第93話
アンジェリカは救出され、王都は解放された。
残りはストックデイル領の攻防のみだ。
現況、ドゥムノニアは戦艦を大破され、海上戦は大敗した。だが、すでに白兵戦に移行して、中心街を大分荒らしていた。
ストックデイル側は夜襲も仕掛けたが、はかばかしい戦果を得られなかった。アーロンは舌打ちをしながら兵を引くと、明け方ユーインが戻ってくる。
「おお、戻ったか!」
「父上、遅れましたが、かえって良いタイミングでした」
「……ほう?」
涼しげに微笑むユーインを見て、ニヤリとアーロンが笑う。罠でも仕掛けてきたのか?
「こちらに戻る途中、王都からの援軍と接触しました」
「…意外だな。中央も大変だろうに」
「ありがたいことです。で、これから挟撃にでます」
「なるほどな。よし、行ってこい!」
「…言われずとも」
ユーインは身を翻して御前を辞す。颯爽と甲冑を付けてあっという間に馬上の人となった。
夜襲でヘトヘトになっているこの時を逃してはならない。無傷の第3王子軍と挟撃して、完膚なきまでに叩き潰す!
ユーインは一睡もしていないが、意気は高い。土煙を上げて、ユーイン率いる第2師団が戦場へ赴いた。
結果的に、挟撃は大成功を収め、ユーインはなんと王太子を捕獲する。残党を蹴散らしユーインは帰還した。華々しい戦果である。
黄塵を洗い落としサッパリしたところで、ユーインはアンジェリカに想いを馳せる。
ーー無事だと、信じて…。
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アンジェリカは救出されてから、ずっと高熱を出したままだった。三日三晩眠り続け、四日目にようやく目を覚ました。
ーー見慣れた天井…。でも、久しぶりだわ…
二度瞬きをすると、扉が開いて派手な音がした。
「お嬢様!」
「セバス…」
ゆっくりと首を傾けると、セバスチャンが驚くほど近くにいた。
「心配、かけたわね」
「ご無事で…良かった…」
ふんわりと抱きしめられる。アンジェリカを労るように、優しく、そっと…。
「お嬢様がご無事だったのは、皆様のおかげです」
「ええ、本当に…」
「まず、お嬢様の居場所を特定出来たのは、ユーイン・ストックデイル様のおかげです」
「ええ」
「そして、お嬢様を救出したのは、エルドレッド・ソーンリー様です」
「ええ」
「アレクサンドル・アルフレッド両殿下は、反乱を鎮圧なさいました」
「ええ」
アンジェリカは涙を零す。ーー本当に、色々な人のおかげで、私はここに戻って来られたのだ。
そして、アンジェリカは柔らかく微笑んで、セバスチャンに言う。
「セバスもよ。貴方の追跡魔法と必死の看病で助かりましたわ。ありがとう…」
布団からそろっと手を出して、セバスチャンにのばす。セバスチャンは震えながら、その手を取った。
「セバス、私の金色の鳥…」
そう言うと、アンジェリカは再び眠りにつく。
セバスチャンは手の中にある温もりに安堵して、そっと頬に手を添えた。
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王家組もストックデイル組も、後始末に忙殺されて学園に全く戻れなかった。
アンジェリカは床に伏してまだ回復しないし、リリアンは王城に客人という名で軟禁されていた。
リオンは学園に戻りいつも通りの生活を送っていたが、時々ジョアンナとアンジェリカの話題になり、心を痛めていた。
さて、エルドレッドはどうしていたのか。
エルドレッドは公爵家で尋問した。最初にアンジェリカの肌に触れたのがヤードリーだと知ると、ボコボコに殴って失神させた。
そんなこんなでいまいち尋問が進まない中、バートランド・ソーンリー公爵はほぼ一連の事件の真相を知る。
ストックデイル領から双子が、ソーンリー公爵家からエルドレッドが国王の御前に参上し、各々知り得た情報を交換した。
堅苦しい謁見が面倒だとセオドリックが我が儘を言って、宰相の計らいで円卓で話し合うこととなった。
「ストックデイル辺境伯が一子、ユーイン・ストックデイルでございます」
「同じく、ノーマン・ストックデイルです」
「ああ、アーロンの秘蔵っ子か。此度も活躍したと聞いている」
