日常
薄らと暗い部屋、窓から微かな光が差し込んでおり、時は日中であることがわかる。
その部屋にあるベッドで上半身を起こしているのはケビンだ。
怪我はなさそうであるが、疲労困憊といった様子であり、額には汗が滲んでいる。
彼は起きるや否や、ジッと天井を見つめていた。
そして、頬にはスッと涙が流れる。
そんな時だ。
部屋の扉がガチャリと開く。
姿を見せたのはお爺さんだ。
ケビンはすぐに腕でゴシゴシと目元を拭う。
「・・・ケビン、起きたようじゃな」
「ああ、迷惑かけたな」
「それはサラへ言ってやれ」
「・・・ああ、サラは大丈夫だったか?」
「うむ、封印が解かれるようなことはなかった」
「そうか」
「・・・」
お爺さんはケビンが寝ているベッドの傍にある小机にコトっと水の入った桶を置く。
そして、微かに音が鳴るぐらいの勢いで息を吐く。
「・・・ワシはお前を責めるつもりはない」
お爺さんはケビンの顔ではなく、その水の入った桶をジッと見つめる。
その揺れる水面には、微かに悲痛な面持ちのお爺さんが映っていた。
「かかかか・・・怒鳴りつけてはくれねぇんだな」
「甘えるな。お主はもう子供じゃなかろう」
お爺さんの言葉にギュッと拳を握りしめるケビン
「・・・俺は、どうすりゃ良いのか、どうすりゃ良かったのか、分かんねーんだ・・・」
「・・・あの子をまた失いたくない。その気持ちはワシも同じじゃ。1人で抱え込むな。ワシらを巻き込め」
「それはできねー・・・カイルは・・・俺のせいで・・・俺がもっとしっかりしていたら、あんなことにはならなかった!!」
「よせ、お前の責任ではない」
「じゃぁ!誰の責任だ!?」
お爺さんの言葉に対してケビンは声を荒げる。
「・・・」
「・・・すまねぇ」
ケビンはジッと自分の拳を見つめている。
その瞳には、再び涙が滲み始める。
「・・・辛いことを言うぞ。今のカイルを尊重してやれ」
「ああ、分かってるよ」
「・・・その言葉、ワシはしかと覚えておるからな」
お爺さんはソッと桶から部屋の扉へと視線を向ける。
ケビンに背を向けた状態で震える口を開く。
「何でも良い・・・あの子のために何かをしてやりたい。そう思うのであれば、危険なことはやめておけ」
お爺さんの言葉が部屋に重く響いた。
少しの静寂の後、ケビンはコクリと頷く。
「・・・ああ」
「・・・」
お爺さんはそう言うと、スッと部屋から出ていく。
ケビンは言葉を紡ぐ事ができず、ただただ、自分の額に拳を打ち付けていた。
*************
森へ入った事件から1週間が経過していた。
村には平穏が戻っており、いつも通りの日常を過ごしている。
少しだけ、今までと違うのは、新たな住人が増えたことだろう。
ーーカイルは、そんな新たな住人が起こした小さなトラブルの解決に出向いていた。
村の隅にある大きな木の前に少年は立っている。
ギラギラの太陽に照らされて黒い髪が熱を持っている。
そんな炎天下の中、カイルは陽射しを腕で遮りながら木の上を眺めていた。
木の裏には、村を覆う丸太でできた壁の一部がある。
壁はグルリと村の周囲を覆っているため、外からの侵入を拒んでいるだけでなく、出ていこうとするものも阻止する作りにもなっていた。
もちろん、村民を中へ閉じ込めておく意図は誰も持っていない。
だが、村の子供が壁の外へ出ることを大人は良しとしないだろう。
カイルが見上げた先、そこには太い木の枝に跨っている緑色の髪の美少女がいた。
彼女の乗った枝の先は壁の向こう側へ伸びている。
どうやら、枝を伝って村の外へ出ようと考えたようだ。
こうして、あの手この手で逃げようとするのは日常茶飯事になりつつある。
今回は、彼女が何とか壁の向こうへ出ようと努力した結果、木から降りられなくなったという顛末だ。
「さっさと降りてこい」
カイルは面倒くさそうに呼ぶ。
こう連日、逃げ出しては連れ戻しを繰り返していれば、辟易してしまう。
彼はダルそうに両手を広げ、降りてくればキャッチすることをアピールしていた。
しかし、少女はプルプルと顔を横に振った。
手足は震えており、怖がっていることは明らかだ。
幼い少女への対応として0点以下の採点をされても仕方のないカイルである。
・・・怖いなら、最初から、木になんて登らなければ良いと思う。
「おい!カイル!!」
カイルの隣で叫ぶのはドシルだ。
彼もカイルと一緒に少女を救う使命を領主から与えられていた。
言いようによっては、少しだけカッコ良い。
「何だ?」
「おまっ!言い方ってもんがあんだろう!」
・・・言い方?
優しく言えば良いのかな?
