第62話
冬休みは10日間。夏休みと違い、寮に残る者、自宅に帰る者半々である。
リリアンは、寮に残るという。彼女の護衛をどうするか、アンジェリカはアレクサンドルに相談する。
「私は残念ながら残れない。“影”をつけようか?」
「いえ、それなら私が残ります」
「アンジェリカちゃん、大きな夜会があるけど…。あれ、欠席出来るかな?」
「行かなければ良いだけの話ですわ」
しれーっとのたまうアンジェリカ。その夜会には、王族も呼ばれるほどの大きな規模のものである。……無断で欠席して良いものではない。
「夜会…。僕も出たくないんだけど、脅されて強制的に参加させられるんだ」
「私もだ。…逃げられない」
「ストックデイル辺境伯の夜会ですわね。あちらには、確かに妙齢のご令嬢がおりましたもの」
「妙齢のご令息もいたよ」
という事情のため、年頃の男女が夜会に呼ばれているのだ。
「しかし、ストックデイル辺境伯主催とは、本当に珍しい。レクサム辺境伯と双璧で、中央に出てくるのを嫌がっているから」
「彼との縁を結びたがる貴族は、山ほどいるだろうけれどね。僕の父ですら、この夜会だけは外すなとの仰せだから」
「そう…」
アンジェリカは相づちを打ったが、大して興味は無かった。父親から夜会の招待状が送付されたが、それだけだ。必ず出席しろとは言われていない。ーーと勝手に解釈しているだけだが。
結局、アンジェリカがリリアンの護衛をすることに収まり、冬休みを迎えることとなった。
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冬休みに入り、女子寮はガランとしていた。女生徒の7割が帰宅したためである。
「食堂は、貸切みたいですね」
「そうですわね」
アンジェリカとリリアンは、食堂を見回す。2人の他には、4・5人しかいない。静かで良いですね、と微笑み合った。ーー貴族が少ないと、リリアンはホッとする。
以前、アンジェリカが言ったとおり、リリアンを直接虐めるようなことは無くなった。何より嬉しかったのは、教科書や文房具を破いたり隠したりされることが無くなり、無用な出費が出なくなったことだ。
ただ、アンジェリカの施してくれた追跡魔法は面白かった。追跡魔法をかけた備品が無くなると、矢印が浮かび上がり、隠された備品まで案内してくれるのだ。ーーあれには、笑ってしまった。
そういった諸々全て、アンジェリカが手配してくれた。こうして笑って学園生活を送れるのは、アンジェリカのおかげだった。
リリアンはいつも、いつでもアンジェリカに感謝を伝える。それに対するアンジェリカの反応は、いつだって「お気になさらず」であった。
ーーそんなところが…
アンジェリカの恩に着せない態度が、リリアンはとてもとても大好きだった。リリアンは、優しさには色々な種類があることを知る。
ーーアンジェリカ様の優しさは、相手に気を遣わせないもの
親切ではなく、同情でもなく。ただ息をするように当たり前に接するのだ。リリアンが男なら、アンジェリカを手に入れるために、死ぬほど努力するだろう。
ーーそういう意味では、彼らの見る目は正確無比だわ
アレクサンドルにしろ、エルドレッドにしろ、リオンにしろ。アンジェリカを手に入れるために、あの手この手を駆使している。ーーそれは、セバスチャンも。
アンジェリカにはこの世の誰よりも、幸せになって欲しい。そのために、リリアンは何でもするつもりであった。
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冬休みに入って数日。学園には雪が降った。
寒くて目が覚めたくらいだ。アンジェリカは、セバスチャンに布団をもう1枚増やすよう命じる。
そんな中、アンジェリカに先触れがあった。
『今夕迎えに行くーーノエル』
「…いかがでしたか?お嬢様」
「お兄様からの先触れですわ」
そう言って、アンジェリカは手紙をセバスチャンに渡す。あまりの短文に、セバスチャンは苦笑した。
