第70話
第3王子のアルフレッド・ソーンダイクは、小さな頃から達観していた。
武術では、第2王子に敵わない。
学術では、第1王子に及ばない。
それに、アルフレッドの母親は、踊り子上がりの側室である。王の側室に召される時、下級貴族の養子となったが、もともと平民の母だった。血筋の上でも、兄2人に劣っている。
そんな環境だったが、アルフレッドは腐ることなく健やかに育つ。
健やかに育った理由の1つは、母親の野心がさほど無かったこと。もう1つは、他の兄弟がアルフレッドを虐めたり、馬鹿にしたりしなかったことである。
アーサーの性格が奇跡的に良いおかげで、アレクサンドルもアルフレッドも仲違いすることは無かった。むしろ、アーサーがこっそり兄弟たちと遊んだことにより、3兄弟は固い絆で結ばれた。ーー3兄弟が仲良しなのは、アーサーという良心的な存在によるものだった。
だが、現王妃とアルフレッドの母親とは仲が悪く、また現王妃はアーサーの継承を認めないことから、3兄弟が一緒にいることを厭忌したため、おおっぴらに仲良くすることは出来ない。
アルフレッドには、そのことがもどかしく悔しい。王位継承権を放棄すれば仲良く出来るのかとも考えたが、王が放棄を許さなかった。
ーー王宮は、窮屈だなぁ
アルフレッドの出した結論は、「生きたいように生きる!」ということだった。兄たちには迷惑を掛けぬよう、だが良い子を演じることなく、わりと自由にアルフレッドは成長した。
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ある日の午後。アルフレッドは、こっそりと兄に会いに生徒会室に行く。
「やあ、アレク兄さん」
「おや、どうした?」
世間的には、仲の悪い兄弟と考えられているから、あまり人目に付く所で仲良くしない方がいい、と思い、アルフレッドはこそこそ会いに行っている。
「アル、ここは学園だ。ここでは何も遠慮することはない」
「そう?じゃ、次は堂々と会いに行くよ」
「……何だか浮気現場を見ている気分だよ」
エルドレッドが脇で小さく呟いた。その奥では、アンジェリカが書棚を整理している。
「アンジェリカお姉様…!」
「まあ…アルフレッド殿下…」
アンジェリカを目ざとく見つけて、駆け寄るアルフレッド。その腰に抱きつき、「さあお姉様踏んで下さい!」と懇願する。
「ちょっと!アルフレッド殿下!」
「何しているんだ!アル!」
慌てたアレクサンドルとエルドレッドから、アルフレッドは引き離された。アンジェリカは苦笑するだけで、特段気にしている様子はない。
「アンジェリカお姉様も、生徒会の一員なのですね」
「…不本意ながら」
「アレク兄さん!僕も入るよ!」
「…確かに、アルを勧誘する予定だったから、それは良いんだけれど…。アンジェリカ嬢に無礼を働いたら、許さないよ」
「ふふ、アレク兄さんの大切な人に、無礼なんてしないよ」
「…先ほどの行為が、“無礼”って言うんですよ、殿下…!」
エルドレッドがプリプリ怒っているが、アルフレッドは一顧だにしない。
ーーソーンリーの子弟なんかに、アンジェリカお姉様は渡さないよ
アンジェリカお姉様は、アレク兄さんのお嫁さんになるんだ。徹底的に邪魔してやる!と息巻くアルフレッド。ーーセオドリック譲りのふてぶてしさであった。
エルドレッドがアルフレッドに説教している間、アレクサンドルはアンジェリカにこっそり聞く。
「アルとの間に、いったい何があったんだい?“お姉様!”って…あれはなに?」
「…呼び名については、どうとでも呼んでよろしいと言ってしまいましたので、ご不快でもお許しあそばせ」
「いや、不快ではないし、その…将来そうなったらと…」
ゴニョゴニョ言い淀むアレクサンドル。
ーー『お姉様』…つまり、私の妻と、本当にそうなったら…
ようやく訪れた初恋に、もだもだするアレクサンドルだった。
夕方になり、アンジェリカとエルドレッドが退室する。そして生徒会室には兄弟2人が残った。
「同じクラスに、警戒する人間はいるかな?」
