第80話
暑い夏を迎える前に、生徒たちは辛い試験をようやっと終えた。
その試験結果が貼り出される。わらわらと人が集まる中、アンジェリカは遠くで一覧を眺めていた。隣でリリアンが、「アンジェリカ様、首席です!」と興奮している。……数メートル先が見えるのか。すごい。
「ありがとう存じます。リリアン嬢は、どうでした?」
「はい。私は2番でした」
「まあ!素晴らしいですわね」
「えへへ。アンジェリカ様のおかげです!」
アンジェリカが手放しで褒めると、リリアンはポッと頰を染める。アンジェリカは、その様子を何とも愛らしいなと思いながら見つめていると、突然背後から抱きしめられる。
「アンジェリカちゃん!」
「きゃあ!」
「び、びっくりした…。ソーンリー様!アンジェリカ様が驚いてます!」
離れてください!とまくし立てるリリアンだが、エルドレッドは一顧だにしない。
「見た?見た?僕の順位!」
「…残念ながら、ここからでは拝見出来ませんわ」
「10位だよ、アンジェリカちゃん!やった!」
「まあ!おめでとう存じますわ。…そしてそろそろ放してくださいまし」
「やだ。もう少し堪能させて!」
エルドレッドはそう言って、グリグリと頰をアンジェリカの頭にこすりつける。
すると、急にエルドレッドの手が離れた。その途端、誰かに肩を寄せられる。
「離れなよ、先輩」
「…君こそ、アンジェリカちゃんから手を放してもらおうか」
まるで虎と狼だ、とリリアンはハラハラした。初夏なのに、ここだけ冷気が漂っている。……怖い。
前門の虎は、後門の狼を無視して、アンジェリカに話しかける。
「アンジェリカさん。順位見てくれた?」
「…ここからでは拝見出来ませんわ」
「僕、首席だったよ」
「まあ…!おめでとう存じます」
アンジェリカの瞳が大きく開く。まさか、首席を取るとは。ーー完全に流されちゃったが、エルドレッドの10位にも驚いた。
これで、アンジェリカは約束を果たさねばならない。ーー両方。
「ふふ。デート、楽しみだな」
「…お約束ですものね」
「…なにそれ、アンジェリカ。僕以外との約束があるの…?」
エルドレッドは冷たく言い放ち、アンジェリカの腰を取る。肩はユーインに、腰はエルドレッドに取られ、アンジェリカは身動きがとれない。
ちらりとリリアン嬢を見て助けを求めるが、リリアンは首を振った。「無理です」と目が語る。
「アンジェリカ、答えて?僕が10位以内なら、僕とデートする約束だよね?」
「先輩。アンジェリカさんは僕とも約束したんだよ。僕が首席を取ったら、僕とデートしてくれるとね」
「確かに、私はお二人と約束しましたわ。ですから、お二人とお出掛けします」
アンジェリカがしれっと無表情で伝えると、2人の手が強まる。特にエルドレッドはかなり憤りを感じた。
ーー勝手に約束しやがって…!
アンジェリカは受動的で、割と流されやすい。ユーインは、巧みな話術か強引な戦術で、約束を取り付けたのだろう。それが、エルドレッドには悔しくてならない。
ーー目が離せないな…
可愛い人は、いまや3匹の獣に狙われている。遅れを取るわけにはいかない!
エルドレッドとユーインがにらみ合っていると、さらに冷たい声が降り注ぐ。
「そこまでにしたまえ。ずいぶんと悪目立ちしているよ」
人の波がサッと広がる。ーー王子様の登場である。
「二人とも、アンジェリカ嬢から手を放しなさい」
「………」
渋々、といった様子で、2人は手を放した。アンジェリカがホッとしたのもつかの間、今度はアレクサンドルに腕を取られる。
「…3人の会話を聞いたよ。これは、私にも平等な権利をもらわなくては」
「えー!別にアレクは約束してないじゃない」
「そんな不埒な約束、ずるいだろう?ーー私だって、1年生の時からずっと首席だ。ご褒美を主張して然るべきだろう?」
ぐう、とエルドレッドがうなる。確かに、やや強引な約束だったことは否めない。
ユーインは涼しい顔をして、余裕そうだ。「女の扱いは、自分が1番慣れている」という自信の現れだろう。
「どうかな?アンジェリカ嬢」
「…分かりましたわ。3人とも、平等なお約束に」
アンジェリカは説得を諦めた。いや、むしろ婚約者候補がみな平等なら、色々言い訳しやすい。ーー主に、エルドレッドに。
アレクサンドルは満足げに、つかんでいた腕を放す。そして目立つ2人を引き連れて、その場から去って行った。リリアンが心配そうにアンジェリカに駆け寄る。
「大丈夫でした…?アンジェリカ様」
「ええ、ありがとう」
「殿下が権利を主張していましたが、あれは何ですか?」
さすがに聡い女性だ、とアンジェリカは改めてリリアンを見直す。婚約の申し入れについて、まだリリアンには何も話していない。ーー良い機会だ。打ち明けてしまおう。
「それについては、ランチを取りながら説明しますわ」
「あ、あの…。無理に話さなくても大丈夫ですよ。出過ぎてしまってすみません…」
「そんなことありませんわ。良かったら、相談にのってくださいませ」
「はいっ!」
リリアンの明るい笑顔を見て、アンジェリカは安堵する。いつの間にか、彼女の隣に居ることは、心地よい空間となっていた。
