第52話
アンジェリカは、夕刻より城下町で祭があるから行かないか?という誘いを、キャスリーンから受けた。
祭…。なんでも、仮面を付けてしゃべったり食べたり踊ったりするらしい。仮面舞踏会の庶民版、と言った方が、理解が早いかもしれない。
「ね、アンジェリカお姉様、リリアンお姉様!是非私と一緒に参加して頂けませんか?」
「楽しそうですね」
「そうね…。セバス、どう思う?」
「私が護衛に付きますので、よろしいかと」
キャスリーンの瞳が輝く。「やはり、主従はいつも一緒なのね!萌える!」とか何とか言いながら。
キャスリーンは同世代の女性が周りに少ないものだから、アンジェリカやリリアンとの出会いを大切にした。もっと一緒に居たかったが、翌日には王家の避暑地へ旅立つという。
ーーそれならせめて。
最後は派手に楽しみたい!とキャスリーンが祭に誘ったのだ。アンジェリカとしても、その希望を叶えたい。
「いいですわ。キャスリーン嬢、行きましょう」
「やったわ!ありがとう、お姉様!」
手を組んで喜ぶキャスリーン。「仮面の支度はお任せくださいませね!」と張り切っている。
「お時間お取りしましたわ。今日は、アンジェリカお姉様が鉱物商人とお会いするとか…」
「ええ。レクサム領は、有名な鉱山地でしょう?私、鉱石や鉱物を拝見したくて」
「……宝石では駄目ですの?アンジェリカお姉様なら、宝石の方がお似合いでしょうに」
「あら、宝石なんて完成していてつまらないわ。研磨する前の、あの無限の可能性が素敵なのではありませんか!」
おお、珍しくアンジェリカが興奮している、と3人は思った。アンジェリカは何かを欲しがるタイプではないから、積極的に鉱石や鉱物を収集している訳ではない。ただ見たい、という純粋な好奇心から、いくつか気に入ったものを取って置く。
アンジェリカは、レクサム領滞在の目的が果たせそうなことを喜んだ。
マーヴィンが呼び寄せた鉱物商人は、実直な男だった。1つ1つ、アンジェリカの質問に丁寧に答える。
「こちらの紫色の鉱物は何ですか?」
「玉随です。石英の1つですよ。これほど透過しているものは、珍しいです」
「こちらは?」
「…お目が高いですね。こちらは、カルカンサイトです。天然の結晶は、非常に珍しい逸品です」
たまたま採掘時に坑道で見つけました。私も年に数度見ないほど、貴重です、と商人が語る。この商人、どうやら坑夫でもあるようだ。道理で詳しい。
「…ご令嬢。こちらなど、いかがでしょう…」
「まあ…」
アンジェリカからため息がもれる。その鉱物は、アンジェリカの瞳と同じ色。美しい緑色である。
「フォスフォフィライトです。銀山から稀に採れる結晶でございます。数年に一度、お目にかかれるかどうか、という極めて珍しい鉱物です」
「私も、初めて見ましたわ…」
「硬度がとても低いので、加工に適しているとは言えません。そのため、市場に出回らず、また需要も少ないのです」
「なるほど…」
心惹かれる美しい緑色。これだけで宝石のように綺麗な結晶である。手に入れてみようか。
「こちら、おいくらですの?」
「希少価値は高いのですが、所詮宝石ではなく鉱物ですからね。100シリングでいかがでしょう」
「お嬢様、こちらお求めになりますか?」
「ええ、お願い、セバスチャン」
畏まりました、と言って、セバスチャンは商人と交渉する。この商人は良心的で、提示額の8割で商談が成立した。
アンジェリカは、大満足であった。
さて、夕刻である。キャスリーンに用意された仮面と衣装を身にまとい、ローブで隠す。
「ふふ、私、もっと楽しめるよう、趣向を凝らしましてよ!」
「何をしたのですか?キャスリーン様」
「よくぞ聞いて下さいました、リリアンお姉様!私たちと、男性陣は別々にお祭りに参加して、私たちを見つけてもらうのです!」
「えー…」
別に3人で参加すれば良いんじゃないんですか?とリリアンがぼやく。アンジェリカはどこ吹く風だ。
「では、参りましょうか、ご令嬢方」
ジーヴスの先導のもと、お祭りに参加する。ある程度誘導したあとは、ジーヴスとセバスチャンは護衛にはいる。これは、キャスリーンたっての願いだ。
ーージーヴス殿とセバスチャンさんが傍にいては、男性陣に見つかってしまうもの!
