第60話
聖アンドレア学園の学園祭は、例年大変人気のあるイベントである。招待状がないと参加出来ないから、その売買が高額で取引されるほどだ。
まして、今年も王族が在籍している。王族にお近づきになりたい貴族が、招待状の争奪戦を激化させていた。
そういった外部の思惑はともかく、生徒たちは学園祭を成功させようと日夜奮闘していた。
そしてとうとう、当日を迎える。
アンジェリカのクラスの出し物は、カフェテリアである。アンジェリカは裏方に回りたかったが、リリアンの言うとおりその美貌を宣伝に使わない、なんて選択肢はなかった。接客など、アンジェリカが最も苦手とする分野である。
「私は愛想を振りまけない」と拒否をしようとするも、「むしろツンで!」とよく分からないことを言われ、押し切られてしまった。
生徒がカフェの給仕服に着替えると、あちこちから悲鳴が上がる。
「フィリップ様、格好いい…!」
「ハンフリー様も、素敵ですわ…!」
執事と化した男性陣に、女性たちから賞賛の声が上がる。まずは、及第点といったところか。
もちろん、女性の給仕服を見て、男性陣からも感嘆の声が上がった。特に、ジョアンナの美しさを讃える。ーーこれは、コンテストもイケるかも!とジョアンナが気を良くすると、最後にソロリと人目につかないように、アンジェリカとリリアンが教室に入る。
「これは……!」
「なんていう愛らしさ……!」
「ああ!そのヒールで踏んで欲しい…!」
男性からも女性からも、ウットリと甘美のため息が漏れる。
「…これは、少し丈が短すぎませんか…?」
「た、確かに少し恥ずかしいですね…」
足元を気にするアンジェリカと、恥ずかしそうに頰を染めるリリアン。ーー凶悪に可愛い。
チヤホヤされるアンジェリカを見て、ジョアンナは臍をかむ。
ーーいいえ、給仕で巻き返せば良いわ…!
アンジェリカの無愛想は有名なところだ。全体的な評価は上回る、と張り切るジョアンナだった。
「ソーンヒル様、まずは呼び子をお願いしますわ」
「分かりました」
アンジェリカ、リリアンと数名の男女で、教室を離れる。ジョアンナはその間に給仕たちに指示し、準備を万端にするのだった。
「呼び子って、何をすればよろしいのでしょう?」
「そ、そうですね。では男女ペアになって、給仕らしい呼びかけをしましょうか」
「分かりましたわ」
アンジェリカはペアになった男性にエスコートされ、あちこち動いて回る。「どうぞ1-Sカフェへお越し下さい、お嬢様」と勧誘する男性の真似をして、アンジェリカも呼びかけてみる。
「どうぞ1-Sカフェへいらして下さいませ、ご主人様」
ニコリと微笑んで、アンジェリカが柔らかく言う。ーー隣を含む、周囲の男性がコロリと落ちた。
「……ソーンヒル様、それは、ものすごい破壊力です……!」
ご主人様だなんて!僕も君に給仕されたい…!とペアの同級生が悶える。
そんな調子でアンジェリカは周辺男性を落としまくり、お客を確保するのであった。
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1-Sクラスも盛り上がっていたが、一番の盛り上がりを見せたのは、やはり2-Sクラスだろう。
ほぼ全ての女性がこのクラスに立ち寄っている、と言っても過言ではない。
「ようこそ、お嬢様」
「ああ…!殿下…!」
アレクサンドルとのお茶会は、1人の持ち時間2分。随分と省エネな王子様カフェである。
もちろん、本物の王子様ではなく、王子様に扮した男性のお茶会ならば、持ち時間はもう少し長い。2番人気のエルドレッドは、持ち時間5分だ。
容赦なく入室してくる女性たち。昨年はそれでアレクサンドルが参ってしまったので、今年は『お姫様カフェタイム』を作り、アレクサンドルと入れ替えに美しい女性ーー例えばアデラインなどーーが、お姫様として男性とお茶会する。この『お姫様カフェタイム』の時間、王子様(と偽王子様)は休憩とし、アレクサンドルのストレスを軽減させたのである。
アデラインはエルドレッドとすれ違うこの時間が、大変残念だった。だが、男どもはようやく訪れた休憩に、羽を伸ばす。
「アレク、僕、ちょっと出てくるね」
「…目的地は同じだ。一緒に行くぞ」
「ええ…」
不満そうにエルドレッドがぼやくが、確かに2人の目的は同じだ。王子衣装の上着だけ脱いで、2人は足早に目的地へ向かうのだった。
1-Sクラスも繁盛してるな、とアレクサンドルは思った。それにしても、このクラスの女性の給仕服は、随分と丈が短い。
ーーえ?あの服を、アンジェリカ嬢が着てるのか…?