「・・・降りてこい。キャッチするから、大丈夫、安心、安全」
「棒読みじゃねーか!余計に不安だ!」
カイルが少女へ言う。
しかし、相変わらずの反応を示される。
それは拒絶だ。
心底嫌そうに、少女は首をプルプルと横にふる。
・・・うん、困ったな。
人から信頼を得るなんて難しいこと、僕には無理だぞ。
しかも、相手は子供だ。
「おーい!大丈夫だから・・・ね?」
「怖いっ!」
「大丈夫、ちゃんと受け止める」
カイルがそう告げると、さらに勢いを増して少女はプルプルと首を横に振る。
「そうだぞ!そんなに高くないから!怖くないぞ!」
ドシルもカイルに続いて怖くないとアピールする。
しかし、それでも少女は首を縦に振らない。
震える手で木の枝にしがみつきながらも叫ぶ。
「お兄ちゃんが怖いっ!!」
「・・・」
カイルが「怖い」と少女に叫ばれる。
思わずぼう然としてしまう少年、その隣でドシルが腹を抱えて笑っていた。
「く・・・くはははは」
「笑うんじゃねーよ」
「く・・・く・・・悪りぃ悪りぃ・・・」
ドシルは腹をパンパンと拳で軽く叩きながら笑いを堪える。
そして、少女とは違った涙目で叫ぶ。
「おーい!降りてこい!大丈夫だってば!こいつ・・・そんなに怖くないぞ」
ドシルが少女へ言うが、ドシル相手にも首を横に振る。
「いやっ!!」
「何もしないよ・・・」
「・・・いやっ!」
・・・僕の方を見て首を横に振るのはやめてくれ。
「・・・」
カイルと少女の視線が合う。
「いやっ!!」
・・・また「いや」と叫ばれる。
今は何も言ってないんだけどな、僕
「・・・なぁ、ドシル」
「何だよ」
「僕、向こうに行ってようか?」
「俺だけでキャッチできるように見えるか?」
ドシルが両手を広げて自分をアピールする。
カイルとドシルは同じ体格なのだが、カイルの方が遥かに力が強い。
それはドシルも知っていての発言であった。
・・・確かに、ドシルでは受け止め切れないだろう。
「うーん・・・」
「なぁ・・・ぴょんっとするだけだってば!大丈夫、本当にこいつは何もしないよ!」
「いやっ!!すごく邪悪!!」
少女はカイルをキッと睨み付けてくる。
・・・邪悪とまで言われる筋合いはない。
「くははは・・・」
「おい」
「すまん・・・邪悪・・・くはははは」
「・・・」
カイルはドシルの目を真っ直ぐと見る。
とにかく真っ直ぐと。
ジッと見つめられたドシルはため息を吐いてからつぶやいた。
「・・・すまん」
「で、どうする?大人を呼ぼうか?」
「そんな情けない真似はできねぇ・・・」
ドシルは顔を真っ赤にして言う。
どうやら、ドシルなりのプライドがあるようだ。
年下の子が矜持を見せるなら、カイルはもう少しだけ粘ってみようと考えた。
・・・できるかは分からないけれど、やれるだけやってみようか。
まずは話ぐらいしてみるか。
「・・・そういえば、キミ、名前は?」
「今更かよ・・・」
ドシルが彼女の名前を言おうとする。
しかし、カイルは首を横に振ってドシルを止めた。
会話のきっかけ作りを邪魔するなという視線を察したドシルは、ただ黙ることにした。
・・・もう一週間も経過しているのに、彼女の名前すら知らない。
僕の名前も、彼女は知らないだろう。
まずはそこが問題だな。
「僕はカイル、キミは?」
「・・・ユグ」
「ユグちゃん。どうして、村の外へ出たいの?」
「知らない人・・・いっぱい・・・」
「そっか、そうだね。知らない人がいっぱいいると、怖いよね」
「・・・うん」
「おうちはどこなの?」
「・・・」
ユグは首を横に振って答える。
どうやら、ここからどうやって家に帰れば良いのか分からないようだ。
「そっか・・・早く帰りたいよね」
「・・・」
カイルの言葉に、ユグちゃんは首を横に振る。
「帰りたくないの?」
「うん」
「僕と同じだね」
「お兄ちゃんも?」
「うん、僕も元の場所には帰りたくないかな」
「お兄ちゃん、ここがお家じゃないの?」
「僕も、ここには少し前に来たばかりなんだよ」
ユグはカイルをジッと見つめる。
気付けば、少女の手足の震えはおさまっていた。
「どうして帰りたくないの?」
「うーん・・・前の場所が、ちょっと怖いからかな」
「ユグも・・・怖い・・・」
「そっか、ユグちゃんも怖いんだね」
「うん・・・いやっ!」
ユグは木の上で泣きそうな顔を見せる。
昔を思い出して、今にも泣きそうな表情だ。
・・・きっと、色々とあったんだろうな。
だけど、それは、こんな場所でする話ではない。
今、聞き出すのはやめるべきだ。
「・・・ねぇ、ユグちゃん。僕も前の場所は怖いけど、ここはそんなに怖くないんだよ」
「本当?」
「うん、だからね。ユグちゃんも怖くなければ良いなって思う」
「・・・」
「僕も、ここには知らない人いっぱいいる。だけどね・・・それでも、怖くないんだよ」
「本当?」
「うん、みんな優しいよ」
カイルは自然と笑顔になっていた。
どこかユグと自分の境遇を重ねていて、親しみを覚えていたからかもしれない。
その素直な反応が、どこかでユグの警戒心を溶かしていた。
そして、カイルがそのまま両手を広げると、初めてユグがコクリと頷いてくれた。
「・・・ユグ、降りる」
そう言ってユグはカイルの元へとジャンプする。
カイルは両手でユグをしっかりとキャッチする。
両手にズッシリと重みが来る。
カイルは重みになるべく反しないように、腕を下ろして、腰を曲げ、膝を折る。
ユグをしっかりと受け止めた時には、彼は跪く格好になっていた。
全身でユグを受け止めた衝撃を受け流していたからだろう。
「・・・大丈夫?」
カイルは抱き抱えているユグへ言う。
すると、ユグは彼に抱きついてきた。
「怖い・・・怖いよ」
「大丈夫・・・大丈夫だよ・・・」
耳元で「怖い」と繰り返し泣くユグ
そんな彼女の頭へ後ろから手を回すと、カイルはゆっくりと撫でてみた。
まるで、サラが自分自身にしてくれたように、カイルはユグを優しく抱きしめて、愛おしそうに撫でてみた。