第43話
朝の日課に、鍛錬がある。
リオン・ガスコインは、いつもの時間に起床し、いつもの時間に鍛錬しようと、伯爵邸の庭に出る。
「やあ、早いね、リオン君」
「お早うございます、エルドレッド様」
広い庭の一画で、既にエルドレッドが一通り準備運動を終えていた。これほど広い敷地なのに、鍛錬の場所として同じところを選んだのは、騎士を志す者としての性か。
「殿下は?」
「アレクは剣の鍛錬なんかしないよ。何でも出来るから、そこそこ剣は使えるけど」
寝てるんじゃない?と気軽げに言う。考えてみれば、王族が強かったら護衛兵の職がなくなる。リオンは、これで良いんだろうな、と妙に納得した。
リオンが丁寧に準備運動をしていると、強い気配が近づいてくる。
「これは、お客人。お早いお目覚めですな」
「お早うございます、ジーヴスさん」
「お早うございます、ジーヴス殿」
挨拶しながら、ジーヴスが近づいてくる。そのすぐ後方には、セバスチャンもいた。
散歩、ではない事くらいすぐに分かった。ジーヴスから熱気が立ち上がっている。どうやら、すでにセバスチャンと一手組み交わしたところのようだ。
「…ジーヴスさん、僕にも稽古をつけてくれますか?」
「お、俺にもお願いします」
2人は勢いよく頭を下げて懇願する。ジーヴスは少し目を見張り、それから目を細めて快諾した。
「では、僕から手合わせ願います」
「いつでもどうぞ」
ジーヴスは軽く答えた。エルドレッドは木刀を握り直す。隙がない。久しぶりの格上相手だ。
「ハッ!」
真っ直ぐ打ち込む。木刀で受けるかと思われたが、ジーヴスはヒョイと避けた。このスピードを避けるのか、スゲえ! エルドレッドはすぐに木刀を返し再び打ち込む。今度は、ジーヴスに木刀を使わせた。
ジーヴスは弾き返して、己から攻撃を仕掛ける。ーー早い!と思った時には眼前に迫っていた。エルドレッドも物凄いスピードで、ジーヴスの木刀を受け流す。流した一手で打ち込むが、ジーヴスはとんぼを切って距離を置いた。
「……面白い」
ジーヴスは木刀を持ち直し、片手でコイコイと挑発する。エルドレッドはニコリと微笑み猛攻を仕掛けた。
ジーヴスはエルドレッドとの打ち合いに応じた。だが、エルドレッドの攻撃をすべて片手でいなす。20合打ち合ったところで、今度はエルドレッドがとんぼを切って距離を置いた。
ーー参ったな…
ジーヴスは、先ほどの位置から一歩も動いていない。これ程の剣豪とは!
エルドレッドに心からの喜びが湧き上がる。
「交代ですよ、エルドレッド様。ーー行きます!」
リオンは、エルドレッドと入れ替えにジーヴスに向かう。ガン!と重い一撃を入れた。
だが、ジーヴスはその重さを殺し、リオンの木刀を跳ね上げる。とっさにリオンはジーヴスに蹴りを食らわせた。
この蹴りは指1本でいなされたが、ジーヴスは愉快そうに笑った。
「ほう。貴方は貴族らしからぬ剣術ですな」
「……褒めてませんね」
「いやいや、立派ですよ。何より貴方は格闘術の方が良い」
「はあ、どうも!」
言うなり、リオンは再び木刀を振り上げて襲いかかる。その木刀を、ジーヴスは立ち位置を変えずに全て避ける。途中、リオンは裏拳を入れたり膝蹴りしたりと、格闘術も混ぜ合わせたが、すべて軽くいなされた。
「……強い……」
「お客人方も、とても強い。特にソーンリー殿はこのセバスと同等の強さですし、ガスコイン殿は、格闘術に優れています」
「……俺は騎士になりたいのですが……」
ちょっぴりヘコむリオン。
「執事君と同等……?」
どうやらカチンときた様子のエルドレッド。そんな彼を見て、涼しげに微笑むセバスチャン。
だが、セバスチャンも内心意外だった。
ーーあんな、真っ直ぐすぎる剣が、俺と同等……?
そんなバカな。お坊ちゃまの剣術とは、質が違うし格も違うはず。
ーーアイツに負けるはずがない!
と、エルドレッドもセバスチャンも思っていた。
「どれ、2人で立ち合ってみなさい」
もはや、剣の師匠の口振りで促すジーヴス。リオンはハラハラしていた。何故なら、男二人がバッチバチににらみ合っていたからだ。
「仰せのままに」
「手加減なしだよ、執事君」
君に言い訳させないからね、と挑発するエルドレッド。セバスチャンはフッと小馬鹿にした様子で、その挑発に乗った。
「「ハァッ!」」
ガキィィ!と木刀のぶつかる音が鳴り響く。セバスチャンが蹴りを入れると、読んでいたかのように、エルドレッドは避けた。そのまま木刀に体重を乗せ、セバスチャンの眼前に木刀が迫る。
「くっ!」
セバスチャンは躰を低くして、木刀を避けた。と同時に水鳥蹴りを決め込む。エルドレッドはとんぼを切って逃れ、すぐにセバスチャンに襲いかかった。
ーーなるほど、強い
そのまま木刀で打ち合う。セバスチャンは時々格闘術を織り交ぜて攻撃するが、エルドレッドは幾つか打たれながらも、愚直なまでに木刀のみで闘う。エルドレッドの打撃も、数回セバスチャンに入った。
ーー全くの互角だ…
感嘆の思いで二人の闘いを眺めていたのは、リオンだった。普段、リオンの全力は、エルドレッドの8割である。差が格段にあるわけではないが、彼は常に2割の余裕を誇っていた。
ーーそのエルドレッド様が。
セバスチャン相手に、汗をかいて息を上げている。あの執事は、それほどの実力なのだ。驚嘆に値する強さである。
そのセバスチャンも、息が上がっていた。真っ直ぐな、お貴族様の剣が、これほどのものとは!