アレクサンドルの胸がドキリと跳ねる。早く見たい。心が逸る。
「いらっしゃいませー、お、王子様?!」
王子様が、王子様の格好してる!すっごく素敵!と入り口で騒ぎになる。
「…ソーンヒル嬢は…」
「はい、ご案内します!」
ご案内します、じゃねーだろ!指名制じゃねーぞ!と男たちの非難の目をものともせず、女性は中へ案内した。
「いらっしゃいませ…まあ、殿下!」
すぐさま、ジョアンナが対応しようとする。が、男2人はアンジェリカを視界に捉えて叫ぶ。
「アンジェリカ嬢!」
「アンジェリカちゃん!」
「まあ、いらっしゃいませ、ご主人様」
何この破壊力!「ご主人様」だって!おまけに柔らかく笑ってるし!ーー男2人はモダモダする。
「ちょっと短すぎない?他の男どもに見られたくないんだけど」
「…やはり、短いのですね。そういうものだ、と言われましたので」
「……でも、すごく可愛い……」
と顔を赤らめて褒めるアレクサンドル。その姿を見て、アンジェリカも頰を染めて礼を言う。さ、席に案内してくれ、とアレクサンドルは素早く手を取って、アンジェリカを独占した。
「……この野郎……」
「エル。今日は私のストレスを発散させるために、優先させてくれ」
「い・や・だ!」
本来、お客1人に給仕1人が付くため、急いでジョアンナが手伝いに入る。ーー若干、無理矢理。
「ご注文は何になさいますか?ご主人様」
「え?そりゃあ、アンジェリカちゃんを…」
「私は売り物ではありませんわ、ご主人様」
「…何このプレイ…!いくら出せばアンジェリカちゃんを独占出来るの?!」
「エル!」
アレクサンドルが見かねてぶん殴る。
「あ、あの…ご注文は…?殿下…ではなく、ご主人様…」
「え…いや…その…。アンジェリカ嬢にお願いしたい」
「ご主人様、ご注文は?」
「で、では、珈琲を」
何このやりとり!刺さる!エルドレッドではないが、このメイドが欲しい!可愛いすぎる!
「畏まりました。少々お待ち下さいませ」
短いスカートの裾を持ち上げ、軽く頭を下げるアンジェリカ。ヒラリと翻す時、つい短いスカートを眺めてしまう。ーーううむ、なんてそそる脚なのだ…!
すっかりご機嫌のアレクサンドル。うん、こんなご褒美があるなら、王子様も悪くない。
「……あの……」
「ハドルストン嬢は、他の人の給仕に当たってくれ。美女を2人も独占したら、さすがに恨まれてしまうからね」
「……はい……」
暗に『君は不要』とほのめかされ、ジョアンナは打ちのめされる。だが、酷く忙しいカフェに引きずられ、ジョアンナは別の席へ給仕せざるを得なかった。
最後の客を送り出し、これにて1-Sクラスの催し物は終了する。片付けを始めていると、周囲はバタバタと外へ走っていく。
「皆さま、取りあえず片付けは後で結構ですわ!」
と言いながら、ジョアンナも走り出す。「皆さんどうしたのでしょう?」というリリアンの問いに、アンジェリカは「さあ」としか答えられない。
仕方ないので、アンジェリカはリリアンと他数名で、教室の片付けをし始めた。
「さあ!学園祭メイン・イベント!男と女コンテストの結果発表です!」
わあっ!と大歓声が上がる。去年は、アレクサンドルと卒業したペンドルトン嬢だった。今年はどうか。誰があのご褒美にありつけるのか。年間行事で、生徒が一番盛り上がる瞬間である。
ジョアンナやアデラインも緊張していた。男性で選ばれるのは、誰か。そして自分は選ばれるのか!期待と不安でいっぱいだ。
「まずは、ミスターからだ!今年のミスター・アンドレアは……!」
ごくりと喉を鳴らす。たっぷり10秒ほど溜めて、司会者は発表した。
「アレクサンドル・ソーンダイク様!」
キャアア!と女性たちから歓声が響く。去年に引き続き、今年も殿下がミスターだった。
贔屓や作為があるわけではなかった。やはり、『王子様カフェ』の力は、とんでもなく偉大だった。
アレクサンドルはため息をついて、ステージに上がる。ウンザリしたが、ふと相手を考える。
ーーもしかしたら、アンジェリカ嬢ということも…!
