第81話
ソーンヒル公爵家に3家から婚約の申し入れがあった、と言う話は、貴族中に瞬く間に広がった。
「ついに宰相閣下のお眼鏡に適う人間が」と騒然としたという。
宰相閣下の婿ーーそんな強者に敬意を表しながら。
だが、世間の噂は所詮噂だ。宰相閣下が選んだのではない。申し入れがあったから、受けただけだ。しかも選択権は、娘に与えた。
宰相閣下は、ただ待っていただけだ。彼は全く能動的な人間ではない。ーー世間は、そのことを知らない。
宰相閣下は、国王陛下にいつものように呼び出され、いつものように執務室に入ると、そこには大変珍しい人物がいた。
「おや、バート。珍しいね。外交大使は暇になったかい?」
国王の執務室にいたのは、バートランド・ソーンリーであった。相変わらず眉間にしわをよせて、機嫌が悪そうに見える。そんなバートランドが可愛くて、ウィリアムはついからかってしまう。
「……その外交大使の仕事だ。そこに座れ、ウィリアム」
「はいはい」
「3人揃うと、同窓会みたいだな」
ずいぶんとのんきなことを、国王が言い出す。案の定、バートランドが怒りだした。
「何をのんきなことを!さっさと仕事をしろ!」
「はいはい。仕事しましょう、バート。私に何を言いたいのかな?」
「…隣国のドゥムノニア王国から蝿が大量に発生しているため、駆除を手伝えとの知らせだ」
「ふぅん」
書面を見て、ウィリアムの片眉が動く。送り主は、ストックデイル辺境伯。
ーーアンジェとの婚約話もその一環かな?
ドゥムノニアの偵察が、余程うるさいのだろう。中央に仕事を持ち込ませるのは、現辺境伯には珍しい。
だが、書面よりも、バートが宰相に諮ることの方が大変珍しい、とウィリアムは思う。特段、こちらに諮る必要が無いと思われる事案だが。首をかしげて、ウィリアムは尋ねた。
「バートの見立ては?」
「蝿は見つけ次第潰してはいる。だが、数が多いのが解せない。先年の国王代替わりからこちら、大人しくしていた新王なのだが…」
「俺より若い王だったな。軍人上がりの第1王子だ。代替わりは特に争いも無く、スムーズだったと聞いているのだがな」
「まあ、政策というのは朝令暮改が常ですから。こちらをコソコソ嗅ぎ回ることの、何が不可解なんです?」
「不可解、というか…」
宰相の問いに、バートランドが少し目を伏せて答える。
「ドゥムノニアの蝿、鉱石や武器の流通の減少、ミルトン領の内乱…。これらが点ではなく線で結ばれていたら?ーーいや、叩けばまだ出てくるかもしれない」
「線で?その割には点在しすぎているし、時期もバラバラだ。バートの杞憂では?」
楽観的な国王が、楽観的なことを言う。だが、セオドリックの発言を窘めると、こう返ってくるだろう。「考えるのは、臣下の役目。決定するのが、俺の役目」と。
セオドリックの意見も一理ある、とでも言うようにバートランドは頷いて言う。
「それなら良いんだが。何だか嫌な予感がしてな」
「私は、バートのカンを信じたいな。すると、そのうち大事件に発展することになる」
「…そんなところだ」
本当にこの男は真面目だ、とウィリアムとセオドリックは思う。面倒くさがりなウィリアムとは違い、この国を真剣に想って、苦手な二人に注意喚起をするのだから。
ーー口は悪いし素直じゃないけれど。
セオドリックが疑わない唯一無二(唯二無三?)の人間。それがウィリアムとバートランドであった。
ーーセオドリックの凄さは、裏切られたら裏切られたらで面白い、と楽しんでしまうところにあるが。
とにかく、彼らに裏切られるまで信じる相手は、この二人しかいない。王妃でさえ息子でさえ、セオドリックは信じていなかった。
そしてそんな熱男・バートランドを眺め、セオドリックはふと気付く。
「あ、俺、バートがウィルに会いたい理由が分かったよ」
「…人聞きの悪いことを言うな。会いたいわけがなかろう」