「これは、今日の夜会に出席しろ、ということですか?」
「…多分…」
首をかしげて肯定するアンジェリカ。もしそうなら、すぐに支度を始めなくてはならない。
そもそも夜会の招待状は把握していたから、ドレスは整っている。
手早くアンジェリカに準備をさせ、例によってマグロと化したアンジェリカの装いを整えるセバスチャンであった。
ノエル訪問の知らせが来た。アンジェリカは玄関ホールに向かう。
「セバスチャン、今日はリリアン嬢を護衛して」
「え、嫌です」
セバスチャンがキッパリ断ると、丁度ホールに到着し、入り口で待つノエルと目が合う。セバスチャンは一礼して、アンジェリカを渡す。
「では、命令よ。今日はリリアン嬢を護衛しなさい」
「…お嬢様はどうするのです…?」
「私はお兄様に護衛してもらいますわ。お兄様、今日の夜会は、私にお付き合い願いますわよ」
「了解した。代わりに私にも付き合ってもらうぞ、アンジェリカ」
「……ええ……」
「…………」
あ、これは早まったな、と苦い顔になるアンジェリカ。夜会には、恐らくアレクサンドルやエルドレッドがいるだろう。見守ることが出来ないことを、セバスチャンは歯がゆく感じた。
馬車の中で、アンジェリカはノエルの前触れについて、詰問した。ノエルはしれっとした顔で、当然のごとく言ってのける。
「行かないつもりのお前が悪い。父上から招待状を送られただろう」
「送られただけですもの」
「子どもの言い訳をするな。今回はストックデイル卿の意図を探りたいのだ」
「……意図?それは、ご子息・ご息女のお相手探しでは…?」
「そんな男ではない」
首を横に振って、全否定するノエル。彼は滔々と説明し始めた。
ストックデイル辺境伯は、海からの外敵と海賊を次々と倒していく『海賊狩人』である。ただし、それは忠誠心からではなく、単に領民を護りたいがゆえの行為だった。
こんな風に表現すると、ストックデイル辺境伯とは何と見事な人物だ!と思われがちだが、本人も領民も、至って気が荒々しく、流血沙汰が耐えない。
しかし、中央に対する忠誠心はなくとも、彼の存在は必要不可欠だった。首輪をかけられないのならせめてと、王家はストックデイル領に治外法権を認めている。税も半額にするなど、破格の待遇の代わりに、外敵をストックデイル領で食い止めてもらう。ーーそんな利害関係で結ばれた領地だった。
「そんなストックデイル卿が、自領ではなく、わざわざ王都で夜会をするなど、何かしらの思惑があるはずだろう」
「子煩悩なだけでは?」
「子煩悩なわけ無いだろう。彼は、本質的に私たちの父親と同じだ。あちらの方が精力的で荒々しいが」
「まあ、面倒な…」
「王家を害するような意図が無ければ、良いのだが…」
真面目か。……アンジェリカは呆れてしまう。
ノエルはあの父親の息子とは思えないほど、真面目で能動的な男だった。だから、父親から命じられた『爪を隠した鷹』になることを、本当はよしとしていない。
ノエルはソーンリーの長男と同等の能力を持ちながら、いち護衛兵に甘んじている。ーーもちろん、父親の命令で。
とは言え、父親が宰相という最上位の官僚であるから、ソーンヒル家が台頭し過ぎないよう、ノエルは自分の現在の地位に不満はない。ーー彼はただ、思うように実力を出せない苛立ちがあるだけだった。
「お兄様にどのような意図があろうとも、今日の夜会は、ずっと私をエスコートしてくださいましね」
「ああ、そうしよう。セバスを護衛から外すくらいだ。お前の友情に敬意を表して」
「……そういうのでは、ありませんわ」
ふい、と外を眺めてノエルの視線から逃れるアンジェリカ。……別に、友情を押し付けた訳ではない。ほんの少し、嫌な予感がしただけだ。
ーー嫌な予感は、アンジェリカに対してなのか、リリアンに関してなのか。それは分からないけれど。
賑やかな声が聞こえる。どうやら会場に着いたようだ。アンジェリカはノエルにエスコートされながら、ホールに入った。
ーー随分と、煌びやかなこと
