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セバスチャンと私  作者: 海老茶
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第86話

久しぶりに公爵邸に戻ってきた。もうすぐ夏休みも終わる。

寮に戻るその前に、アンジェリカはセバスチャンを呼んで、リリアンと三人で話をした。


「少し気になることがありますの」

「どうしたんですか?アンジェリカ様」

「気になることとは?」


うん…とアンジェリカは白く美しい手をおとがいに当てて、続ける。


「殿下の保養地で、太っちょ(ヤードリー)がいたそうよ。そして、ユーイン様は隣国があちこち密偵を放っていると」

「え…?」

「また懐かしい名前ですね。ですが、それが何か?」


うん、そうね。そうよね…とアンジェリカは言い淀む。アンジェリカはこの夏休みの訪問で、多方面から色々な情報をーー主に心配をーーもらった。セバスチャンに共有しておこうと思って話しているが、どうにも曖昧になって上手く説明出来ない。


「アンジェリカ様、何か心配ごとがあるのですね?」

「そう。漠然とした不安ですの。太っちょ(ヤードリー)の没落や隣国の動き、鉱石や武器の流通減少…何となく、引っかかりを覚えて」

「…それで、左手の指輪なんですね。護りの指輪…」


セバスチャンが指摘したのは、ユーインからもらった指輪だった。ユーインも危険を感じたから、アンジェリカに贈ったのだろう。


「まったく説明つかなくて申し訳ないけれど、セバス、よく覚えておいて。出来れば、調べて欲しい」

「畏まりました、お嬢様」


では紅茶をもう一度淹れましょう、とセバスチャンは立ち上がり給仕の準備をし始める。


席を離れたセバスチャンを横目で見ながら、リリアンは声を潜めてアンジェリカに聞いた。


「アンジェリカ様…その…婚約者は…決まりました?」

「…いえ、まだ…」


決められない、とアンジェリカは小さく零してうつむく。リリアンも傍で見ていて分かったことは、誰もがアンジェリカを大切にしてくれる。きっと…誰を選んでも幸せになると思う。


ーーでも、選ばれなかった人は?


リリアンはそれが何だか怖い。行き過ぎる執着は、毒だ。リリアンはリリアンで、目に見えない不安がおりのようにたまっている。


二人がうつむいて黙っていると、紅茶の芳醇な香りが漂った。アンジェリカが顔を上げて、紅茶を飲み始める。


「…やはり、セバスの淹れる紅茶は完璧ね」

「もちろんですよ、お嬢様」


お嬢様のことは何でも分かっている、とでも言いたげにセバスチャンは応じる。


ここにも執着のスゴイ人がいた、とリリアンは不安を大きくさせるのであった。



++++++++++



明けて新学期。バタバタと生徒たちは日常に戻っていった。


アンジェリカも、個人的な事情はまだまだ解決出来そうにないが、学園に戻って一息つく。

そんな中、アンジェリカは珍しい人に声をかけられた。生徒会に向かうすがら、二人の美女は話し合う。


「ーーマスグレイヴ様が?」

「ええ。新学期当初は来ていたのですけれど…。先週から学園にいらしてませんわ」


アンジェリカは瞳を大きくして、ジョアンナを見つめた。声をかけられた事も驚きだが、その内容にも驚いた。ーーアデラインの不在が、それ程珍しいのだろうか?


アンジェリカの不思議そうな瞳を見て、ジョアンナが苦笑する。


「…私とて、余計なお世話かと思いましたのよ。けれど、やはり言わずにはいられないのですわ」

「その…マスグレイヴ様がどうかなさって?」

「夏休みにとあるお茶会で、会いましたの。それはもう、すっかり面変わりなさって…。そう、何だか狂気じみてましたわ」

「………」


それは、私の婚約事情が絡んでいるのだろう、とアンジェリカは視線を落とす。


「狂気じみていたのは、発言も併せてです。“必ず添い遂げてみせる、あの女を追い落としてみせる”と…。小さな呟きでしたが、隣にいた私には聞こえてしまいまして。それで…その…」

