第63話
夜会なんてクソだな。ーーエルドレッドはいつもそう思っている。
おまけに同伴の女性を勝手に決められた。マスグレイヴ嬢である。このまま婚約者面されてはかなわない。
装いを整えながら、エルドレッドは思う。
自分もアンジェリカも、出自が良い。年齢だって近いし、結婚に何の障害もないはずなのに。
ーー“父親”が最大の障害になるとはね
彼女を手に入れるには、どうするか。エルドレッドはありとあらゆる手立てを考える。
そして、アンジェリカを諦めることなど、毛ほども考えないのだった。
夕刻になり、エルドレッドはエスコートのために、マスグレイヴ家を訪れる。
マスグレイヴ家では、侯爵自らエルドレッドを出迎えた。婚約者然を気取るのは、どうやら娘だけではないようだ。
邸に上がって欲しいというマスグレイヴ侯爵に、時間がないのでと断りを入れる。ーーそのために、時間ギリギリに来たのだ。
馬車の中で、アデラインは必死にエルドレッドに話しかける。エルドレッドも無視はせず、一応相づちを打って応答した。
「今日は、殿下もいらっしゃるそうですね」
「そうですね」
「その…ソーンヒル様もいらっしゃるのでしょうか…?」
「分かりません」
くだらないことを聞くな、この令嬢は。ーーアンジェリカちゃんが来るなら、君なんてエスコートしないよ。でもどうなんだろう?いくらアンジェリカちゃんでも、この夜会、多分欠席出来ないと思うんだよね…。それなら、アンジェリカちゃんのエスコートを申し出るべきだったかな。失敗したな…。
などと、エルドレッドがぼんやり考え事をしていたら、馬車が夜会会場に到着した。エルドレッドはアデラインをエスコートしながら、会場に入る。
ーーうわ…
何この成金邸!派手だし洒落てないし。豪華だという褒め言葉以外は、口に出来ない。
ストックデイル辺境伯の目的は、いったい何だろう。現時点では計りかねた。
「やあ、エルにマスグレイヴ嬢」
「アレク…」
「ごきげんよう、殿下」
華やかな衣装を身に纏い、今日は“王子”らしいアレクサンドル。エスコートしているご令嬢は誰だろう?
「ストックデイル辺境伯の財力が伺える邸だね」
「…彼の意図が分かるかい?アレク」
エルドレッドはアレクサンドルの傍に近づき、声を潜めて聞く。
「まだ分からないな。豪華すぎるこの邸も、子息らの見合いも、王都での夜会も…全てが嘘くさい」
「なるほど…全てが偽りって可能性もあるのか」
「だが、それなら何故こうしてアクションを起こしたのか。チグハグ過ぎて、迷うだけだな」
アレクサンドルも口に出して初めて気づく。そうだ、色々いびつなのだ。
ーーまあ、良い。面倒なことは、とりあえず国王陛下に任せよう。
アレクサンドルはそう考えながら、エルドレッドと別れた。
ストックデイル辺境伯の開催宣言を終え、アレクサンドルは早速挨拶に伺う。
「ご無沙汰しております、ストックデイル卿」
「これは、アレクサンドル殿下。いや、ずいぶんとご成長なさいましたな」
「…恐縮です」
「私は初めましてです、ストックデイル卿。第3王子のアルフレッドでございます」
「おお、アルフレッド殿下。愚息が殿下と同級です。ーーユーイン、ノーマン」
「はい」
「殿下にご挨拶を」
現れたのは、全く同じ顔をした双子。礼儀正しく挨拶をしてもらったが、すでにどっちがどっちか分からない。
さらにご息女も現れる。歳は確か19歳で、学園をすでに卒業していた。美しいご子息・ご息女は、ストックデイル辺境伯と全く似ていない。
アレクサンドルは『聞く聲』に集中する。
『美麗な男ね。でもナヨナヨしていて食指が動かないわ』
『王子って、本当に居るんだね』
『都会的な美男だよ』
ーーストックデイル辺境伯の子どもらには、どうやら不評のようだ。
『アレクサンドル王子か。なるほど、賢しらな男だな。あのセオドリックの血を色濃く引いている』
ーー聞こえる。宰相と違い、心の聲を塞ぐことは出来ないようだ。
『面白いことになりそうだ』
心の聲なのに、アレクサンドルは背筋がヒヤリと凍る。ーーさすが、歴戦の狩人だ。残念ながら、圧倒的に経験値に差がある。
「ではまた。セオドリックによろしく」
「はい。失礼致します」
ここまでか。アレクサンドルは一礼し、潔く引く。隣ではアルフレッドが、珍しく神妙な顔をしていた。
ストックデイル辺境伯の前を辞し、群衆に紛れて兄弟は話し合う。
「アル、どうした?何だか神妙な面持ちだが…」
「…ストックデイル辺境伯だけどね。悪巧みをしているというよりは、幾つかの選択肢の中から、どれを選ぼうか検討している感じに見えたんだよね、兄さん」
「なるほど」
「で、ここはターニングポイントな気がする。…何が正解か、ぜーんぜん分からないけど」
だから、自由にしているね~!とアルフレッドはアレクサンドルの傍を離れ、女性の群れに入っていく。アレクサンドルは小さなため息をついてその後ろ姿を見送ると、視線の先に美しい女性を捉える。
ーーアンジェリカ嬢!