装飾が派手で、ゴテゴテしている。あまりスタイリッシュとは言えない内装だが、金はずいぶんと掛かっていそうだ。ーー財力を見せびらかしたいのか。それとも、それすらも偽装なのか…。
アンジェリカは、ノエルの背後に隠れるように佇む。ーーアレクサンドルやエルドレッドに見つかっては、面倒なことになりそうだった。
「アンジェリカ、見ろ。あれがストックデイル卿だ」
「…鷹のような方ですわね」
「なるほど、鷹か」
アーロン・ストックデイル。目が鷹のように鋭い、癖のある人物だ。一筋縄ではいかない相手だと思わせる外観を、隠しもしない。
その背後に立っているのは、ご子息とご息女だろうか。目鼻立ちがスッキリ通ったその容貌は美しく、雄々しさを感じさせる父親とは似ていない。ーーというか、同じ顔が2つある。双子か。
ふと視線を下げると、アレクサンドルが華麗に直立している。ーー美しいご令嬢を伴って。アレクサンドルの隣には、第3王子もいる。なるほど、規模が大きく重要な夜会のようだ。
さらに視線を左に動かすと、マスグレイヴ嬢を伴っているエルドレッドの姿が見えた。その表情は、むっつりしていて機嫌が悪い。
ーーこうして客観的に見ると、やはりソーンリー様は魅力的な男性なのね
アンジェリカは、新鮮な気持ちでエルドレッドを眺める。いつもは近すぎてよく分からなかったが、遠くから見てみると、かなり良い男である。
隣で腕を組む美しいマスグレイヴ嬢と、大変お似合いだ。
アレクサンドルにしろエルドレッドにしろ、アンジェリカには過ぎた男性だ。今宵、身を以て知ることとなった。
アーロン・ストックデイルが高らかに挨拶をして、夜会が始まった。ストックデイル一家は大勢の貴族に囲まれて、近づけない。
仕方ないので、ノエルはしばらく待つことにした。退屈しのぎに、ノエルはアンジェリカにダンスを申し込むが、アンジェリカは断固として拒否する。
アレクサンドルはともかく、エルドレッドの鼻には、そのうち見つかるような気がしなくもないが、なるべく避けたい。ーーそして、邪魔をしたくない。
多分、このまま放っておけば、アレクサンドルもエルドレッドも、貴族の淑女と婚約を結べるであろう。ーー2人の気持ちは嬉しかったが、彼らのような素晴らしい男性には、相応しい女性が他にいる。それは、怠惰な自分ではないのだ。ーーアンジェリカはそう思っている。
だから、今日はノエルにベッタリくっついているのが一番だ。ノエルも美しい青年で、大層人気があるのだが、今宵はアンジェリカという美貌の女性が離れないため、女性からお声がかからなかった。
アレクサンドルやエルドレッドがダンスをし始めた。なんて華やかな存在だろう。ーー珍しく、アンジェリカは気後れする。
「さて、アンジェリカ。行くよ」
「ええ、お兄様」
人がまばらになったストックデイル卿の元へ、ひっそりと2人は向かう。ノエルとアンジェリカは完璧なお辞儀で、挨拶した。
「おお、これはこれは。宰相閣下のご子息とご息女か!」
「初めてご挨拶申し上げます。ソーンヒル公爵が長男のノエルと申します」
「ソーンヒル公爵の娘、アンジェリカでございます」
「なるほど、傾国の美女だな。どれ、私も紹介しよう」
アーロンは振り向いて合図を送る。すると、すぐに男女が近づいてきた。
「初めまして。エレイン・ストックデイルです」
「ユーイン・ストックデイルです」
「ノーマン・ストックデイルです」
「私の子どもらは、お二人と歳が近い。どうぞよしなに」
にこやかに笑うストックデイル辺境伯だが、その笑顔に含むところがあるように見えるのは、彼の人格が為せるわざか。こちらの疑心暗鬼のせいか。
こちらこそよろしくお願い致します、と型どおりの挨拶をして、去ろうとした時、背後から声を掛けられる。
「宰相閣下によろしく伝えてくれ。例の件は了解したと」
「……畏まりました、ストックデイル卿」
一礼して、今度こそ下がる。兄妹は見つめ合い、今の辺境伯の発言が良しか悪しきか、考えた。
収まりきらなかったので、続きます。次はあっち側の視点です。