そして、いずれはリリアンの聖女について、解決しなくてはならない。
まだまだ問題は山積みだ、とアンジェリカはため息をはき、面倒くさがるのであった。
中庭の隅にある東屋で、軽食を取りながら2人の美女が密やかに話し合う。
セバスチャンは紅茶を給仕しながら、食べ終わった食器を片づけ始めた。
「婚約者候補…!」
アンジェリカから説明を受け、リリアンが驚きの声を上げた。あっという間の展開に、頭がついていけない。
ーー確かに、殿下もソーンリー様も…ずっとアンジェリカ様をお慕いしていたけれど…
まさか、学生のうちに婚約を申し入れるとは。
という胸の内を話すと、アンジェリカが微笑んで答える。
「貴族では、そう珍しくありません。そもそも、殿下にもソーンリー様にも、婚約者がいない方が不思議なのですから」
「お二人は好きな人に、求婚したのですね。恋愛小説みたいです」
「…キャスリーン様が好きそうな展開ですわね…」
げんなりするアンジェリカが、とても可愛らしい。殿下でもソーンリー様でも、アンジェリカを幸せにしてくれるだろう、とリリアンは安心している。だが…。
「その、ユーイン・ストックデイル様は…どのような方ですの…?」
恐る恐るリリアンは尋ねた。リリアンにとって、あの双子は単なる恐怖でしかない。
「そうですね。まあ、とても独善的ではありますが…そう悪い方ではありませんわ」
「ありがとう、アンジェリカさん。そう言ってもらえて嬉しいな」
「ぎゃー!」
リリアンの顔が恐怖に歪む。およそ淑女らしくない叫び声を上げて、テーブルから離れた。
「…ユーイン様。どうなさいましたの?」
「うん。デートの打ち合わせをしたくてさ。あと、夏休みのお誘いを」
そう言うと、ユーインはアンジェリカのつむじにキスをして、隣に座る。ーーまるで、恋人の様な扱いだ。
「ちょ、ちょっと!い、い、今は、私がアンジェリカ様とお話ししているんですよ!」
「…おや、うるさい蝶だね。なら、ノーマンとでも話していたら?」
ユーインはちらりと振り向いて、遅れて来たノーマンにリリアンを押し付ける。
「ノーマン。リリアン嬢を頼むよ」
「リリアン嬢は物じゃないぞ。…ごめんね」
「結構です!私がアンジェリカ様とお話しするんです!」
リリアンはアンジェリカの左腕に絡みつき、ユーインをにらみつける。どうやら恐怖心は何処かへ飛んでいってしまったようだ。
呆れ顔のユーインと、ケタケタ腹を抱えて笑うノーマン。顔だけはそっくりだ、とリリアンは思う。ーーいったい、アンジェリカはこの2人をどうやって見分けているのだろう?
リリアンが双子をにらんでいると、蕩けるような美声がかかる。
「抜け駆けはいけないな」
「アンジェリカちゃんは渡さないよ」
中庭の小さな東屋に、美青年が突如現れた。2人のお目当ては、もちろんアンジェリカである。
ーーやっぱりこうなった…
とセバスチャンは苦い顔をする。茶髪の鼻は、本当にすごい。完全に獲物を追う猟犬である。
しかし、もうセバスチャンに口出しは出来ない。アンジェリカを囲む美麗な青年たちは、正式な婚約者候補なのだ。
奥歯を噛んで、目の前の光景に必死に堪えるセバスチャン。
そんな執事の想いと関係なく、麗しい蜂は美しい花に群がった。
「お出掛けの話しなら、私たちも参加しなくてはね」
「…しかも、さり気に夏休みの誘いまでしやがって…!」
「スタートラインに立ったのは、僕が1番遅い。少しは遠慮してもらわないと」
ユーインはアンジェリカの肩を抱き、都合の良いことを告げる。
「触るな!離れろ!」
「嫌だね」
「いや、放してもらおう」
アンジェリカの肩に置かれたユーインの手を振り払って、アレクサンドルは抱きしめるようにアンジェリカに触れる。
ーー誰も彼も、独占欲を隠そうともしない。
そんな姿ーーぎゃあぎゃあと美青年が1人の女性を取り合う様子ーーを見て、リリアンの胸がキュンと高まる。
「はう~。アンジェリカ様が尊い…。学園の人気者から一手に愛を受けるなんて…!さすがはアンジェリカ様…素敵過ぎる…!」
「…どっちかというと、アンジェリカさんが気の毒だと思うけどな…」
ユーインに目を付けられ執着された時点で、ノーマンはアンジェリカに激しく同情している。しかも、美青年たちから言い寄られたからと言って、アンジェリカは大して嬉しくなさそうだ。それに…。
「リリアン嬢、後ろ見て」
「後ろ?」
さり気なく振り返ると、遠くにこちらをにらむご令嬢たち。ーー恐怖そのものだ。
「うわあ…」
「ユーインだけでも可哀想なのに、あれまで…。アンジェリカさん、本当に気の毒だよ」
「ですね…」
いつの間にか、ノーマンと仲良くなるリリアン。リリアンの警戒心が緩む。
「…アンジェリカ様を守らなければ…!」
「そうしてあげて。ユーインの件では、僕も申し訳ないと思ってるし。僕も手伝うね」
「ありがとうございます、ストックデイル様!」
「はいはい」
リリアンとノーマンは堅い握手をかわす。
アンジェリカたちの知らない所で、新たな友情が芽生えていた。
リオン君の出番が遠い…