第6話
柔らかな光が差し込む休日の朝。
茶葉の甘やかな香りが、部屋中を巡る。
今日もセバスチャンの入れる紅茶は完璧だと、アンジェリカの心を満たした。
「お嬢様、太っちょにご注意ください」
「金策が尽きたかしら?」
「その様です」
「私をどうにかすれば借金が無くなると思うなんて、浅はかすぎませんこと?」
「窮鼠猫を噛む、と申します。逆恨み、という可能性も」
「まあ、人とは厄介ですわね」
「…先方も、お嬢様に言われたくないでしょう」
セバスチャンは苦笑しながら同感した。アンジェリカには追い詰められた鼠の気持ちなど、分からないだろうに。
物理的な苦労をしたことが無い少女に、“厄介”と言われることはさぞや不本意だろうが、セバスチャンは決して容赦しない。
「さて、本日はいかがお過ごしなさいますか?」
「そうね……」
陶磁を思わせる白い指を、アゴにあてて考える。セバスチャンは、特にアンジェリカの白く美しい手が好きだった。
ーーいつか、あの白い手で、肌に触れて欲しい…
セバスチャンの妄想は、18歳という年頃らしく、大層邪である。
「街へ行きたいですわ」
「…お嬢様は耳が遠くおなりになりましたね。すぐに医師を手配いたします」
「セバスこそ、少しは落ち着きなさいまし。街に行くくらい、何だと言うのです?」
「囮になる必要はないかと」
「貴方がいるのに、わけなどありますまい」
天上人の微笑みで、アンジェリカが言う。全幅の信頼か、はたまた試練のひとつか。
アンジェリカの発言は完全に正しい。外ならば、堂々と護衛出来る。むしろ、学園内で仕掛けられた方が、身動きが取れず厄介だ。
今は、多少あぶり出しておきたい。
「かしこまりました、お嬢様」
澄まし顔でセバスチャンは答えたが、内心は
『わーい、同伴だ~』と喜びがわき上がった。
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王都・キングストンには及ばないが、学園のある都市も、中々栄えている。
学園近郊という事情により、学術的な店が軒を連ねるほかは、大都市のように洗練された店ばかりであった。
明るい日差しの中、アンジェリカとセバスチャンは、当てもなくうろうろする。
「前に一人、後ろに二人ですね」
「正確よ。さすがね、セバス」
アンジェリカにとって、尾行は尾行とならない。全てオーラで位置が特定されてしまうからだ。アンジェリカに意識を向けなければオーラは消えるが、それはもはや尾行ではない。
セバスチャンが後ろ手に指示を出す。血の吐くような訓練の末、彼にも駒となる部下ができた。
「オーラが消えたわ」
「さて、改めてどちらに行きましょうか」
「紅茶のお店にしましょう」
ニコニコと嬉しそうにアンジェリカが振り返る。アンジェリカは本当に紅茶が好きだ。
その様子に柔らかい微笑みを向けると、周囲の女性から高い声が上がった。
アンジェリカはもはや紅茶のことしか考えていないから気づかなかったが、女性たちはセバスチャンに熱い視線を向けている。
セバスチャンは、かなり顔面偏差値が高い。彼とすれ違った女性は、10人中10人が振り返って彼に見蕩れるであろう。
セバスチャンがもう少し幼い頃、女性に人気があることは嬉しく、役得でもあったが、いまはただ面倒くさい。
「では、参りましょうか。お嬢様」
そう言って、スッとアンジェリカの腰を取ると、周囲の女性から悲鳴が上がる。
主人の躰に触れるなど、本来やってはいけない行為なのであるが、無頓着なアンジェリカは気付かない。(公爵閣下には必ず咎められるであろうが)
それを良いことに、セバスチャンは案外やりたい放題であった。
セバスチャンは買い物袋を両手に持ち、意気揚々と歩く。
「……もう4軒目でしてよ……」
「お嬢様は本当に無欲でございますね。この場合は、もはや罪ですよ」
「……罪」
「金持ちたる者、購入で経済を回さなくてはなりません。それは、貴族の義務です」
「……怒る気も失せますわ。で、次はどこですの…?」
セバスチャンが次に立ち止まった所は、『学術の街』に相応しい、古書街であった。
アンジェリカの瞳が輝き出す。
「学生の頃、私もよく古書街に来ました」
「そうね、ここは宝の山ですわ」
アンジェリカは割と古美術品や骨董品が好きだ。古書街は初めてだが、きっと好きだろう。
二人で古本を見繕っていると、ストロベリーブロンドの髪が視界に入る。紫水晶の瞳が、獲物を狩るかのごとく真剣に瞬いていた。
「彼女が孤立していることを、ご存知ですか?」
セバスチャンが囁くように話す。彼がアンジェリカのクラスメイトを把握していることは解るが、話題に出した意図が分からない。
「そう」
「お嬢様もお一人ですがね。お嬢様は孤立というか……独立ですから」
「何が言いたいのかしら?セバス」
お友達になれ、と?
じと目でアンジェリカはセバスを見上げた。
そんな顔も可愛らしい、とセバスチャンは思う。
「いえ、お嬢様に何も期待はしておりません」
「そう」
「……彼女は、同じ教会で見たことがあります」
「そう……」
ポソリと地面に何かを落としたかのように、セバスチャンはつぶやく。アンジェリカは特に感想を持たなかった。
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「ーー失敗したか」
「足は付かなかったはずだ」
「当然だ」
暗い暗い一室で、男の殴打音が響く。拐かしの失敗に、ひどく失望していた。
「作戦を変えよう」
机を叩き壊し、男達はボソボソ話し合いを始めた。