石を使った武器で戦うより、戦車や大砲の方が強い。

 それだけ諸国は近代化がすすんでいた。


「これからは他国の植民地にならないよう伝統に囚われるばかりではなく、自分たちも時代に順応して行かねばならないんだ。必要なら戦もありだ。でもいつまでもそんな時代は続かない」


 リシャールは強い眼差しをしていた。

 淀みなく、真っ直ぐな、青とも緑とも言えない深い瞳がマリーをとらえる。

 

「私が王になればこの長い、くだらない戦いも終わらせてやる」


 リシャールは自身ありげに笑う。

 青年の大きな夢を聞いているようだった。


「私の時代に、この花と海に囲まれた美しい国を無くすわけにはいかないからな。人々の生活を守るのが王族の務めだ」

「……私たち、市民には何ができるでしょうか?」


 それはマリーが不意に浮かんだ疑問だった。

 国境付近を守ってはいるが、工業化が進む中、修道院の地位は落ちてきている。

 時の流れとともに人々は目に見えないものを信じなくなり、魔物の力も弱まってきているのだ。

 魔物が姿を消す、修道院の主な仕事が減る。

 ユートゥルナが男に生まれたのも、力が弱まってきているからだという人もいる。

 そんな世の中では、マリーもいつか市民とかわらない立場になるかもしれない。

 国境を守るから、リシャールの率いる兵に守られる時代が近いうちに来るかもしれない。

 その時こそ、ただの女に成り下がる。

 今まで修道院のために、雑務や任務をこなしてきたが、いつか修道院が宗教の象徴的なものになったら?

 修道院に尽くすことが、人々のためになるのだろうか。

 国のために、自分にできることは残っているのか?

 本当にマリーの存在意義は無くなってしまうのでないかと、思えてならない。

 マリーの瞳が不安に揺れる。


「……」


 リシャールは何も言わなかった。

 ただ、沈黙し、マリーを見据える。

 

(こんな事、王子様に聞いてどうするの、マリー。らしくない)


 一国の高貴な、畏怖と尊敬の対象である殿下に、イマイチパッとしない修道女の、自分の価値なんて聞いてどうすると言うのだ。

 立場も、能力も違えば、生きる世界も違う。

 マリーの取るに足らない、ちっぽけな悩みなんて鼻で笑われるに決まっている。

 今までだって、出世する同期を横目に、歴然とする能力の差で嫉妬するどころか妙に納得してしまうほど、自分に対して静観していたのだ。

 なのに、どうしてだろう。

 リシャールの話は、現実的にはまだ叶わない夢だとしても輝く希望があった。

 眩しい憧れに、感化されてしまったのかもしれない。

 美しい王子と偉大な夢を羨ましく思う反面、ちっぽけな自分と比べてしまったのかもしれない。

 リシャールはマリーの頭にぽんと手をおいた。

 子どもみたいにぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。


「な、何ーー」


 マリーは急に触れられて、心臓の音が高鳴った。

 気付けば端正な顔がマリーのすぐ目の前にあった。


「その頃になれば、平穏な生活が続き、教育水準も上がる。女だからといって、生涯家にいる必要なんてない、才能のあるものが輝けるそんな国にするからな」


 この時代、女性の仕事と言えるのは、せいぜいメイド、修道女、娼婦ぐらいだった。

 メイドはお金のある貴族に対して家事から針仕事まで雑務をなんでもこなす。

 修道女は魔物退治に慈善事業。

 娼婦は性的なサービス。

 市民は修道院附属学校に入らない限り教育とは無縁の暮らしだった。

 令嬢も主に結婚して、子どもを産み、家庭を切り盛りするのが仕事とされている。

 だから、リシャールの言っていることは常識から外れていたが、マリーはその夢を聞き入ってしまう。

 そんな平等な時代がくればいいな、と。


「貴様もせいぜい、その時のために励むんだな。鈍臭いが、なんだかんだで真面目な女だ。あの精巧な蝶を描けるくらいにな。もっと自分に自信を持て」


(偉大な夢だな。……戦争を終わらせるとか歴史からみてすごく難題だけど、……いつか夢が現実になる気がする。殿下が描く、そんな時代を生きてみたい)


 偉大な夢を前に、マリーは微笑みを浮かべる。


「……私も頑張らなくてはいけませんね」


 王都で何ができるかわからないが、これからはじまる任務は絶対成功させよう。

 マリーはこの国が好きな王子のために、少しでも力添えしたいと心から思った。



 そんな気持ちとは裏腹に、空は大泣きのような雨だった。


 それはまるでーーこれからずっと先の、物語の終末といえる時の、マリーの心を示しているような。



 まだ色付かない薔薇の蕾が雨粒に打たれて、揺れている。

 仄かな甘い香りが漂い始め、咲き誇る日を待っている。


 マリーは叶わない恋を偲ぶような雨空に惹かれて、外を静かに見つめた。


ありがとうございました。

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