記憶
「・・・ここ、どこ?」
暗闇の中、ユグは手足を動かしてみる。
しかし、まるで何の感覚もない。
「カイル兄ぃ!!」
孤独に苛まれる時がある。
だけど、大好きな兄の名前を呼ぶと、彼はすぐに駆けつけてくれていた。
「カイル兄ぃ!!!!」
孤独の中、救いを求めるようにして兄の名前を叫ぶ。
しかし、どこからも応答がない。
「・・・いや」
ユグは孤独の中、1人だ。
自分が浮いているのか、立っているのか、寝ているのか、起きているのか、まるで感覚がない。
意識だけの暗闇、それは大人ですら震え上がるような恐怖の中だろう。
「・・・怖い」
ーーユグは暗闇の中で呟く。
「怖い・・・怖い・・・1人はやだっ!」
ーーユグは暗闇の中で泣き叫ぶ。
「怖い!!怖い!!怖い!!!助けて!!!!助けて!!!助けて!!!!」
声をあげれば誰かが助けてくれる。
手足をバタつかせて癇癪を起こせば、誰かが救ってくれる。
恐怖に苛まれた幼い少女がそう考えることはごく自然なことであろう。
「怖い!!怖いよ!!カイル兄ぃ!!助けて!!!カイル兄ぃ!!!」
大好きな新しい兄の名前を繰り返し叫ぶ。
何度も、何度も、何度も、何度も、カイルの声が聞こえるまで叫ぶ。
しかし、カイルの声は聞こえない。
誰もユグを助けようと、手を差し伸べることはない。
「いや・・・また・・・1人・・・ユグ・・・一人ぼっち・・・?」
ユグの叫び声は段々と小さくなる。
「カイル兄・・・助けて・・・」
・・・助けはこない。
「っ!?」
・・・誰もお前を助けない。
「誰!?どこ!?」
・・・誰もお前を愛さない。
「・・・いやっ!」
・・・誰もお前を認めない。
「認めない?」
・・・お前の居場所なんてない。
「居場所・・・?」
・・・お前に家族なんていない。
「いる!!カイル兄ぃ!パパやママもいる!!」
・・・お前は捨てられた。
「捨てられてなんてない!!」
・・・お前は、また、捨てられた。
「違う!!嘘!!」
・・・どうしてお前は1人なんだ?
「・・・」
・・・捨てられてないなら、どうして?
「いや・・・いや・・・いやぁ!!」
・・・捨てられたんだ。
「いや!!」
・・・誰もお前を必要としない。だから居場所もない。1人だけ。
「いやっ!!!」
・・・・けけけけけけけ!!捨てられたんだよ!!お前は!!!
「いや!!!!」
・・・ほらァ、諦めろッ!!楽になろうぜェ、なッ!?
*******
ーーユグの最初の記憶は白い天井だ。
豪華なシャンデリアが吊るされており、フカフカの毛布に包まれている記憶だ。
「ばぁ・・・パパでちゅよ!」
「こら、あなた、だらしの無い顔はやめてください」
父と母の声が聞こえる。
まだ、ユグに優しく接してくれてる時の両親の声だ。
「うーん!!ママに似て美人さんですねー!ユグちゃーん!」
「もう!目元はアナタに似て整ってますわ」
「ふふふ」
「ふふふ」
そんな優しそうな2人の顔がユグの中にはしっかりと残っていた。
思い出として、温かいものとして。
やがて、冷たくなるものとして。
ーーユグの次の記憶は、屋敷の庭で兄と遊んでいる時の記憶だ。
色とりどりの花が咲き誇る庭園の中心には芝生の広場があり、そこが兄とユグの遊び場となっていた。
「ほーら!ユグ!!どうした!?」
緑色の髪をした美少年がいる。
彼は目に涙を浮かべているユグのほっぺを思いっきりツネっていた。
「う・・・ううう・・・」
ユグの兄は最初から意地悪だった。
父と母が見ていないところでは、こうしてユグのほっぺをつねって憂さを晴らすようにしてユグへちょっかいを仕掛けていた。
「お、泣くか?泣いたら、もう遊んでやらないぞ?」
「うっ!・・・う・・・」
痛みで泣き声をあげそうになるユグ
しかし、兄の突き放すような言葉を聞くと、グッと涙を堪えて頬の痛みに耐えていた。
「く・・・ククククク!!」
そんな健気なユグのどこに笑うところがあるのか。
兄は歪んだ笑みを浮かべていた。
そして、ユグの頬をつねる指へさらに力を加える。