気付いたら、アレクサンドルは全速力で走っていた。
時を戻そう。
開催宣言を受け、エルドレッドも主催者に挨拶する。
「お初にお目にかかります。ソーンリー公爵が次子、エルドレッドにございます」
「ほう、貴殿がソーンリー家のご次男か。なるほど、面構えも良い」
「…ありがとうございます」
興味深そうに、ストックデイル辺境伯がエルドレッドを眺める。彼が関心を持っているのは、その武力。ーーひとえに強さであった。
エルドレッドの引き締まった体躯、掌の厚みを眺め、アーロンは満足げに頷く。
「私、エレイン・ストックデイルと申します」
躰をくねらせて、挨拶するストックデイル辺境伯のご息女。…あ、これはマズい。匂いが臭くなってくる。
「はは!強い男が好きだからな、エレインは」
……ダメ押しの発言だった。いっそ、誰かに押し付けようかな。
「そのお兄さん、確かに強いよ」
「ユーインが腕相撲に負けたんだよね」
げ!あの時の双子!まさか、ストックデイル辺境伯の息子とは…!
「…私より、近衛兵長である兄の方が強いですよ」
「まあ!素敵!」
今度会わせて下さいましね!とグイグイくるエレインに愛想笑いして、エルドレッドは伯の御前を辞した。
夜会が始まって、1時間が経過した。
ーーあ、もう駄目かも…!
エルドレッドは鼻がもげそうになるのを、必死に耐えていた。せめて、せめてアンジェリカの清涼な香りを嗅げれば、どんな匂いも耐えられるのに…!
「あの…ソーンリー様、顔色が…」
「大丈夫ですから、お気になさらず」
ファーストダンスを踊りながら、エルドレッドは応じる。……正直、アデラインの相手も辛い。アデラインの独特な匂いが、エルドレッドは大層苦手だった。
1曲だ。これさえ終われば、後は自由。耐えろ、耐えるのだ!エルドレッド!
ふと、馨しい匂いが鼻腔をつく。それは、ほんの少しだったが、今のエルドレッドには命を救う香りだ。
ーーアンジェリカ…!
エルドレッドには、匂いの持ち主が分かる。国中で唯一好きな匂い。愛する人の香りだ。
気もそぞろにアンジェリカを探す。見えない。見つけられない。匂いは微かで、距離があることを伺える。
「……ソーンリー様……」
アデラインは目の前の慕わしい殿方が、自分に全く興味がないことを、改めて思い知る。まつげを伏せ、そっと涙を一滴零した。
「アンジェリカ嬢!」
「まあ、殿下…」
アンジェリカが驚きの声を上げた。もう見つかってしまうとは。
「こんばんは、殿下」
「やあ、ノエル殿。今宵は貴殿がエスコートしていたのか」
「まあ、無理矢理連れて来ましたから。我が家の姫を」
「ははっ!」
アンジェリカ嬢らしい、と言ってアレクサンドルが愉しそうに笑う。その姿を見て、ノエルは驚いた。いつも斜に構えていた第1王子が、こんな好青年になるなんて!
