第44話
なんのかんの学生たちは、バザーに向けて真剣に取り組んでいる。優雅にうろついているのは、アレクサンドルくらいだ。エルドレッドですら、鍛錬に余念がない。ジーヴスを見つけては、稽古をお願いしている。
一度、アンジェリカはジーヴスに相談された。
「お早うからお休みまで、奴に付き纏われているのですが」と言われたので、「諦めて下さいまし」と回答しておいた。
アンジェリカ自身は、パンの値段や形、量やパッケージなど、考えることが意外と多く、珍しく四苦八苦していた。何より相場が分からない。
ーーお父様は、使用人の幇助を禁止しただけですものね
アンジェリカは言葉尻をつかんで、同級生に相談するとこにした。
「あっ!アンジェリカ様!」
廊下でばったりリリアンと出くわした。良かった、入れ違いになるところだった。
「リリアン嬢の所へいく途中でしたの。丁度よかったですわ」
「あの、わ、私もアンジェリカ様にお会いしに行くところでした…!」
「まあ、何かしら?」
では、東屋でゆっくりティータイムにしましょう、とアンジェリカが誘い、セバスチャンに用意を命じる。リリアンは嬉しそうに頷いた。
2人で庭の広い東屋に向かう道すがら、今度はリオンに出会った。
「あ、アンジェリカ嬢、どちらかお出かけですか?」
「庭の東屋でティータイムですわ。よろしかったら、ガスコイン様も如何です?」
「え…と。俺は…その…」
はっきりしないリオンの態度に、リリアンが声をかける。
「2年生は居ませんから、ご一緒しては如何ですか?」
「……邪魔者……」
ーーえ?なに?その口調。色々露見してるってこと?
グルグル脳が回転する。1回転半回ったところで、「では、お言葉に甘えて…」とリオンが折れた。
庭園の一画にある東屋には、すでに伯爵邸メイドによりティーセットが並べられていた。どこから聞きつけたのか、リオンの分まで手配されている。流石だ…とリオンは感心した。
「あの、アンジェリカ様は、私に何のご用だったのですか?」
「バザーで売るパンについて、意見を頂きたくて。ガスコイン様も、ご教示頂けませんか?」
「喜んで。どのようなことですか?」
「まずは、パンの価格ですが…」
アンジェリカが売るのは、コストのかかる白いパンだ。庶民の口には中々入らない、高価な代物だった。
「アンジェリカ様、高過ぎなければ、問題ないと思います。アンジェリカ様が意図していることは、このレースの勝利ではないのでしょう?」
「まあ、リリアン嬢…」
大きな瞳をさらに大きくして、アンジェリカはリリアンを見つめる。その瞳は、本当に美しいエメラルドの宝石のよう。リリアンの頰が淡い桃色に染まる。
形はこれくらい、パッケージは紙袋で十分。そこにあまりお金をかけなくても良いです、とリリアンは的確にアドバイスした。
「アンジェリカ嬢のパン…。俺も試食したいな…」
「わ、私も…」
「良いですわ。セバス、持ってきて下さいまし」
「…畏まりました」
今朝も作りましたの。もし良かったら是非食べてみて、とうっすら頰を染めて喜ぶアンジェリカ。滅多に見られないその可憐な笑顔に、リオンとリリアンは悶えた。
ーー可愛い!
ーー尊いっ!
もはや、信者である。
やがて運ばれてきたパンに、舌鼓を打つ2人。
「うわっ!スッゴく美味しいですね!」
「はわわわ!ふわふわ!柔らかい!ほどよい甘さ!完璧です、完璧な美味しさです!ああ、美味しすぎる~!アンジェリカ様、どうか私のお嫁さんになって…!」
え?何言ってるの?と呆れ顔でリリアンを眺めるリオン。リリアンはパンにもアンジェリカにも夢中で、全く気付かなかった。
「アンジェリカ嬢、これならいくら払ってもその価値はあります。むしろ、俺が買い占めたい…!」
「ガスコイン様、分かります!これは買い占めたい美味しさですね…!」
信者たちは、分かり合った。
お世辞ではなく本気の賛辞に、アンジェリカが少し照れたような、はにかんだ笑みを見せる。
ーーおかわり、頂きました!