「それはもちろん、ストックデイルだね。あの双子、油断も隙も無いよ」
今のところお手上げだね、と肩をすくめるアルフレッド。度が過ぎたイタズラっ子という印象だと話した。
「ふむ…。では、生徒会に推薦したい人間は?」
「そうだね。レクサム嬢とか、素敵だよ。冷静沈着で」
「うん、なるほど。では次期生徒会長は、誰が良いと思う?」
「リオン君じゃない?真面目だし。副会長にハドルストン嬢つけとけば?」
アンジェリカじゃないところが、アルフレッドの慧眼である。アンジェリカは公平で公正な人間なのだが、いかんせんやる気が無い。
「うん。参考になったよ。ありがとう、アル」
「いえいえ。僕も生徒会の一員だからね」
「ああ。頼りにしているよ。ところで…」
ギシリと音を立てて、アレクサンドルが座り直す。
「アンジェリカ嬢を“お姉様”と呼ぶ理由を、教えてもらおうか。いったい、お前たちに何があった?」
「ふふ、アレク兄さんったら、ヤキモチ焼きだね」
威圧するようにアルフレッドに問う姿は、好きな子にやきもきする男の子そのものだ。ーー若干、冷気がすごいけれど。
「アンジェリカお姉様はね、僕を踏んだんだよ…!」
「……は……?」
「あのボートで2人きりになった時、アンジェリカお姉様に僕は言ったんだ。“兄さんを弄ばないで”と。“弄んだら、ただじゃおかないよ”とね」
「お前、アンジェリカ嬢を脅したのか?!」
「うん。だって、兄さんには幸せになってほしいからね」
素晴らしい笑顔で、人を脅したことを報告する兄弟。気持ちは嬉しいが、その悪意のない脅しは、セオドリックによく似ている。
「それで、どうしたの?」
「僕の脅しに、アンジェリカお姉様はどうしたと思う?『私を脅すなど百年早いですわよ、殿下』って僕を蔑んで、足を踏みつけたんだ!」
「…ええ…?」
「その力加減も絶妙でね!痛みはあるけれど、あざにならない程度でね!」
「………ええ………?」
「最後に、こう言ったの。『ケンカを売るならいつでもどうぞ』ってね!もうね、女王様みたいに強く優しい瞳でね!本っ当に、素敵だったんだよ…アンジェリカお姉様…!」
「…………………………」
ウットリと明後日の方向を眺めながら、ほう…と熱い吐息をはくアルフレッド。
ーー弟に…妙な性癖が目覚めた…
アルフレッドの、アンジェリカ嬢への思いは、恋や愛の類ではないことに安堵したが、弟は開けてはいけない扉を開けてしまったのでは?と、アレクサンドルは強い不安を覚える。
「アレク兄さん、僕、応援するからね!アンジェリカお姉様を、僕のお姉様にしてね!」
「あ、ああ…」
「ああ!早くお姉様と暮らせる日が来るといいなぁ…!」
「………」
援護射撃してくれるのは大変ありがたいが、たとえアンジェリカと結婚しても、お前は一緒に暮らさないよ、と声を大にして言いたいアレクサンドルだった。
その夜の月は、鮮やかな満月だった。完璧な円を描く美しい月を眺めながら、アルフレッドはぼんやり思う。
ーー僕の役割は…
アレクサンドルは隠しているつもりのようだが、彼の最終目的は、アーサーを王太子に…いや、次期王にすることだろう。
父王は、婚約者を決めた者を、王太子として冊立しようとしている。
ここで、父王の誤算は、3兄弟が王太子の座を争わなかったことだ。むしろ、誰もその座に就きたくない、と忌避している。
父王は3人を争わせて楽しもうとしていたが、意に反して3人が争わず、互いに王太子の座を押し付け合おうとしている誤算を、楽しんでいた。
ーーくそ野郎だよ、ホント
何をしても、手のひらで踊らされている気にさせられる。人としてダメな類いだ、父王は。
父親はあんなのだが、アルフレッドは兄2人が大好きだった。だから、2人が幸せになることこそが、アルフレッドの望みだ。
第2王子を王太子に。
第1王子にはアンジェリカを。
ーーそうなると、第3王子は…聖女をお嫁さんにすれば良いのかな?
それも楽しそうだ。
アルフレッドは真円の月をながめ、これからの学園生活が面白くなりそうなことを、喜んでいた。