第72話
雨特有の匂いが立ち込める。ここ数日の雨のせいで、気分も憂鬱になる。
気温も湿度も上昇した一室で、生徒たちが真剣な顔つきで話し合う。ーーそれは、さながら軍事機密を打ち明けるような雰囲気だった。
セバスチャンが遮断魔法を使用し、お茶を給仕する。この場にいる貴族は4人。ーー特殊能力者である。
「ーーまさか!」
思わず声を上げるアレクサンドル。アンジェリカは、ストックデイル辺境伯の夜会での出来事を、全て話した。
「私も、まさかと思いたいですわ。ーーけれど、そうとしか考えられないほどの、見えない力がありましたの」
「舐めるとか、ほんっとあり得ない!」
エルドレッドが拳を握って激怒する。その場に居たから、余計だろう。
リオンは呆然としている。ーー思えば、この4人の能力は、他者に害あるものではない。それは、どれほど平和で穏やかな能力だろう。
ーーだが、ストックデイルの能力は…
舐めて、他者を服従させる。4人の能力とは一線を画する、危険な能力だ。
「……その能力は、双子の双方使えるのですか?」
「私が確認したのは、ユーイン様だけです。ノーマン様も所有者かどうかは、不明ですわ」
「双子だ。2人とも能力者だと思った方が良いだろう」
アレクサンドルが苦い顔で答えた。まずいのは、能力ではない。ストックデイルが所有者だ、ということがまずいのだ。人を言いなりにする能力を、利用しないストックデイル卿ではない。
ーー発動条件が厳しいが…
その分、何よりも強力な能力である。
全員の厳しい表情を眺めて、アンジェリカがポソリと言う。
「…私の勘違いなら、よろしいのですが…」
「いや、用心に越したことはない。情報をありがとう、アンジェリカ嬢」
「で、どうすんの?アレク」
「そうだな…」
アレクサンドルはイタズラが成功した子どものように、にやりと笑った。
「生徒会に取り込もう」
「「「ええ??」」」
いやだー!とエルドレッド。アンジェリカとリオンは、開いた口が塞がらない。
「敵…と言っては過激だが、彼らはいっそ取り込んでしまった方が良い」
「…監視も出来ますしね…」
「まあ、リオン君が良ければいいんじゃない?」
エルドレッドが無責任に言うと、リオンは不思議な顔して質問する。
「なぜ、俺が良ければいいんですか?」
「だって、僕たちは近いうちに生徒会を引退するからね。残った人たちが監視するんだよ」
「なるほど…」
言われて初めて気付いた。そうか、3年生は…そろそろ引退なのだ。
面倒くさい。…とアンジェリカの瞳が言っている。
「アンジェリカ嬢が面倒くさいようなので、併せてレクサム嬢も参加してもらおう」
「…キャスリーンですか…。まあ、確かに…うってつけの女性ではありますね」
「出来れば、双子の取り巻きも入れたいね」
取り巻きに、2人の気を引いてもらおう。そうすれば、アンジェリカちゃんにちょっかい出されないからね!と息巻くエルドレッド。
そんなに上手くはいかない。ーーそう思う3人であった。
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さて、そんな先輩方の企みを知らずに、好きなように動き回る双子。
相変わらず女の子をはべらせ、楽しい学園生活を送っていたが、ユーインに多少の変化が訪れる。
「ノーマン、今度アンジェリカさんに、俺の振りして接触して欲しい」
「アンジェリカさん?」
「うん」
ノーマンは、姉のエレインに優しくされた時並に驚いた。エレインは、決して双子に優しくしたりしないし、ユーインは、決して女性に興味を覚えたりしない。
ーーその、ユーインが!
女性を『さん』付けで呼んだ姿を初めて見た!気持ち悪い!
「まあ、良いけど…。なんか作戦があるの?」
「なんでもいいから、俺の振りして声かけてくれればいいんだ。偽者だと見破られるかどうかを知りたいだけだ」
「ふぅん。ソーンヒル嬢に、そんなに興味を持ったんだ」
「……まあね」
ばつが悪そうにプイと横を向きながら、答えるユーイン。
ーーいやもう、君に何があったのさ?!
らしくないユーインに、あんぐりと口を開けてひたすら驚くノーマンなのであった。
ユーインは、ただアンジェリカが双子を見分けられるかどうかが知りたいだけで、アンジェリカとの接触方法など考えていなかった。
ーー行き当たりばったりで。
と、かなり無責任なことを言う。
その割に、『呼び名は、アンジェリカさん』『左目の下にホクロをつける』『一人称は俺』など、注文が多い。
すごく、大変、かなり、面倒くさいが、相棒のためだ。それに、彼のーー恋、と言うにはまだ頼りないがーー興味の行く末を知りたい。
退屈さえしのげれば、ノーマンは満足である。
こうして、『アンジェリカ、双子を見抜けるか作戦』が開始された。
ただ話しかけるのは不自然なので、ノーマンは生徒会をネタにしようと考えた。
アンジェリカが生徒会室に行くために、この通路を通ることは、把握済だ。待ち伏せして、偶然を装いながら話しかける。ーーこれが、ノーマンの作戦だった。
美しい姿で颯爽と歩くアンジェリカが、前方に現れる。その姿を確認し、ごく自然にノーマンは通路を歩き始めた。
「あ、アンジェリカさん!」
さも今気付いたように、声をかけるノーマン。ーーまあ、多少のあざとらしさも込みだ。
「生徒会?」
「…ええ」
「ね、生徒会って、どんな感じかな?」
「…面倒くさい所ですわ」
ぶふっ!と思わずノーマンは笑ってしまった。美しい顔で、美しい声で。
ーー『面倒くさい』だって!
