第41話
クランドン伯爵領。
ーーここは、今アンジェリカたちが過ごしている処である。
クランドン伯爵領は農産物を主力にした農耕地で、僅かながら鉱山もある。王都にほど近い、静かで穏やかな領地だった。
街中はそこそこ賑わっていて、地方から王都へ行く商人や学生の経由地としても栄えていた。
さて、この伯爵領は、宰相閣下が持つ数ある領土の中の一つだったが、3年前、公爵家次男のルーカスが領主に就いた。
就いたは良いが、ルーカスは第1王子の護衛兵だったため王都を離れられず、実質的な運営は、家令のジーヴスに任せていた。
アンジェリカは久しぶりに会った親代わりと、このクランドンでゆっくり過ごしたかったのだが、そうは問屋が卸さなかったのは、彼女の父親だった。
「アンジェ、今日から学友たちが来るのかい?」
「……ええ、お父様」
「そうか。挨拶をしたいから、来たら応接室に通しなさい」
「はい、お父様」
ーー挨拶をしたいだなんて、一体何を企んでいるのかしら…!
父親の発言を、何でも裏があると勘ぐるアンジェリカ。子どもに全く信用されていないウィリアムであった。
「お世話になります」
朝と昼の間くらいの時間に、三人の青年がクランドン伯爵領に訪れた。「ようこそ!」と明るい笑顔で迎える家主。
「……ルーカス。君には色々言いたいことが山ほどあるが、まずは世話になろう」
「まあまあ殿下。あまり悩むとハゲますよ?」
「原因が君にあるのを、分かってもらいたいな。そもそも、何故ここにいるのだ」
「そりゃあ、殿下の護衛ですよ」
「それなら真面目に取り組みたまえよ」
はぁ、と大きなため息をついて、アレクサンドルは案内された応接室に向かう。
ーー”真面目に“だなんて!
真面目が言う台詞だな、とルーカスは腹の中で笑った。いい加減、ソーンヒル家が“真面目”とは対極の場所にいることを、理解した方がいい。
ガチャリと重い扉を開けると、穏やかな表情の宰相閣下が立っていた。
「ようこそ、お客人」
「ま、宰相閣下!」
興奮して声を上げてしまったエルドレッド。口元を抑え、一礼して下がる。
ーー挨拶は、序列でしなくてはならない。
「世話になるよ、ソーンヒル公爵」
「よしなに、殿下」
「エルドレッド・ソーンリーです。お目にかかれて、喜びに堪えません。4日間、どうぞよろしくお願い致します」
「ああ、そう堅くならず。ヴィクトリアとも会うと良いですよ」
「リオン・ガスコインと申します。お招き誠にありがとうございます」
「やあ、君が英雄の自慢の孫か。会えて嬉しいよ」
皆、どうぞよろしく、と柔らかな声でウィリアムは言った。
ーーそんなウィリアムの姿に感激しているのは、エルドレッドだけであったが。
「あの、ソーンヒル公爵閣下。お時間は大丈夫なのですか…?」
『宰相閣下がクシャミをすると、国民が風邪をひく』
とは、ウィリアムの有能さを揶揄したものだ。実際、ウィリアムが何もしないと、政治や経済が滞る。
聞けば、ウィリアムはアンジェリカが居る間ーーつまり1週間ーーはこのクランドン伯爵領にいるとのこと。王都は大丈夫なのだろうか?