そうだ、今年はその可能性もあるのだ。急に心臓が早く鳴り始めるアレクサンドル。
「それでは、発表しましょう。栄えあるミス・アンドレアは……!」
全女性徒が、胸の前に手を組んで祈る。「どうか私が選ばれますように!」と。
溜めに溜めて、発表された名前は…。
「アンジェリカ・ソーンヒル嬢!」
うわあ!と全生徒が爆発する。まさかの1年生!だが、納得だ。
アンジェリカの票は特殊で、「華麗」「美しい」「スタイル抜群」という通常の評価の他に、「踏まれたい」「なじられたい」「冷たい視線を浴びたい」などの「ツン」要素が多数あり、圧倒的得票数だった。
ーーアンジェリカ嬢…!
やった!まさかと思ったが、1位になるとは!アレクサンドルの憂鬱が歓びに変わる。
一方、呆然とするのは、エルドレッドだ。アンジェリカが如何に美しいとはいえ、まさか1年生でミス・アンドレアに選ばれるとは思いも寄らなかった。ーーくそ!こんなことなら、本気を出してミスターを取りに行くんだった!エルドレッドは後悔臍をかむ思いだ。
「ソーンヒル嬢、ステージへ!」
司会者の呼びかけにも、全く応答がない。ザワザワと周囲が騒ぐ。ーーよく見たら、アンジェリカは不在だ。1-Sクラスが走って探し始める。
ーー来なければいい。そう思うエルドレッドとジョアンナだった。
アンジェリカは、何がなんだか分からない。
教室で片付けをしていたら、拉致された。ほぼ全生徒が集まって騒いでいる。ーーこれはいったい何の騒ぎか?
呼ばれるまま、ステージに上がる。そこには、はにかんで待つアレクサンドルがいた。
「今年のミスター・アンドレアとミス・アンドレアです!皆さま盛大な拍手をお願いします!」
拍手と歓声に、アンジェリカが再び驚く。傍に来たアレクサンドルに、尋ねてみた。
「これはいったい何の騒ぎなんですの?」
「……このイベントを知らないのは、君とリリアン嬢くらいだよ」
アレクサンドルは苦笑する。興味ないんだろうな。そもそもこの場に居なかったくらいだから。ーーでも、そんなところが、とても可愛いらしい。アレクサンドルは目の前の女性に、すっかり心を奪われた自分を自覚した。
「それでは、お待ちかねのご褒美です!」
司会者がそう言うと、アレクサンドルはアンジェリカに向き合った。アンジェリカは首をかしげる。
「ご褒美とは?」
「キスを」
「そうそう!ソーンヒル嬢は殿下の頰にキスをお願いします!」と司会者が補足する。え?これって、殿下へのご褒美なの?
「……しないと、収まりませんわね」
「ああ。頼む、アンジェリカ嬢」
「では、少し屈んでくださいます?」
言われた通り、アレクサンドルが屈んで近づくと、その肩につかまって、アンジェリカは頰にキスを贈った。ーー柔らかな唇の感触に、アレクサンドルの下半身が熱を帯びる。
ーー足らない…
アレクサンドルはアンジェリカを抱き上げ、今度はアレクサンドルが彼女の頰にキスをする。
王子様がメイドを抱き、キスを贈るという倒錯した光景に、生徒たちが悲鳴を上げた。
「もう!やり過ぎですわ」
「すまない、つい」
と高らかに笑うアレクサンドル。本当に、嬉しそうに笑う王子の姿は、年相応の若者に見える。ーーアンジェリカが、彼の心を解きほぐしたのだ。
アンジェリカを優しく見つめるアレクサンドルのオーラは、薄い灰色と濃い桃色が、らせん状になっていた。
ちなみに、リオンのクラスは迷路を精巧に作り過ぎ、生徒が休憩時間程度では攻略出来ないため、外部の人間以外は入らなかった、という話。