この仮面舞踏会(庶民版)には、1つの伝統がある。それを知っているのは、キャスリーンとリオンのみ。
キャスリーンは、もちろん自身が楽しみたいという目的もあるが、アンジェリカを想うリオンのため、という側面支援もあって、この参加を計画した。
いわゆる、思い出作りである。
キャスリーンは、自分のリオンへの想いが、兄妹と男女の狭間にある、と考えている。このまま結婚しても良いし、そうでなくてもよい。
ーーあまりに近い存在だったから、意識したことがなかったのだ。これまでは。
今年、リオンが学園生活のため、このレクサム領を出て行き、そして4ヶ月振りに再会したら、従兄妹が少し別の存在に見えたのだ。
ーー圧倒的美形たちの前に、多少霞んでしまったが。
リオンは、分かりやすいほど、アンジェリカを意識していた。堂々として、姿勢を正し、自信をつけて、見目を整えた従兄妹は、中々に男前である。ーーそれは全て、アンジェリカのための変革だった。
そのことがよぅく分かったキャスリーンが、一肌脱いで、この企画を実行したのであった。
大広場では、たくさんの人達が歌え踊れのらんちき騒ぎとなっていた。
クルクルと楽しそうに踊る男女をみて、3人はその輪の中に飛び込んだ。
ここには、身分も立場もない。ただ皆で楽しむだけである。キャスリーンもリリアンも、そしてアンジェリカでさえ、気楽に踊って皆と喜びを分かち合った。
「ご令嬢」
と声をかけられ手を引かれる。アンジェリカはそのまま、仮面を付けた男性と踊り始めた。
社交ダンスとは違い、音楽に合わせてリズムを各自適当に取るだけの、簡単で楽しいダンス。アンジェリカも、相手に合わせて飛んだり跳ねたりしてみた。
「お上手ですね」
「ありがとう存じます、ガスコイン様」
「……!」
ここでは、種明かしは禁止ですよ、とリオンがアンジェリカを抱き寄せる。「ごめんなさい」と笑うアンジェリカ。2人は再び踊り出す。
「ご令嬢、この祭には、1つの伝統がありまして」
「まあ、何ですの?」
「……仮面を付けて踊った男女は、終生一緒に居られる、という伝統です」
「ふふ、素敵ですわね」
アンジェリカが明るく笑う。こんな屈託ないアンジェリカは初めてだ。リオンの胸が跳ねる。
ーー俺と踊って…伝統を意識して…喜んでくれますか…?
リオンの心が、期待で満ちる。俺に脈はありますか…?
「はい、交代。次は僕の番だよ」
リオンと踊っていたアンジェリカを、横からかっ攫う1人の青年。ーーいや、正体は皆分かっているけれど。
「さっきまで、僕がリリアン嬢と踊っていたからね。次、よろしく~」
「ええ…!?」
伝統は?アピールは?!と抗議したいリオンであったが、最初に踊る権利をリオンに譲ってくれたことに気付き、アンジェリカを渡す。
「強引ですわ」
「彼に最初を譲ったんだ。褒められてもいいくらいさ」
「相変わらずですわね」
苦笑しながら、アンジェリカは踊る。リオンと違い、彼はダイナミックで扇情的で、そしてアンジェリカへの配慮が抜群に上手かった。
「綺麗だよ、アンジェリカちゃん」
「ふふ、ここでは種明かしは御法度ですわよ」
「はは、そうだった!」
彼はアンジェリカの腰を抱えて持ち上げる。見事なリフトに、周囲から大歓声が上がった。
「すごいわ!」
「ふふ、お褒めの言葉をありがとう」
アンジェリカは、彼のダンス力を手放しで褒めた。悔しいが、本当に何でも出来る男だ。
曲の最後にギュッと抱きしめられたが、彼は次の相手に、アンジェリカを譲る。
「ご令嬢、次は私と」
「よろしくお願いしますわ」
ついうっかりお辞儀をしてしまった。そしたら相手も、仮面の奥でニッコリ笑って、お辞儀を返した。ーー完璧なるお辞儀である。
「私は社交ダンスしか踊ったことがなかったが、こういうのも、良いね」
「ええ!私もそう思いますわ」
身分の高い者同士、普段は色々制限があるけれど、ここは無礼講。誰も私たちを知らない。それって、なんて楽しいのだろう!
手を合わせてステップを踏む。すると、フイに抱き上げられて、クルクル回された。
「まあ、殿下、恥ずかしいですわ」
「ふふ、ここでは種明かしは御法度だろう?」
意外に力強いところを見せつける。ーー単に、皆、アンジェリカに触れたいだけかもしれない。
最後は社交ダンスのように寄り添って終える。アンジェリカも彼に合わせて輪を出ようとしたその時、細腕を誰かにとられた。
「……ご令嬢、私とも、是非」
「ま、今日は無礼講だ。譲ろう」
彼はひらひら手を振って、アンジェリカから離れる。代わりにアンジェリカの手を取った青年が、アンジェリカの腰をとって踊りはじめた。
「私の護衛は良いのかしら?」
「こうして、一番近くで護っているではありませんか」
彼は疲れたアンジェリカを気遣って、しっとりと踊り出す。優雅に、緩やかに、穏やかなダンス。
「ダンスも完璧ね、セバス」
「ご令嬢、種明かしをしてはいけませんよ。ーーここにいるのは、美しい女性と麗しい青年です」
「自分で言ったら、台無しですわね」
アンジェリカはクスクス笑い始めた。セバスのダンスは心地いい。
「こんな風に踊れるなんて。キャスリーン嬢に感謝ですね」
「そういえば、キャスリーン嬢とリリアン嬢はどこかしら?」
「あちらです」
セバスチャンの指先を見ると、キャスリーンはリオンと、リリアンはジーヴスと踊っていた。
「え?ジーヴスと踊れるの?!」
「……ご令嬢、今は私と踊っているのですが……」
「だって、セバス!ジーヴスと踊れるなんて、本当に滅多なことではないのよ!」
「……ですから、ルール違反ですよ、お嬢様……」
正体を明かした挙げ句、別の男に気を取られるなんて!もうセバス泣いちゃう!
夜になっても、アンジェリカ一行は、食事を堪能したり、大道芸を見たりと、お祭りをしこたま満喫したのだった。