ーー成る程。アンジェリカに惚れているという噂は、本当だったか。
「では、アンジェリカ嬢。私と踊って頂けますか?」
「ええ、喜んで」
アンジェリカはアレクサンドルの誘いに乗る。お互いに、少しはにかんでいるところが何とも初々しい。
ーーなんだ、アンジェリカも満更ではないのか
我が家の方針の軌道修正が必要かな、とノエルは思った。
「結局、逃げられなかったな」
「ええ、まさか身内が敵になるとは思いませんでしたわ」
クスクス笑い合って、美しい男女が踊る。慕わしげな様子に、周囲の者はアレクサンドルの選んだ女性だと思い始めた。
「殿下、ストックデイル辺境伯をどう思いますか?」
「喰えない男だ。手の内がまるで読めない」
「そうですわね…」
アレクサンドルの『聞く聲』を以てしても、分かることはなかった。まだ学生の2人が太刀打ち出来る相手ではない。
なんとなく引っかかりを覚えたアンジェリカであったが、実りあるものは1つもなかった。
「それにしても、こうして私をダンスに誘ってよろしかったのですか?」
「うん?何故だい?」
「…周りの見る目が…私が殿下のお相手かと誤解しているようでしてよ」
「なるほど!」
急にターンし、アンジェリカを抱きとめる。さすがにダンスの名手だ。難しい踊りも難なくこなす。
「私としては、誤解してもらった方がありがたいかな」
「殿下には、別の目的がお有りなのでは?」
「…アンジェリカ嬢…」
そうか。悟られていたか。やはり、この女性は妃に相応しい。ーーアレクサンドルは改めて思う。
「目的も果たすし、貴女も手に入れる。外堀を上手く埋めていくよ」
「…本当に実現してしまいそうですわね…」
「ふふ、覚悟しておいて」
アレクサンドルは、アンジェリカのつむじにキスを贈ると、1曲目が終了した。
そのまま続けて踊ろうとするアレクサンドルだが、その手が払い飛ばされ、アンジェリカが奪われる。
「……エル……」
「ごめん。もう限界なんだ!」
エルドレッドはそう言って、アンジェリカを抱き上げてホールを出て行く。
あっという間の出来事に、誰も動けなかった。
エルドレッドが行き着いた先は、噴水の美しい中庭だった。エルドレッドはアンジェリカを抱きかかえたまま、噴水前のベンチに腰掛ける。
「アンジェリカ…」
悲痛な声で名を呼ぶものだから、アンジェリカは抵抗できない。
「…どうなさったの?ソーンリー様…」
「うん…もう皆の匂いに耐えられなくなって…」
スンスンとアンジェリカの匂いを堪能するエルドレッド。彼に言わせると、アンジェリカの匂いを嗅がないと、息が出来ないほど苦しいらしい。
ーー震えていた躰が徐々に収まる姿を見ると、きっと嘘ではないのだろう。アンジェリカは、エルドレッドを拒絶出来なかった。
「好きだよ、アンジェリカちゃん」
「…落ち着きました?」
アンジェリカの肩に頰をすり寄せ、機嫌よくエルドレッドが頷く。「ありがとう」と肩口で言われ、くすぐったい。
「マスグレイヴ嬢は、よろしいのですか?」
「…あのお嬢さんの匂いも苦手」
「ふふ、答えになっていませんわ。戻らなくてよろしいの?」
「よろしいよ。僕はアンジェリカちゃんの傍に居たい」
抱き締められ、頭をぐりぐりされて、アンジェリカはもはやどうすれば分からない。ただじっとして、エルドレッドが解放してくれるのを待つだけだ。
すると、エルドレッドの頭が際どい位置にズレてきた。アンジェリカが危機を感じ始める。
「…柔らかい…幸せ…」
「もう!ソーンリー様!」
力いっぱいアンジェリカはエルドレッドを引き離した。ーーエルドレッドは素直に離れる。
「スミマセン調子に乗りました嫌わないで下さい」
「……もう、大丈夫ですの?」
「うん。ありがとう」
エルドレッドの頰が桃色に回復している。良かった、もう大丈夫そうだ。アンジェリカは安堵する。
アンジェリカの優しい心配を感じ、エルドレッドの心が弾む。ーーアンジェリカを愛しいと思う気持ちは、増えるばかりだ。
アンジェリカの手を握り、2人で月を眺める。アンジェリカの手は、どこまでも温かくて柔らかい。
ーー当分、オカズに困らないな
とエルドレッドは、年頃らしい不埒な考えでその夜を終えるのだった。
流行りの芸人様より。