「ふふ。素直じゃないね、バート。君は、外交報告にかこつけて、息子の婚約について聞きたいんだろう?」
「ーーバカな!」
バートは短く叫んで、プイッと横を向き耳を赤くさせる。その様子が、セオドリックの発言を如実に肯定している。
ーー全く、可愛いなぁ、バートは…
とくそ野郎二人が温かく見つめた。
「そうかそうか。私も気になるしな。ーーで?どうなの?ウィル」
「アンジェリカ次第だな。決断は、アレに任せている」
「おや、珍しい。反論させずに従わせていたのに」
「…まあ、結婚相手くらいはな」
「では、アレクサンドルが選ばれる可能性もあるんだ。それは面白い」
ちっとも面白くない、と言わんばかりの顔で、バートランドが二人をにらみつける。うんうん。何のかんの言って、息子が大事なんだね、とやっぱり温かく見つめるくそ野郎二人。
咳払いをして、バートランドは言い訳するように話す。
「お前への婚約申し入れは、私ではなくオズワルドだ。勘違いするな」
「あれー?じゃ、マスグレイヴ家はどうするの?」
「マスグレイヴへは、正式に申し入れをしたわけではないが、打診していた以上、断れば不実だろう?」
「…よもや、そのまま宙ぶらりんではあるまいな」
「貴様と一緒にするなよ、陰険野郎。貴様へ申し入れする前に、オズワルドの婚約候補に切り替えたわ!」
あ、バートが申し入れしたって認めちゃった、とセオドリックは思ったが、指摘はしなかった。
それにしても、ソーンリー家の身内への愛情は、もの凄くわかりにくいが、もの凄く深い。
「そんな面倒なことしなくても、アンジェリカ嬢との婚約は、オズワルド君にすれば良かったんじゃない?そうすれば、アレクサンドルの方が有利に婚約出来たろうに」
「貴様らの目論見通りにはさせぬ!……次男の、一生に一度の我が儘だ。聞いてやらねばなるまいよ」
「その割に、オズワルド君からの申し入れにするなんて、姑息というか小心というか…」
「だ、だまれ!ウィリアム!」
バートランドは叫びながら立ち上がって、出口に向かう。出て行く直前、「…まあ、よろしく頼む」とものすごーく小さな声でささやいた。
「…案外あざといな、バートは」
「確かに。あれでエルドレッド君へ天秤が傾いたな」
あ、ひどい!アレクもよろしく頼む~とセオドリック。貴様がやると気色悪い!とウィリアム。
重要案件を含む同窓会は、これにて幕を閉じたのだった。
そして、後日この時のバートランドのカンが正しかったことを、くそ野郎二人は知ることになる。
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ソーンリー公爵家より、お詫び状がマスグレイヴ侯爵家に届いた。
読み始めは青い顔をしていたマスグレイヴ侯爵だが、読み終えると、喜色満面になる。
そして、その足で帰宅していた娘に喜びを伝えた。
「アデライン!」
「…はい、お父様」
「喜べ!お前は、ソーンリー家跡継ぎのオズワルド様の婚約者となったぞ!」
「え…まさか、そんな!」
「こちらは、ソーンリー家と懇意に出来ればそれで良かったのだが、まさかご嫡男様と婚約して頂けるとは!」
「お、お父様…私は…」
「うんうん、嬉しくて声も出ないか。公爵夫人になるんだもんな。でかした!アデライン!」
やはり持つべきものは、美しい娘だな!とそのままマスグレイヴ侯爵は部屋を出て行く。
ーーエルドレッド様を結ぶ細い糸が…
ふっつり切れてしまった。これで、アデラインはエルドレッドの結婚を阻むことが出来ない。
膨大の涙が、アデラインの瞳から流れ出す。哀しみと絶望から、アデラインの意識が途絶えた。
喜ぶマスグレイヴ侯爵だが、彼はそそっかしくて愚かだった。その詫び状をよく見れば、正式な婚約状ではないことが分かるのに。彼は確認を怠った。
そしてそれこそが、優れた外交大使の巧妙な目くらましだった。
ようやくラストが決まりました。これにてエンドに向かって頑張ります。