第5話
ガチャリ、と金属音を立てて扉がゆっくり開く。
子ども達にとって、その音はこの世で一番怖いものだった。
今日は、どちらだろう……
「緑色の首輪…、お前だ。来い」
緑色の首輪を付けられていた男の子が、ヒッと小さな悲鳴を上げて、大人に引っ張られて行った。
ガチャリ、と再び扉が閉まる。
残った子どもは安堵の息を吐き、大人が置いていった僅かばかりの食事を口にする。
扉が開いた時。
それは食事が置かれていく以外に、必ず誰か連れ去られるか、誰かが鞭で痛めつけられるかのどちらかだった。
為す術なく震える子ども。
あの時、死神はきっと近くにいたのだろう。
大きな鎌を毎日振り下ろしていたのだろう。
ーータスケテ
その言葉は、誰の耳に届いたのだろう……
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セバスチャンが目を開けると、暗い部屋の天井が見えた。
乱れた呼吸が少しずつ落ち着いてくる。
「ーー懐かしい夢を見たものだ」
奴隷市場での生活は、未だセバスチャンを悪夢として襲う。あの時は、死があんなにも近しい存在だった。
セバスチャンは孤児だった。生まれて半年ほどで教会に捨てられていたそうだ。教会での生活も豊かでは無かったが、その分皆で肩を寄せ合うように生きていた。
なぜ、奴隷になったのか。
それは、教会がセバスチャンを売ったからだ。セバスチャンが10歳の時、神父が変わった。この神父が、神に仕える存在とは思えないほど怠惰で、強欲で、驕慢な人物だった。
年嵩の子どもが順番に売られていき、そのたび神父の懐が豊かになっていく。まともな食事も与えられず、子どもたちは日々弱くなっていった。
何の抵抗も出来ずセバスチャンは売られ、そしてアンジェリカに買われたのだった。
「ーーお嬢様……」
セバスチャンにとって、アンジェリカは名の通り天使だった。彼女に拾われて、セバスチャンはまともな生活が……
「いや、あの日々を“まとも”と言えるかどうか…」
セバスチャンはアンジェリカの希望通り、執事となるべく訓練を受けた。それはさながら獅子が子を千尋の谷に落とすような、過酷なものだった。
それでも、セバスチャンはソーンヒル家に来てから、絶望を感じたことはない。何より、アンジェリカがいたからこそ、セバスチャンは必死になれたのだった。
ーー本人には絶っっっ対に言わないが!
アンジェリカには、オーラが見える。自分のオーラが、時々変な色(主に桃色)に変わっていないかどうか、目下セバスチャンの恐怖はそのことのみであった。
さて、昼間のセバスチャンの職務といえば、主にアンジェリカの護衛である。
「おお、懐かしい」
アンジェリカの今日の授業は、SからZの4クラス合同による『土壁避球』だった。
ボールを敵陣の相手に当てていくゲームだが、土魔法で壁を作りボールを避けたり奪ったりすることが、基本ルールである。
当然、土魔法が得意な者と運動神経の良い者が有利である。
「俺は運動神経で避けてただけだったな」
さて、アンジェリカはどうであろうか。本人の自己申告によると、土魔法は不得手のようだったが。
まずは、SとZで試合が始まる。アンジェリカはすぐにボールを当てられてリタイヤしていた。
「………やる気が一切ないな、お嬢様………」
スタートから一歩も動かなかった。それで良いのか。
アンジェリカの視線は、Zクラスに向いていた。Zクラスは特殊クラスだから、Sクラスにコテンパンに負けると思われていた。だが、案外良い勝負である。
じっと見ていると、目立った人物はSクラスの土魔法が得意な二人の男子だ。その華麗な魔術に、女性陣から黄色い声援が飛ぶ。
「……このゲームの最優秀選手は、Zクラスの彼だな」
アンジェリカも彼を見ている。髪が深海のように、深い深い青の男性だ。魔法を一切使わずに、ボールを避けている……のではない。
巧妙に人を盾にしているのである。魔法の編み方も、少し違う。このゲームでは土魔法以外は禁止なのだが、あれは、一体何の魔法だろうか?
「あ!」
ゲームがSクラスの勝利で終わり、アンジェリカと紺青男がしゃべっている。音は拾えない。
ーーあの男……
何となく、紺青男には、自分に近い性質を感じる。よけいに危うく思えてしまう。
ーー確認が必要だ
セバスチャンはその場を立ち去った。
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「素晴らしいご活躍でしたわね」
授業の終わりに、目を見張るような美しい女性がZクラスの男に話しかけた。
ーーえ?俺?
紺青色の髪を持つ男が、目を丸くして聞く。
「……俺に、何か……?」
「突然に申し訳ございませんわ。貴方の先ほどのご活躍に、つい見蕩れてしまいまして」
「……え?活躍……?」
そんな活躍してたっけ?と本人含む、周りのクラスメイトたちがキョトンとした。
「あ、あの…俺、特に、何も…」
「……まあ、無意識でしたのね」
それはそれで素敵ですわね、とアンジェリカは微笑んだ。まるで天使のような可愛らしさに、周囲がうっとりする。
ーー紫、に少しだけ桃色が絡んだかしら…
目の前の紺青男は、アンジェリカの美しさに、警戒し狼狽している様である。
「私は、アンジェリカ・ソーンヒルと申します。ミスター、お名前を教えては下さりません?」
「あ、俺は、リオン・ガスコインで、す」
「ガスコイン様、今度色々教えて下さいませね」
では、と優雅に翻ってアンジェリカは教室に戻っていく。その華麗な姿を呆然と見送り、紺青男ーーリオンは首をかしげるのだった。