アンジェリカのあまりの愛らしさに、信者は身悶えする。はぁ…尊い…!と呟きながら。
「お褒め頂いて恐縮ですわ。それよりも、お2人とも、私にどのようなご用がおありでして?」
「え、と。その…」
「あの、そ、それが…」
もごもごもじもじして、2人は言いあぐねる。そんな様子を、アンジェリカは不思議そうに眺めた。
「では、私から!あの、アンジェリカ様、これをどうか受け取って下さいませっ!」
「これは…」
勢いよく差し出されたのは、平紐で作った綺麗な飾り物だった。
「私の魔力を込めた、お守りです。これまでのご恩に比べれば、本当に大したものではありませんが……目一杯!想いを込めました!」
「まあ、ありがとう存じますわ!」
アンジェリカはお守りをそっと受け取り、優しく撫ぜる。
「凄いですわ…!至高の光魔法が込められおりますのね…!」
「えへへ…。ありったけの想いを込めました」
頰を赤く染め上げテレテレ喜ぶリリアン。「想いというか執念だな」とは、セバスチャンの感想である。
リリアンは満足げに息を吐いて、リオンを促した。
「ガスコイン様の番ですよ」
「あ、いや、その…」
リリアンと被った。ちくしょう。こんなことなら先に渡せば良かった…!などと胸中で臍をかむ。
男は度胸!となけなしの勇気をはたいて、リオンもアンジェリカに差し出す。
「まあ、なんて美しい鉱石…!」
「アンジェリカ嬢の瞳色の鉱石を、磨きました。王都近郊では採れない、希少な鉱石です」
アンジェリカが喜んだことに大層気を良くしたリオンが、俄然堂々とし始める。
「そんな希少な鉱石を、頂いてもよろしいのかしら…?」
「済みません。ちょっと大げさに言ってしまいましたが、これは売り物にならない小さな鉱石です。どうぞご遠慮なく」
「この意匠も素晴らしいですわ。デザインもガスコイン様が?」
「はい。アンジェリカ嬢をイメージしました」
まあ、私、こんなに美しくなくてよ、とコロコロ笑う。ーー可愛い!可愛いすぎる!!
「お手を…」
「……?」
咄嗟に言われ、左手を差し出す。リオンは陶磁のように美しい手を取り、小指に造った指輪をはめた。
細く長い指が良く映える指輪だった。
「……悔しいけれど、アンジェリカ様にとてもよくお似合いです」
「ふふ、ありがとう存じますわ。リリアン嬢から頂いたアミュレットも、ブローチにして身につけますわ」
「あっ、なるほどですね!」
ブローチにする、という考えがなかった。一部は手直しして売りにだそう。リリアンは瞳を輝かせた。
アンジェリカは、『友人』に『初めて』贈り物をもらい、思いのほか嬉しかった。
ーー手作りというのが、泣かせますわね
大切にしよう。そう思った。
1年生組はかなり仲良くなり、3人で歓談する。すると、遠くから雄叫びが聞こえた。
「……この叫び声は、何でしょうか?」
「ああ、多分、エルドレッド様とジーヴス殿の手合わせだよ」
「……手合わせで、この音声ですの」
ちょっと不気味ですわ、とアンジェリカは身震いする。「確かに…不気味ですね」と賛同するリリアン。苦笑しながら、リオンが言う。
「ジーヴス殿は、エルドレッド様のしつこさに、随分辟易してるみたいで。『ガスコイン殿はああならないで頂きたい』とジーヴス殿に忠告されました」
「…そう言えば、私にもそんなことを申しておりましたわ」
「ソーンリー様って、しつこい男性なのですか?」
アンジェリカはリオンと顔を見合わせて、リリアンの発言に苦い表情を作る。
ーー知らないって怖い。エルドレッドは基本的には優しいが、大貴族である。そんな口のきき方をしたら、リリアン嬢の首が飛ぶかもしれない。
リオンは一応、フォローする。
「エルドレッド様は、根っからの騎士だからね。自分より強い男に会うと、興奮してああなるんだよ」
「……ガスコイン様、ソーンリー様を犬猫のように……」
結局、誰一人上手いフォローを出来ず、リリアンの中の『エルドレッド像』がどんどん酷くなっていった。




