第8話
来週末に、学園内で模擬舞踏会を行うというお触れが出た。
学園に入学した女子生徒は、ほとんどが社交デビュー前なので、模擬とはいえ本格的な舞踏会に浮き足立った。
舞踏会には、当然、エスコートの存在が重要となる。
学園内なので、エスコートは必須とされなかったが、己のプライドをかけて、男女ともにエスコートの誘いにいそしむのだった。
「あー、こういう時、婚約者がいない男は大変になるんだよなぁ…」
「いや、むしろチャンスじゃないのか?婚約者がいたら、その人をエスコートせざるを得ないし」
「良い女は、良い男に取られちまうだろ」
「貴女はもうお相手が決まりまして?」
「いいえ…私、どうすれば…」
「憧れの君に、思い切ってお話してみようかしら…?」
男も女も、毎日エスコートの相手で頭が一杯となる。もだもだソワソワしながら、学園内の空気が桃色に染まるのだった。
さて、そういった空気に全く馴染まない人物がいた。
アンジェリカである。
知り合いもいないから、彼女はエスコート無しか、最悪セバスチャンにでも命じようと思っていたから、どこ吹く風である。
「ソーンヒル公爵令嬢」
「はい?」
呼ばれてアンジェリカが振り向くと、そこには空色の瞳の爽やかな青年が立っていた。
「来週末の舞踏会だけど…。君は決まった男がいるのかい?」
「………いえ」
「それなら、是非僕にエスコートさせてもらえないだろうか」
そう言って、青年はニコリと微笑む。聞き耳を立てていた女子生徒たちから、嘆きの声があふれ出す。
ーーどなたかしら、この方……
確か、クラスメイトだったような。アンジェリカにとっては、そんな程度の認識だった。
反応がないアンジェリカに、青年が慌て始める。
「えっと、僕は…」
「パトリック様!」
甲高い声で、青年の名を呼ぶお嬢様が現れた。ちらりとそちらを見ると、ヘイゼル色の瞳の可愛らしい女性だ。
「わ、わ、私がありながら、何故ソーンヒル様をお誘いになりますの…?」
「もちろん公式な場では、君をエスコートさせてもらうよ。可愛いアディ」
「で、も」
「だから、この学園では、最後の自由を楽しみたいんだ。君も、3年間自由にしていて良いよ」
「そ、んな…!」
修羅場だ!
とこの場にいた誰もが思った。しかも、男は随分都合の良いことを言っている。
「ソーンヒル公爵令嬢、是非……」
青年が振り返ると、そこにアンジェリカはいなかった。
「バカバカしいですわね」
男女の喧騒から離れ、アンジェリカは独り言つ。エスコートなど、本当に本当にどうでも良い。
とは言え、あの太っちょが何か仕掛けてくるかもしれないから、盾となる人を用意すべきか。
うーん、と唸って考える。
「そうね、あの方に頼んでみようかしら」
ちょっとした知り合いで、知的好奇心が満たされる方。一度ゆっくり話して見たかった方。
思い立ってアンジェリカは、すぐに実行することにした。
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「ごきげんよう、ガスコイン様」
柔らかく微笑む美女に呼び止められ、紺青男はデジャヴを感じた。
「ーーえ?俺、です、か?」
「はい、貴方ですわ。ガスコイン様」
「ええ…と、何かご用でしょうか……?」
「私、アンジェリカ・ソーンヒルと申します。もしよろしかったら、来週の舞踏会に私をエスコートして頂けませんか?」
「ーーーーええ?俺です、か!?」
ーーやっぱり紫色ですわね
目に見えて狼狽する紺青男。彼は、見た目が女神の化身を思わせるアンジェリカに、簡単に惚れたりはしない。
そこも安心できる方だと、アンジェリカを満足させた。
「もう、お約束した方がいらして?」
「お、お約束した方なんていませんが」
「では、私とご一緒して頂けると嬉しいのですけれど…」
「ええ…!でも、俺はしがない伯爵子息で、ソーンヒル様となど、釣り合いが取れませんけど…」
ずい、とアンジェリカが一歩近寄ると、リオンは一歩下がる。顔を赤らめつつ、中々申し出に承諾しない。
「ここは学園ですわ。身分など考えず、ご検討頂けません?」
一歩半、アンジェリカが大きく近寄った。フワリと花の香りが、リオンの鼻腔を蕩かす。
ーー近い、良い匂い、可愛い!!
リオンの顔が、いよいよ真っ赤に染まる。実は、初めて見たときから好みのど真ん中で、ただひたすら緊張していた。
ーーこんな美女に話しかけてもらえるなんて…
からかっているだけだ、とリオンは警戒し用心した。不用意に触れて、傷つくのは嫌だった。
自分は平凡な男だとわかっている。容姿を褒められたりしないし、身分だって高いわけじゃない。つまらない男だ。……わかっている。
「あの…ガスコイン様。私とご一緒するのはいやですか…?」
「い、い、嫌じゃないです!」
思わず正直な言葉が出る。
「では、ご一緒して頂けますか?」
「は、はい!」
ありがとう存じますわ!と大輪の花がほころぶように笑うアンジェリカを見て、
ーーもう、騙されてもいいか……
こんな夢は二度と見られない。それならばいっそ楽しんでみようとリオンは思った。
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
そう言って、リオンはアンジェリカの白く美しい手を取り、軽い口づけを落とした。