「…ありがとう存じます、ハドルストン様。私を案じてくださって」

「…ま、案じているのは、どちらかといえばマスグレイヴ様の方ですけれど」


肩をすくめて、少しおどけたようにジョアンナは返した。


ーーこの方に好かれているとは思わないけれど…


だが、忠告してくれた。正義感の強い素敵な女性だ、とアンジェリカはジョアンナを再評価した。


生徒会室が迫る。ジョアンナは立ち止まって、最後の警告をする。


「身辺にお気を付けてくださいまし。何だか嫌な予感がいたしますわ」

「ええ、分かりました。色々ありがとう存じます」


アンジェリカは礼を言ってニコリと柔らかく微笑むと、ジョアンナも同じように柔らかく微笑んだ。


ーーだからといって、この二人に熱い友情など生まれはしなかったが。



++++++++++



ピチョン……ピチョン……ピチョン……


水が規則正しく跳ねる音に、男たちは苛ついた。ただの水漏れなのだが、なぜだか心がざわつく。


こんな古い教会の地下だ、色々ガタがきていることに腹を立てても仕方あるまい、と年長の男が一同を窘めた。その低く威厳のある声は、男たちの居ずまいを糺すのに最適である。急に緊張を取り戻した雰囲気の中、年長の男が改めて作戦を説明する。


食糧を探し求めてやってきたネズミが、その異様な雰囲気に毛を逆立てて去って行った。それ程、この場はおどろおどろしい気配が立ち込めている。


「まず……を………に分けて…」

「王都と……を………に攻めて………から、……に…」

「……は、どうする……攫う……で、…」

「学園に……を……そこで……は、……」

「……いや……殺す……でも…」


男どもは、声を潜めて作戦を確認しあう。


この1年、少しずつ味方を増やして戦略を練ってきた。年長の男は恐ろしく緻密で、これまで他に全く漏れ出ていなかった。だが…。


「本当なら、あと1年猶予が欲しかったのだが…」

「…申し訳ございません、閣下…。手前どもの身内の恥をさらしてしまいまして…」


ミルトン伯爵のお家騒動により、ほんの少し計画に決壊が生じた。一つの綻びは、他を誘発する。ーーそうなる前に、決着をつけたい。閣下と呼ばれた年長の男は、決行に踏み切る決意を固めた。


「ドゥムノニアが思ったよりやる気でな。まあ、それで相殺される」

「かの国が過剰な要求を突きつけてきましたら、如何なさいますか?」

「その時はその時。せいぜい美味い餌を撒いてやらねばな」

「……畏まりました」


少しだけ不満そうに、若い男は答えた。それを横目で眺め、年長の男は年若の青さを侮蔑する。


ーー野心、か…


年長の男にも、野心はあった。むしろ野心家だった。だが、1年ほど前に子がしでかした一件により、信用が失墜した。


ーー信用など、初めからないわ…!


年長の男は、己の地位を不動なものにするため、あくせく働いた。良いことも、そして同じだけ悪いこともした。王の信頼を得るために。


こうして弾かれて初めて、王家を客観的に見ることが出来た。あの王は、誰も信用しない。せいぜい頼るのは、宰相くらいだ。ーー年長の男は、それを痛感しこれまでの日々を後悔した。


ーーひと泡噴かせてやろう…


そんな気持ちが発端だった。ーー同士たちには口が裂けても言えないが。己を比類なき賢者だと思っている連中を相手取り、奴らを叩き壊す。それは、なんとも魅力的な夢であり、彼の生きる原動力となった。


いま、彼のこれまでの人生の中で、最も血がたぎっている。細胞が活性化し、頭が冴え渡る。


彼は、すでに結果を求めていなかった。もちろん、戦うからには完膚なきまでに勝利を得たい。だが、綿密に考えれば考えるほど、完全勝利は難しいことがよく分かった。あのクソ忌々しい王には、優れた側近が大勢いる。奴らを機能させる前に、風穴を大きく開ける。


タイミングと運だ。


それが無ければ敗戦となるだろう。


だが。


「どうせ滅びるなら、せいぜい華麗に滅びればよいのだ…」


年長の男の呟きは低く、誰にも聞き取れなかった。



ーー決行の日は近い。



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