100合ほども打ち合っただろうか。2人は距離を置き、互いに剣をおさめる。
「なるほど。2人は対極の剣ですな」
とジーヴスが感想を述べた。一見だと、2人の剣術はあまりに美しく、洗練されている点で似通っているようだが。
「さて、皆さん汗を流して朝食としましょう。ご令嬢方がお目覚めでしょうから」
どうやら稽古に随分夢中になっていたらしい。予定していた時刻を、遥かに越していた。
客の2人はジーヴスに言われた通り、すぐに屋敷に引き返したが、セバスチャンはジーヴスに聞きたいことがあった。
「じじい」
「……じじいはよせ。叩き殺されたいか?」
「師匠」
「同じじゃねーか」
「さっき言ってた“対極の剣”って、どういうことだ?貴族と平民の剣ってことか?」
「違う」
ジーヴスは説明する。
お前は、黒の使い手。相手の隙をつく剣術だ。
彼は、白の使い手。付け入る隙を与えない剣術だ。
善悪や正誤ではない。ただ対極にある剣術なのだ。
「お前の剣は姫様の護衛に相応しく、彼の剣は騎士に相応しい。ただそれだけだ」
「……結局、貴族と平民の剣だと思うぜ」
「まあ、ある意味そうかもしれないな。だが、ガスコイン殿の剣は、黒の方だ」
「……なるほど」
それは、何となく得心がいく。以前、学園で『土壁避球』の授業を覗き見ていた時、リオンの立ち回り方に、自分に近い性質を感じた。
紺青男は自分に近くて腹立たしいし、茶髪は自分と真逆で鬱陶しい。
「何でもありなら、どっちが勝つと思う?」
「なり振り構わなくなったら、ソーンリー殿だな。あちらの方が、切り札が多そうだ」
「……ふん」
そうなる前に、暗殺してしまおうか。
ーーなどと、物騒なことを考えるセバスチャンであった。
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朝食を終え、学生たちは各々準備を始める。アンジェリカは厨房で料理人と相談し、奥のキッチンを借りることにした。
「さてと。上手くいきますかしら?」
アンジェリカのパン作りは、久しぶりである。珍しく楽しげな笑顔で、生地をこね始めた。
「お嬢様のパンは、久しぶりでございますね」
「そうね。貴方が学園に行く直前に作ったのが最後かしら」
「おや、私がいない間、一度も作らなかったのですか?」
「食べる人がいないからね」
セバスチャンが学園に入ったのは、2年前のことである。その時にはもう、ルーカスもジーヴスも、公爵邸に居なかった。
「実力が衰えていらっしゃるのでは?」
「さあ。私にもわかりませんわ」
邪魔をするなら出て行って!とこれまた珍しくアンジェリカがいきり立つ。アンジェリカは、余程パン作りが好きらしい。どんなにセバスチャンが話しかけても、生地を捏ねる手を止めなかった。
生地を捏ね終えて発酵を待ちながら、セバスチャンが紅茶を入れる。
「ところで、お嬢様。このパン、いくらでお売りするのですか?」
「1ペニー」
「安っ!安すぎます、お嬢様!」
これ、白い小麦粉ですよ?原材料高いんですよ?!ああ、甘味もこんなに入れて……!と世話焼き婆のように口を出すセバスチャン。
「じゃあ、10シリング」
「高っ!極端過ぎです、お嬢様!」
「値段を決めるのって、結構難しいですわね…」
発酵を終えた生地を型に入れ、オーブンで焼く。パンが焼ける良い匂いに誘われて、ルーカスが顔をだした。
「あれ、アンジェか。久しぶりだね、パン焼くの」
「ええ、セバスによると、2年ぶりですわ」
「そうか。僕もご相伴にあずかっても?」
「ふふ、もちろんですわ、お兄様」
焼き上がったパンを、等分に分けて3人で試食する。
「あー、懐かしい。スッゴく美味しいよ、アンジェ」
「衰えていませんね。完璧な配合です」
「ありがとう存じますわ」
嬉しそうに笑うアンジェリカ。それを見てセバスチャンが苦笑する。
ーー公爵令嬢なのに…
望めば、何でも叶うのに。パン作りの方が嬉しいだなんて。ーー可愛らしくてたまらない!
田舎でお嬢様とパン屋を経営するのもアリだな、とセバスチャンは妄想した。
ブクマ、評価、感想!誠にありがとうございます。
随分久しぶりのセバスチャンです(笑)