手首をグリグリと回し、さらに痛みを加えていく。
「ゔゔゔ!!・・・い・・・い・・・い・・・」
「お?泣くか?お?」
「痛いっ!!」
ユグは我慢できずに叫ぶ。
すると、ユグと兄の間の地面から大きな木が一気に伸びていく。
その天へと向かっていく大樹の枝に首の背後を引っ掛けられた兄は、そのままグングンと空へと昇っていった。
「・・・へ?」
急に視界が高くなったことに呆然とする兄
その眼下には、豆粒のように小さくなったユグ
手のひらに収まるぐらいの大きさに見える広大な屋敷が見えた。
「へ?何だ・・・これ?」
大きな木が庭に現れたことで、屋敷は騒然となる。
底辺には執事と一緒に、ユグの父と母が駆け出してきていた。
血相を変えた両親の姿に、怒られると予感したユグ
真っ赤に腫らした頬が見えるようにして、グスグスと鳴き声を大きくさせていた。
兄に虐められていたことをアピールする意図だ。
「・・・痛い・・・痛い・・・痛いよ・・・」
そんなユグの両脇を抱えて父が持ちあげる。
その表情は嬉々に満ちていた。
「すごいぞ!!ユグちゃん!!これは木魔法だぞ!!」
「ええ!!ユニーク属性よ!!何と言うことなの!?」
両親は、ユグが兄を退けるために放った木魔法の結果を見せつける。
まるで何百年と生きてきたような大きな木が、屋敷の庭園の中央に生えているのだ。
「きっと、すごい精霊に見染められているぞ!!」
「ええ!!ええ!!!あ、アナタ!!すぐにレックス様へ連絡しましょう!!」
「あ、ああ!!そうだな!すぐに儀を取り行ってもらう!!」
両親が嬉しそうにしていた。
ユグには、その理由は分からない。
だけど、2人が自分を愛してくれていることは分かった。
それが幼い彼女によっては堪らなく嬉しいことである。
両親に愛されることは、幼い子供にとって、生存に関わる重要な事柄でもあるのだ。
「ユグ・・・すごいの?」
「ああ!!すごいぞ!!」
ーー父は笑う。
「ええ、ユグちゃん・・・貴方は私達の希望よ!!」
ーー母も笑う。
「本当!?ユグ、良い子!?」
「ああ!すごく良い子だぞ!!」
父は笑い、母は優しくユグを撫でる。
そんな優しく温かい2人を前に、ユグは確かな幸せを感じていた。
ーー兄はそんなユグへ黒い炎が宿る瞳で見つめていた。
ーーユグの次の記憶は教会だ。
白く大きな部屋、横に真っ直ぐと伸びた木の椅子が2列ずつで並んでおり、その間を真っ赤なカーペットが敷かれていた。
カーペットの先には台座があり、その上には緑色の三角形のシンボルが置かれている。
そして、部屋の窓には7色に光ステンドグラスがあり、部屋に差し込む光がキラキラと輝いていた。
「・・・ディガロス卿」
「これは司教様!」
真っ黒な格好をした神父がいる。
目は鋭く、鼻はワシのような形をしている。
口から覗く歯はギザギザとしており、まるで悪魔のような風貌だとユグは感じていた。
その鋭い目がギロリとユグをみる。
思わずビクリとしてしまうユグだが、その背中を父親が手の平で押す。
「この子が!!我が娘!!ユグでございます!・・・ほら、ご挨拶を!」
「・・・ユグです。こ、こんにちは!」
ユグはドレスの端を摘んでペコリと膝を折りつつ、頭を下げる。
その態度に「こんなものか」と言った様子で頷く司教
「ふむ・・・確かに特殊な魔力を感じるな」
司教は顎を細長い指でさすりながらユグを品定めするような目で見つめる。
その視線が堪らなく気持ち悪く感じるユグだが、父と母の期待に応えるため、グッと我慢していた。
「ところで・・・レックス様は?」
父は教会内にレックスなる人物がいないことが気になるようだ。
「猊下は急なご用事ができた」
「そうですか・・・」
司教の言葉に肩を落とす父
しかし、次の司教の言葉にパッと顔を明るくさせる。
「アーチ様がお越しになる」
「何ですと!?」
父は驚きを隠せないでいた。
それは母も同じだ。
「まぁ・・・!!」
幼いユグでも、アーチと呼ばれた存在が偉い人なのだとすぐに察していた。
