眷属
カイルの目の前には、小さくなったラドンがちょこんと座っていた。
小さくなったとはいえ、普通のブラックウルフと同じ体格はあり、車のように大きい。
現実世界の狼と比べれば遥かに大きな体格をしているだろう。
元々のラドンの大きさを見慣れてしまうと、どこか小さく感じてしまうのは感覚が麻痺しているからだろう。
「・・・この森の外、そこに人間の村があることは知っているよね?」
「はい、存じております」
カイルの言葉にラドンはコクリと頷く。
畏まったような態度であり、もはや敵意はない様子だ。
「その村に危害を加えないでほしいんだ」
「・・・元々、我らは無闇に人間へ危害を加えるつもりはありません。今回は・・・恐れながら、そちらの人間が踏み込んできたゆえ、対処せざるを得なかったと主張させてください」
ラドンは微かに震える声でキッパリと主張する。
それは確かにその通りだとカイルも思っていた。
「君達の縄張りに土足で踏み入ったのは・・・確かに、僕ら人間だね」
「それだけで・・・命まで奪おうと襲う必要はなかったのでは・・・とお考えであるかもしれません。デルガビッズの命を果たす以外にも、今は子持ちの仲間も多い故・・・ご理解いただければと思います」
・・・確かに、子供を抱えた獣の警戒心は半端ないと聞く。
個体によっては、夫にすら、テリトリーの侵入を許さない獣もいるそうだ。
「うん、分かった」
「寛大なお心に感謝を」
ラドンは再びぺこりと頭を下げる。
「もう一つ、聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」
「はい、何なりと」
「どうしてデルガビッズと契約を果たそうとしたのかな?」
・・・デルガビッズは肉体を欲していた。
それは分かる。
意図までは分からないけれど、デルガビッズは僕やあの子を乗っ取ろうとしていた。
だけど、そのデルガビッズの欲求に、ブラックウルフ達が応えようとしたのはどうしてだろう。
「・・・平穏を欲しております。我らブラックウルフは弱き存在です。人間に追われ、魔物に追われ、この辺境の森まで逃げ延びてきました。もう何者にも脅かされることなく、静かに暮らしたい。それが我らの悲願であります」
「そうか、よく分かるよ。本当に・・・よく」
・・・僕は、カタチは違えど、想いはラドン達と同じかもしれない。
暴力に強くなることは、平穏にとって大切な要素の一つだ。
平穏とは孤立だ。
何者にも影響されないからこそ訪れる静寂のことだと僕は思ってる。
しかし、関わってこようとする輩はいる。
こちらが関わろうとしないのに、向こうからやってくる者は、害意や悪意などを胸に抱いていることが多々ある。敵であることが多いのだ。
これに対処するには暴力が1番だ。
自分が強くなるか、誰かの力を借りるか。
目には目を、歯には歯を、暴力には暴力だ。
ラドンは迫る暴力を退けるために、更なる強い暴力に頼ろうとしたのだろう。
至極当然の話であった。
「・・・カイル様、一つお願いがございます」
「ん?僕に?」
「はい、カイル様も平穏を望まれているご様子、特に村の安否を気にされていると察しております」
「そうだね。その通りかな」
・・・情けない話、僕は1人では生きられない。
孤独を求めているのに、人との関わりの全てを切り捨てることができない理由は、僕自身の弱さにある。
あの村がなくなってしまえば、このよく分からない世界で僕は生活できるか自信がない。
どうしたもんかな。
「・・・この森に、新たな魔物が押し寄せてくるかもしれません」
「どういうこと?」
「はい、今まで、我らがこの一帯を縄張りとして主張し、周囲の魔物は勝ち目がないと踏んで攻めてくることはしませんでした。しかし、今、デルガビッズの庇護がなくなり、力を失った我らに、迫りくる魔物を退けるほどの力はありません」
「・・・なるほど、つまり、外から森へ魔物が攻め込んでくる可能性が高い。そして、攻め込んでくる魔物は、当然のように僕らの村も襲う。そういうことか」
「はい、その通りでございます。そうなれば、我らだけでなく、村の人間にも犠牲者が出ると思われます」
「ああ、分かる話だよ。だけど、君達ブラックウルフは森から逃げれば良いんじゃないかな?」
・・・僕らが逃げ出すことは難しい。
土地や家がなければ底辺の奴隷になってしまう。
ただの奴隷ならばマシだが、飼い主のいない底辺奴隷の末路は悲惨らしい。
しかし、ブラックウルフ達は違う。
僕らのようなしがらみがあることは想像できず、魔物が攻めてきても、この森から離れれば良いだけのような気がする。
そんなカイルの言葉に対して、ラドンは僕の言葉に対して首を左右に振る。
「・・・逃げに逃げ、行き着いた果てがこの森です。もう、弱き我らに逃げ場はありません」
「戦うしかない。そういうことだね」
「はい、そこでお願いがございます・・・」
「お願い?」
「はっ!・・・カイル様のお力を我らにお貸しいただきたいのです」
ラドンは真っ直ぐにカイルの瞳を見据える。
その四肢は微かに震えており、恐縮しながら、今の申し出をカイルへ行っているようだ。