変な女性だ。ノーマンは強く思う。
「ふうん。その生徒会に入るには、どうすればいいのかな?」
「…アレクサンドル殿下にお話しすれば良いのでは?」
「アンジェリカさんは、どうやって入ったの?」
「…脅迫されて?」
「ぶはっ!」
今度は腹を抱えて笑ってしまった。『脅迫』って!
ーー本当に、変な女性!
誰もが憧れる生徒会なのに、入会を嫌がる女性がいるとは。それを無理矢理入会させたのは、アレクサンドルの深い執着か。
ーー僕自身は、この女性に興味はないけど
色々な鍵を握っているかもしれない。ユーインがアンジェリカに近づくのは、案外ストックデイルには有益かもしれないな、とノーマンは素早く計算した。
「…私に声をかけた理由は、それだけですの?」
「うん」
「では、もう結構ですわね」
そう言って、ノーマンから離れようとするアンジェリカ。ーー待って!まだ目的を果たしてないんだ!
「あ、いや、もう1個!この前の夜会で、俺とのダンスはどうだった?」
「…ダンス?」
「君と最初に踊ったろう?ーーキスまでしたじゃないか」
「貴方とは踊っていませんわ」
「……え?」
「私が踊ったのは、ユーイン様ですわ」
しれっと当たり前のように言い放ち、アンジェリカはノーマンの横を通り抜ける。その白く細い手をつかみ、ノーマンは確認した。
「…俺は、ユーインだけど」
「またそれですの?少なくとも、貴方はダンスをしたユーイン様ではありませんわ」
「……!」
あ、すごい。ノーマンは純粋な賛辞を送る。16年もユーインと双子をしていて、色々な人を騙してきた。だから、お互いの成り済ましは得意だ。見破られたことはない。
だが、アンジェリカはあっさり見破った。付き合いは浅いーーと言うか、ほとんど無いのに。
まあ、その見破り方は、ユーインか、ユーインじゃないか、という二択だけれど。
ーーこの判別方法じゃ、ユーインが喜ぶのも無理はないな
自分だけを判別してくれる。ーーそれは、ユーインにとっては特別なこと。
ノーマンが呆然としてアンジェリカの手を握っていると、突如現れた男に手を叩かれた。ーー地味に痛い。
「アンジェリカさん、ノーマンがすまない」
「…お二人は、そうやって皆様を騙していますのね」
「騙すだなんて!」
ちょっとしたイタズラだよ、とユーインがアンジェリカの手を握ってウインクする。
ーーちょっと!これはなくない?!
発案者・実行者=ノーマンで処理されてる!良いとこ見せたいからって、ユーインひどい!
ノーマンがじと目でユーインをにらんでいると、さらに追い打ちをかけられる。
「ほら、ノーマン。アンジェリカさんに謝罪を」
「……ゴメンナサイ」
「……はい」
ニコニコ笑っているユーインに手を握られたまま、ユーインそっくりのノーマンの謝罪を受けるアンジェリカ。ーー何だか混乱してきた。
そろそろ生徒会室に行かねば、とアンジェリカが歩こうとすると、後ろから名を呼ばれる。
「アンジェリカちゃん!」
声をかけられたアンジェリカが振り向くより早く、エルドレッドがユーインの手を払った。さらにユーインとアンジェリカの間に躰を入れて、アンジェリカを背後にかばう。
「…なに?アンタ」
「君こそ、アンジェリカちゃんに何の用?これから生徒会だけど」
「そうそう。その生徒会に用があって。アンジェリカさんと一緒に行こうとしていたんだよ」
「あっそ。なら僕が案内するよ」
「嫌だね」
スッとユーインはエルドレッドの反対側に立ち、もう片方のアンジェリカの手を握る。
「僕は、アンジェリカさんに案内されたいんだよ。ーーさ、アンジェリカさん、行こう」
「あっ!」
急に手を引かれ、アンジェリカは足がもつれる。ユーインは、その腰をとって上機嫌に歩き出した。
その足は、まっすぐ生徒会室に向かっている。
「お前!案内なんて要らねぇじゃねえか!」と口悪く罵りながら、エルドレッドがその後を追いかけていく。
面白くなりそうだ、とノーマンも生徒会室に向かっていった。