第42話
街中は、たいそう賑わっていた。お昼時のせいか、食事をとる者が大勢いる。
そんな中、明らかに上等な服を着て、いかにも「貴族」と思わせる一団が、悠々と散策していた。
今回活躍したのは、リオンとリリアンであった。平民の生活をよく知る2人は、先頭だって案内した。
アレクサンドルなど、支払いに金貨を出そうとする程役立たずである。「これだからお坊ちゃんは…」という2人の心の聲を、アレクサンドルは苦い顔で聞いた。
「ソーンヒル様、こちらも美味しいですよ」
「アンジェリカ嬢、デザートに焼き菓子をどうぞ」
露店でちょこちょこ購入しては、アンジェリカに食べさせたがるものだから、アンジェリカはもうお腹が一杯である。だが、露店の価格を見て、仰天した。
ーー挟みパンが、3つで1ペニー!
安い。こんな価格で生活していけるのか。アンジェリカには甚だ疑問だった。
そして、バザーで出店するときの、良い判断基準にしようと考えた。
さて、アンジェリカたちがキョロキョロ散策するのに対し、エルドレッドとジーヴスは、周囲を警戒している。万が一にも、アンジェリカ(とその仲間たち)を傷つけないための配慮だ。
ーーこの男…
デキる、とエルドレッドの直感が囁く。匂いも鍛え抜いた雄のものだ。臭くはないが、独特の匂い。多分、格上の強さだろう。
ーーソーンリー家の剣術は、国で一番かと思っていたが…
居るところには、居るものだ。エルドレッドは素直に感心した。
小一時間ほど食べながら散策していた一行は、飲食店にて休憩する。これからどうするのか。別行動を取るか、順番に見たい場所へ行くか。
「別行動にしようか。まだ君たちには秘密にしておきたい」
「で…貴方様は護衛が必要でしょう?」
うっかり「殿下」と呼びそうになり、アレクサンドルに睨まれるリオン。相変わらず、リオンの発言は自然体で失礼なのだが、腹を立てても仕方ない。
「ああ、私には“影”がいるから」
「僕も、一人で平気だよ」
「ご令嬢方は……」
「私とリリアン嬢は、共に行動します。護衛は、この為にジーヴスに付いてきてもらいましたの」
「そうですか。確かに、ジーヴス殿ならば、お二人を確実にお守りするでしょう。では、2時間後にまたここで」
リオンの声を皮切りに、一人一人と席を立ち買い物に向かう。アンジェリカとリリアンは最後まで残って、相談した。
「リリアン嬢、買うものは決まりまして?」
「……いえ、実はまだ……」
「そう。ではまた散策しながら考えましょうか」
「あ、う、でも……。ソーンヒル様の行きたいところは……?」
「ああ、私は小麦粉など原材料を購入予定ですわ」
ではまず小麦粉を買いに行きましょうか、とアンジェリカたちはようやく席を立った。
小一時間ほどで、アンジェリカの買い物は終わった。あとはリリアンの買い物である。刻限は、あと1時間ほど。リリアンはまだ悩んでいる。
何が良いか、何を作るか、何が出来るか……。リリアンの悩みは尽きない。自然、足取りが覚束無くなり、前方から走ってきた男の子を避けられずにぶつかってしまう。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
リリアンは、転んだ男の子に声をかける。すると、思いの外元気な声が返ってきた。見ると、膝を少しすりむいただけだった。魔法で治してあげたいが、周りの反応が怖くて出来ない。
ふと足下を見ると、丸い小さな袋が落ちていた。それを拾って男の子に渡すと、お礼を言われる。
「ありがとう、お姉ちゃん。これ、お母ちゃんにもらった、大事なお守りなんだ」
「まあ、お守り……」
じゃあね!と走り去る男の子を見送って、リリアンは急に思い立った。
「ソーンヒル様、買いたいものが出来ました!」
「そう。それではお店に向かいましょうか」
にこやかに微笑んで、アンジェリカは促す。リリアンも安堵の表情を浮かべ、足取り軽く雑貨店へ向かうのだった。
さて、男性3人は、見事にバラバラに行動していた。リオンは工作の道具類とその材料調達に、エルドレッドは動きやすく、また、庶民的な洋服を買いに出かける。アレクサンドルはーー何故か仕立屋に向かっていた。
男の買い物なんて早いものだから、1時間とせずに先ほど別れた飲食店に戻っていた。
「アレク、手ぶら?」
「いや、配送してもらった」
「あっ!俺も配送してもらえば良かった……!」
両手に荷物を抱えるリオン。一体何を買ったのか……。
「いや、工具が大きくて。レクサム領に行けば、自分の工具が使えるのになぁ……」