「光栄に思え」
「はっ!ありがたき幸せにございます!!」
父はそう言って、ユグの頭を後ろから押さえつけて、強引にお辞儀をさせる。
「ふむ・・・」
その様子を満足そうに頷く司教
そのまま部屋の奥へと歩いていく。
ーー司教が去っていくのを見送ると、3人は横並びの木の椅子へと座る。
着座するなり、満面の笑みでユグへと迫る父
「やったな!ユグ」
「・・・うん」
「ええ、まさか・・・アーチ様がお越しになるなんて!」
「アーチ様?」
「そうだぞ!!この世界で最も偉い方だぞ!!世界の安寧を保たれている方だ!!」
「王様より偉いの?」
「数多の王を束ねる皇帝陛下よりも、さらに偉いんだぞ!」
「わぁ!すごい!!」
3人が話していると、部屋の奥の扉がガチャリと開く。
すると、黒い神父が姿を見せた。
先ほどの司教と同じく、どこか悪魔のように見える容姿をしている男だ。
「静粛に!!」
彼がピシャリと言い放つと、ザワザワとしていた室内が一気に静かになる。
凍てつくような緊張感に包まれると、ユグはゴクリと唾を飲む。
隣をみると、父も母も、ユグと同じように緊張しているようだ。
「・・・っ」
ユグは重苦しい雰囲気で思わず喉を鳴らす。
この雰囲気は、部屋に現れた神父が放っているのではない。
その証拠に、室内を静めた神父ですら、緊張を露わにしているのだ。
部屋の奥、その開けた扉の先、そこから得体の知れない存在感を感じる。
1秒が永遠に感じる。
瞬きすら許されない。
呼吸をしても良いのか?
心臓を動かすことは?
生きることすら、今だに姿を見せない圧倒的な存在の許可がいるのではないか。
そう幼いユグですら感じてしまうほどの何かがいる。
「・・・ごきげんよう」
女性の声が響く。
白く綺麗な透き通る声だ。
教会に集まった人々の頬に涙が流れる。
声を聞ける感動が胸を打ち、胸がポンプとなり、目から涙が溢れ出る。
先程までの重苦しい空気が一転、謎の安心感が胸の中で溢れ、飛び跳ねたいほどの歓喜が全身を巡る。
「あれ・・・あれ・・・あれ?」
ユグはなぜ自分が泣いているのか理解できない。
急に泣き出すなんてことはおかしい。
幼い彼女でもそれはわかる。
しかし、周囲を見渡すと、父も母も、集まった大人達も、怖い神父ですら、みな、涙を溢れさせていた。
「これで・・・良いんだ」
ユグは泣いているのが自然だと理解した。
周りが泣いているのだから、自分はおかしくないと思った。
ユグはボヤける視界の奥に、真っ白な女性の姿を見る。
新雪のように白く透き通る髪を腰まで伸ばし、汚れ一つないほどに白く透き通る肌、整った目鼻、スラリとした肉体を白のドレスで包んでいる。
真っ白な彼女だが、その瞳だけは黒く深淵を表していた。
まるで白紙の紙に、黒い点を描いたような印象だ。
「こ、これより精霊の儀を執り行う!!」
神父が震える声で叫ぶ。
すると、白い女性は教会を見渡すと、その視線をユグで止める。
「!?」
ユグは白い女性と目が合うと、思わず椅子から跳ねるようにして立ち上がる。
そんな彼女に対してニコリとほほえむ白い女性は、その小さな口をゆっくりと開いた。
「さぁ・・・こちらへ・・・」
誘う声にビクリと反応するユグ
「は、はい!!」
大きな声で返事をすると、まるで糸で操られた人形のようにぎこちない動きで手足を動かしていく。
その様子を微笑ましく見つめている白い女性、彼女はユグとの距離が近づいてくると両手を大きく広げる。
「さぁ・・・」
「・・・っ」
まるで母のような包容力を感じる。
両手を広げて微笑む姿は、自分の全てを受け入れて、優しく包み込んでくれるような、そんな安心感があった。
ユグは白い女性の前でピタリと足を止める。
そして、片膝を地面につけ、両手の甲を地面につけて掌を上にする。
頭を垂れて地面を見つめながら、白い女性の声を待っていた。
「ふふ・・・私は・・・アーチ・・・あなたのお名前は?」
「ユ、ユグです!ユグ・ロワ・ディガロスです!」
「さぁ、貴方の力、私に・・・見せてください」