「いえ、陛下からの救援のお陰でございます。そこでご相談なのですが、捉えた王太子の処遇を、いかが致しましょうか?」
「ほう、王太子を捉えたか」
アゴを撫でながら、セオドリックは双子を眺める。ーー中々優秀だな。それに、扱いをこちらに押し付けようという小細工も面白い。
「そちらで手が余るようなら、引き取ろう」
「…今回の戦後交渉は、ストックデイル領で行ってしまってもよい、と…?」
「そうだ。こちらの取り分は2割で結構」
破格の申し入れだった。普段は5割の取り分なのに。ましてや、救援も出してもらったのに。
ーー気が変わらないうちに…
「ありがとうございます、陛下。ではその旨書面にて」
「さすがに抜け目ないな。良いだろう。誰か、執務官に伝えよ」
一両日中に作成する、少し待てと低い声でセオドリックが双子に言うと、双子は恭しくお辞儀をした。
「次、バートランド」
「…此度の戦は、全てソーントン公爵の謀にございます」
「…続けろ」
バートランド・ソーンリーは説明を続ける。
ヤードリーを尋問し、分かったことだ。アンジェリカとリリアンを誘拐し、同時にストックデイル領とレクサム領を無力化する。そうして援軍の見込のない王城を攻め落とす、という計画だった。
アンジェリカの誘拐は私怨で、リリアンの誘拐は人質目的だった。リリアンは他に遣いようもあったけれど。
実行犯から協力者までの貴族の名を告げると、セオドリックは少し意外な面持ちで息を吐く。
「そうか」
「処罰を」
それは宰相に任せるといって、ウィリアムを怒らせた。
「さて、最後は『聖女』の処遇についてだが…」
「相談されるべくもない。それは、王家で処理したまえ」
にべも無く言い放つバートランドに、待ったをかけたのはウィリアムだった。
「『聖女』の秘密を鑑みると、我が家で引き取ってもいい」
「ーー何を考えてる?ウィル…」
「ただ選択肢を一つ増やしただけさ、バート」
ウィンクを飛ばしておどけるウィリアム。それに舌打ちするバートランド。
「それについては、決定は学園を卒業してからでお願いします」
アレクサンドルが大人の会話に割って入る。出来れば、本人の意思に任せたい。ーー選択肢は、驚くほど少ないが…。
「…良いでしょう。アレクサンドル殿下には、この戦において高い功績があります。『聖女』の処遇はお任せしましょう」
「……ウィル、お前の台詞じゃないぞ、それは」
だって貴方何もしてないでしょ?とウィルに指摘されると、ぐうと唸ってセオドリックは口をつぐんだ。
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事件から1ヶ月後、アンジェリカはようやく学園に戻った。
季節はもうすぐ初冬を迎える。アンジェリカは制服に薄手のコートを着て登校した。
「アンジェリカ様!」
嬉しそうな声が後ろから上がる。アンジェリカも嬉しくなって、笑顔で振り向いた。
「リリアン嬢、お久しぶりですわ!」
「ああ…!アンジェリカ様、アンジェリカ様…!」
リリアンはそのままアンジェリカの豊かな胸に飛び込む。すりすりと胸の感触を堪能して、リリアンはようやく安堵した。
「ご無事で…ご無事で本当に…!」
「ええ、リリアン嬢のおかげです。本当にありがとう存じますわ」
「アンジェリカ様~!」
あまりの喜びに、リリアンはギュッとアンジェリカを抱きしめ、大きな胸の谷間に顔をうずめる。
すると、ふいに襟首を引っ張りあげられた。
「…ちょっと、リリアン嬢。離れて…!」
「まあ、ソーンリー様…」
「アンジェリカちゃん、元気になった?」
エルドレッドのハグを笑顔で受けるアンジェリカ。「元気になりましたわ」とそっと抱きしめ返す。
「アンジェリカ嬢!」
「アンジェリカお姉様!」
すると、今度は両殿下が現れて、代わる代わるハグされた。ーー皆、心から案じていてくれたのだ。アンジェリカの胸が温かくなる。
ーー帰って来られたのだ。アンジェリカはようやく芯から安堵することが出来た。
移動教室の時間に、双子とも会えた。アンジェリカが丁寧に礼を言うと、ユーインが嬉しそうに笑った。
「いや、お礼を言うのはこっちだよ、アンジェリカさん。僕の指輪を付けていてくれて、僕の約束を覚えていてくれて、ありがとう」
「まあ…そんな…。ユーイン様のお陰で命拾いしましたのに」