「と言うことは、アクセサリー造りは、君の趣味なんだ」
「レクサム領には、大きな鉱山がありますから。屑鉱石を貰っては、磨いて色々造りましたよ」
「人には意外な特技があるものだ」
アレクサンドルがやけに感心する。ーーなぜだろう。褒められている感じがしないのは。
「貴方様は、なにかご趣味が?」
「……見合いみたいな会話だね」
「妙なことを言うのはやめてくれ、エル。そうだな、私は何でも出来てしまうから、趣味という趣味はないかもしれないな」
「はいはい」
エルドレッドはアレクサンドルを軽くあしらって、「あー、アンジェリカちゃん、早く帰って来ないかなー」などと人混みを眺め始めた。
「あの…、もし一番になったら、皆さんは何を褒美にするのですか?」
「え?それ聞いちゃう?」
「ええ、気になるので」
「アレクはどう?あまり乗り気そうじゃないけど」
「そうだね。あの宰相に願い事を言うなんて、弱みをさらすようなものだ。だから、褒美なんてあまり考えてないな」
アレクサンドルすらこうなのだ。アンジェリカは推して知るべし、である。恐らくアンジェリカは、一番になる気はないだろう。
ーーそれでも、宰相がバザー出店を強制したのは、きっと理由があるのだろう
もしかすると、本人が言ってた「社会勉強」を、アンジェリカにさせたいという親心なのかもしれない。
ーー穿ち過ぎかもしれないが。
「だが、負けるのは嫌いだから、ちゃんと対抗馬になるよ」
「いやいや、手を抜いてくれていいよ」
「エルドレッド様は、どうお考えなのです?」
「ふふ、分かるだろう?」
ニヤリと笑い、言及を避けるエルドレッド。
……まあ、何となく想像はつくが。
「リオンは?」
「そうですね。幾つか候補がありますが、一番を取ってから考えます」
「あー、優等生の答えだね」
つまんない!とエルドレッドがそっぽを向いた時、アンジェリカたちが飲食店に戻ってくる。全員揃ったところで、伯爵宅に帰ることとなった。
「なんか面白い事を始めたみたいだね」
夕食後、学生たちがカードゲームに興じていると、不意に領主が話しかけてきた。
「お父様のご命令です。楽しいわけではありません」
「そう?アンジェリカも楽しそうだけど。僕も手伝おうか?」
あ、捨てるのはこのカードが良いよ、とリリアンに入れ知恵するルーカス。
「残念ながら、幇助は禁止されていてね、ルーカス。いや、本当に残念だ」
至極嬉しそうに話すアレクサンドル。ルーカスとの確執は深い。
どや顔のアレクサンドルを無視し、ルーカスは、次はこれ、とリリアンに指示を出す。
「父上が“褒美”なんて。天変地異の前触れかな?」
「……あの、随分な言われようですね」
恐る恐るエルドレッドが発言する。やっぱり無視して、リリアンのカードに触れた。
「あ、上がりです!」
「やったね、リリアン嬢」
「ありがとうございます!ソーンヒル様のおかげです!」
「……この屋敷では、紛らわしい呼び名ですわね」
アンジェリカが呼び名に反応する。
「ああ、そうだね。では僕たちを名前で呼んでくれ、リリアン嬢」
「そ、そんな……!不敬罪になります」
「いやいや、大げさだな。良いよ良いよ。アンジェリカの友達だろ?」
「ええ、そうですわ」
「ソーンヒル様……!」
今のはどっち?と兄妹2人して聞くものだから、リリアンは笑ってしまった。
ーーこんな幸せが訪れるなんて…
何度思ったことだろう。ソーンヒル様ーーアンジェリカ様のお傍にいると、私はいつでも幸せなのだ。
「……ありがとうございます、アンジェリカ様、ルーカス様」
涙目でリリアンは微笑む。兄妹はそろって苦笑した。
不思議。
今まで怖いことって、あまりなかったのに。
ーー今は、失うことがこんなに怖い。
アンジェリカ様。
私は、貴女のご好意に甘えるばかりで、勝手に幸せを感じてしまいました。
同じだけの幸せを、貴女様に返したいのに。
眠れない夜など、不幸が原因だと思ってた。
でも、幸せを感じても、夜は眠れなくなるものなのね。
朝目が覚めて、すべてが夢だったら。
朝目が覚めて、アンジェリカ様が素っ気なくなったら。
ーー怖い。
「持っている」からこそ、「失う」ことが怖い。
ならば、「持たざる」べきでは?
ーーいいえ…
今の私には、分かる。
「持たざる」ことが、幸福ではないと。
「幸福」という感情は、生きる糧なのだと。
失うことが怖いのなら。
失わないよう、努力すべきか。
失ったときの、心づもりをすべきか。
彼女のベクトルは、どちらへ向かうのだろう?