「大丈夫だよ、ソーンリー君。私がいないくらいでどうにかなる王宮なら、無くなった方が良いよ」
「……問題発言では?宰相」
「おや、どの辺が問題かな?殿下」
しれっと言い放つウィリアム。この男が王宮でやりたい放題なのは、容易に想像がつく。だが、それでもこの男に頼らねばならない。
ーーこの男こそが、王家の安泰を支えてくれるのだから。
「……まあ、良いでしょう。本題に入ります。全員着座しなさい」
命令、というよりは、父親が子ども等に言い聞かせるように言う。皆が大人しく座ったところで、ウィリアムはおもむろに話し始めた。
「さて、学生たちよ。三日後に、この街でバザーが開かれる。君たちには、このバザーに参加してもらいたい」
「……バザー、ですか?」
「そう。君たちは学生という本分を忘れてはいけない。折角だから、社会勉強をしたまえ」
「はあ」
気のない返事は、アンジェリカだった。それを無視して、ウィリアムは続ける。
「売り物を決めて、店を出す。バザーの売り上げが一番良かった者に、私から褒美をだそう」
「えっ!」
「……褒美?」
驚いて声を上げたのは、エルドレッド。胡散臭げに褒美の指摘をしたのは、アンジェリカ。アンジェリカは、どこまで行っても、父親の表を信じられない。
「褒美は何でも良い。物理的なものから願いまで。何でも聞いてあげよう」
「ーー何でも」
ゴクリと喉をならすエルドレッドとリオン。呆れたようにウィリアムを見つめるのは、アンジェリカとアレクサンドルだった。
「ーー宰相。褒美は聞くだけなのかい?」
「これはこれは。第1王子はご成長あそばした!私の言葉尻を捉えるなんて!」
ウィリアムは大仰に褒めーーいや、小馬鹿にする。アレクサンドルは、割と長い付き合いだから、この男の胡散臭さをよぅく知っていた。
「私が“聞く”というのは、存外凄いことなのだがな。ーーまあ、良いでしょう。なるべく、願いは叶えますよ。なるべくね」
褒美はともかく、三日後のバザーへは参加が決定している。ウィリアムが話したことは決定事項であり、彼らに選択の余地など与えてはいない。
「各ブースは既に手続き済だ。君たちは、これから渡す元手をもとに、売り物を決め、売り上げなさい」
もはや、「はい」としか言えない状況であった。
ウィリアムが退室した後、5人はそのまま残って話し合う。
「まとめよう。宰相が言っていたことは、こうだ。
1:元手は100シリングとする
2:売り物は制限しない(何でも良い)
3:ジーヴスやセバスチャンなど、使用人の手を借りない
4:あまった元手は、売り上げに足す
5:元手は返さなくてよい
6:売り上げは己の総取り
ーー以上、バザーの最終売り上げが一番多かった者が、宰相と話す権利を得る」
「……私が一番不利な気が致しますわ……」
親から、褒美。くれる人ではないし、欲しいアンジェリカでもない。
「100シリングなんて…!手にしたことがありません…!」
カタカタと震え出すリリアン。日雇いの仕事が大体1ペニーの相場だと考えると、その1000日分の給料に等しい。
「うーん、皆、何を売るの?」
「それによっては、材料を調達しなくてはいけませんわね」
「それでは、取りあえず荷解きしたら街に行きますか?」
皆リオンの意見に賛成して、各自与えられた部屋へ向かった。
4頭立ての豪奢な馬車に揺られながら、街へ向かう。馭者は、なんとジーヴスだ。
「ところで、売り物を決めた?」
エルドレッドが無邪気に聞く。今日も今日とて、アンジェリカの隣を陣取っていた。
「私はもちろん秘密だよ。当日を楽しみにしてくれたまえ」
「わー、やな男」
「そういうエルドレッド様は?」
「僕?僕は武術大会にするつもり。参加費で儲けようかな、と」
「……流石は、ソーンリー家ですね」
腕に絶対の自信を持つがゆえの、行動である。
「リオン君は?」
「俺は、手持ちの鉱石を磨いて、アクセサリーを造るつもりです」
「まあ!鉱石!」
素敵ですわね、後で見せてくださいまし、と瞳を輝かせてお願いするアンジェリカ。照れながらリオンは承諾する。
「アンジェリカ嬢は?」
「私は、パンを作りますわ」
「パン?食べ物の?」
「ええ。食べ物の」
皆がポカンと口をあける。公爵令嬢が、まさかの『パン屋』。
「リリアン嬢は、いかがかしら?」
「私は……特技がないから……街に行って考えます」
「そうだね。まずは街へ行こう」
アレクサンドルがにこやかに言い、一同が頷いた。街へは、馬車で30分程の処にある。
街へ行ったら、まずは腹ごしらえしよう、というエルドレッドの意見に、全員が賛成した。