ううん、いいんだ。そう言ってユーインはアンジェリカを抱きしめる。温かなその身体が愛しくなり、アンジェリカも抱きしめ返した。
「…はいはい、そこまでだよユーイン」
「ここは学園の廊下です。お控えくださいね」
ノーマンとリリアンに窘められ、二人は苦笑した。「ノーマン様も、本当にありがとうございました!」と去り際に言うと、ノーマンは「どういたしまして」と振り返らず手をヒラヒラして去って行った。
ありがとう、本当に。
アンジェリカには感謝しかなかった。
少し冷たい風が、中庭を吹き抜ける。
温かい紅茶を東屋で飲みながら、アンジェリカはリリアンとお茶会を楽しんでいた。
「アンジェリカ様、お身体は大丈夫なのですか?」
「ええ。セバスチャンが念を入れすぎですのよ。本当は半月ですっかり良くなったのに」
心配をかけすぎましたわね、と首を傾けてアンジェリカは微笑む。その穏やかな表情に、リリアンもまたホッとした。
ーー乱暴されたと聞いたけれど…
もちろん純潔は守られたが、あわや…という状態だったらしい。
こう考えてしまうと、リリアンはまた怒りの感情に支配されてしまう。
犯人はすでに死亡したという。これでアンジェリカ様を脅かすことがもう無いといいな、と心から願ってやまない。
「リリアン嬢こそ…。その、人質に取られたとうかがいましたが…」
「あっ!いえ、私は大丈夫です。直前まで拘束すらされていませんでしたし。怪我もしなかったです」
「そうなの。良かった」
胸に手を当てて喜ぶ姿が可愛すぎる!もう拝んじゃう!南無南無。
ーーとリリアンは多少暴走気味だ。
「セバス、紅茶を入れて」
「畏まりました」
セバスチャンが二杯目の紅茶を注ぐ。コポコポと紅茶が流れる音が、ひどく心地よい。
リリアンは勇気を出して、アンジェリカに聞いた。
「……アンジェリカ様は…その…私が『聖女』だと、ご存じでしたか…?」
「……ええ」
「そう、ですよね。その上でいつも色々お心配り頂いて…」
アンジェリカはリリアンを『聖女』だと知っていてもなお、態度を変えたりしなかった。最初からアンジェリカは徹頭徹尾優しかった。
ーーその優しさに一抹の寂しさを感じるなんて、贅沢者だ。
「私がリリアン嬢に心を砕いたのは、リリアン嬢が好きだからですわ」
「……え……?」
「お友達になれて、私、本当に嬉しかったのです。貴女が聖女でもそうでなくても、私は貴女とお友達になりたいですわ」
「あ、アンジェリカ様~!」
ポロポロとリリアンは涙が零れる。ーー嬉しい、嬉しい!
「私も、アンジェリカ様が大好きです~!」
「ふふ、私もですわ」
テーブルの上で、アンジェリカはリリアンの手を握る。
「…私の純潔が守られたのは、リリアン嬢のお陰です」
「え?」
「暴漢を撃退してくれたのは、リリアン嬢から頂いたブローチのお陰なんですの。私の危機にブローチから聖魔法が放たれましたのよ」
「…そっか…。私のブローチがアンジェリカ様のお役に立てたのですね…」
「ええ!命を救って頂きましたわ!」
「う、う、嬉しいです~!」
とうとう、リリアンは本泣きし始める。これまでアンジェリカに貰った何分の一でも、返せたらこんなに嬉しいことはない。
えぐえぐと泣いていると、あらあら、と優しくアンジェリカが涙を拭う。
「……アンジェリカ様は、皆様に愛されています」
「え?」
唐突に、リリアンが話し始める。
「アレクサンドル殿下は、公人の立場を守りました。アンジェリカ様が悪く思われないためです」
「ええ、そうね」
「ソーンリー様は、自らアンジェリカ様を救出したと聞きました。これもアンジェリカ様への愛故です」
「ええ、そうね」
「ストックデイル様は、普段からアンジェリカ様の身を案じ、魔法具で助けたと聞きました」
「ええ、そうね」
リリアンは涙を拭い、アンジェリカの手をギュッと握りしめる。
「アンジェリカ様、皆、貴女が大好きです。もちろん、私も」
「ええ…そうね。本当に恵まれておりますわね…」
「どうぞお心を自由にして、先を選んでください」
「…ありがとう、リリアン…」
顔を上げてリリアンを見つめるアンジェリカは、清々しい美しさに満ちあふれていた。
リリアンの望みはただ一つ。
アンジェリカが幸せになることだった。