カイルは、襲撃を受けたことを気にしていないと再三伝えている。
しかし、ラドンからすれば、命を狙ってしまった相手だ。
そして、カイルはブラックウルフを絶滅させられるぐらいの力を持った。
彼の気分次第で、ブラックウルフの命運が分かれると言っても過言ではない。
そんな相手に、力を貸して欲しい。
言うには勇気のいる申し出であることは確かだ。
「・・・僕が力を貸せば、迫ってくる魔物に対処できるの?」
「はい、デルガビッズと同等以上のお力をカイル様はお持ちです」
カイルは契約書を眺める。
そこには、常時発動しているスキル『眷属契約』があった。
これを使えば、デルガビッズがそうしたように、ラドンに力を与えることができそうだ。
「そうか・・・森と一緒に村のみんなを守ってくれる。その代わりに、力を貸してほしい。そういうことでいいかな?」
「仰る通りにございます」
・・・僕の手下になる代わりに、僕から力を得たいそうだ。
とはいえ、『眷属契約』には魔力が必要だ。
僕の魔力はバグっていて、数値ではなく文字で表示されている。
カイルは唸り声をあげながら考えていた。
両手を胸の前で組み、どうするか悩んでいる様子だ。
ラドンの申し出に対する答えはYESで決まっているのだが、『眷属契約』を果たせるか不安のようだ。
「・・・分かった。僕も迂闊に得た力を使いたくない。だから、代わりに守ってくれるのなら、僕からもお願いしたいぐらいだ。力を貸して欲しい」
・・・悩んでいても仕方ない。
やってみるしかないだろう。
「カイル様・・・ありがとうございます」
ぺこりと平伏するラドンをカイルは見つめる。
そして、手をスッとラドンの下ろしている額へと当てる。
ーーーインフォメーションーーー
・スキル『眷属契約』を発動します。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「・・・」
「こ、これは・・・ウォオオオオオオオン!!」
カイルの目の前のラドンの体毛が白く変色していく。
大きさはそのままで変わらない。
しかし、足の筋肉は膨れ上がり、爪はさらに鋭くなる。
目は金の輝きを放ち、額には蒼い宝玉のようなものがヌッと現れる。
尻尾は2本に増え、先端には銀色の三角形の刃が現れていた。
「素晴らしい!!何と・・・何と・・・何と!?」
ラドンは自身の変化に驚きを隠せないでいた。
人のように2本の後ろ足を使って立ち上がると、自分の体を目で確認する。
「あれ、ちょっと違うのかな?」
「い、いえ!!お力は確かに賜りました。想像を絶するほどに!!!私の存在自体が昇華しております!!」
ラドンの声は歓喜に震えていた。
存在自体が昇華している。
つまり、ブラックウルフではなくなってしまったということだろう。
確かに、白くなってしまっては、ブラックウルフと呼べない。
「・・・この姿は・・・まさしく神狼フェンリル ・・・狼の神に私はなりました」
「え、あ、は?」
呆然とするカイルに、ラドンはファンタジー世界でよく聞く狼の名前を出す。
そして、ラドンは目から宝石のような涙をポロポロとさせながら、カイルへ頭を下げて言う。
「こ、ここまでのお力があるとは・・・何たることを・・・」
「ここまでの力?」
「はい、弱き獣に過ぎなかった我を、カイル様は神にまで昇華されました。そのお力、まさしく最高神とも呼ぶべきものにございます。何たることか・・・カイル様が不死身で在らせられるのは、死すらも超越した存在だったからこそ。そんなことにも気付けない愚かさを、どうかお許しいただければと思います」
「あ、いや、まぁ、良いんだ」
むず痒くなるほどの字句を並べ立てるラドン
思わずカイルは頬を掻く。
「な、何たる寛大さ・・・気にも留めていらっしゃらないとは・・・いえ、違う!!我は・・・何たる御無礼を・・・御身の空のように広く深いお心からすれば、我如きの所作など気にするはずもありませんね」
「いや、待って・・・持ち上げすぎ!!やめて!!」
カイルはむず痒さをさらに覚える。
堪らず、もうやめてくれとラドンを止める。
「・・・この力があれば、守るだけでなく、攻め込むことすらできますぞ!」
「攻める?」
「はい、この世界、カイル様の手中におさめるのが道理であると存じます。しかし、この世界は、カイル様に平伏しておりません。道理に外れております。何たる愚かさか・・・その厚顔無恥さは万死に値すると考えます。いくつか魔物や人間の巣を攻め滅ぼし、カイル様の御威光を示し、己らの愚かさを悔やませてやりたいと思っております!」
「いや、攻めなくても良いよ。森を守ってほしい。村を守ってほしい。それだけで十分だよ」
「な、なんと!!あやつらの愚かさをお許しになると?」
「正直、世界とかどうでもいい」
世界征服に乗り出そうとするラドン
本来の趣旨から大きく外れてしまっている。
まるで、気を大きくした子供のようだ。
「・・・お、おお!!カイル様からすれば、世界ですら雑事!わ、我はとんだ思い違いを・・・」
「もう、それはやめて!!」