第39話
王家の人間とのファーストダンスは、誰が選ばれるのか。
会場の貴族の関心は、そこに集中していた。
むやみに見目が麗しいわりに、婚約者も定めないものだから、世の乙女たちが期待してしまうのも、無理からぬことだった。
もちろん、王子たちはファーストダンスの相手に、自分の意思を反映させることは出来ない。総て、王が決める。だから、貴族はこぞって王に媚びを売る。
さて、今宵王のお眼鏡に叶った幸運な令嬢は、どなただろう?
「アーサー、お前は今宵シャンクリー侯爵令嬢の相手を」
「畏まりました」
「アレクサンドル、お前はハドルストン侯爵令嬢の相手だ」
「……御意」
ハドルストン!まさか、それほど私に執着していたとは!
アレクサンドルは意外に思った。そして大変面倒なことになった、とも。
「アルフレッド、お前はマクレーン伯爵令嬢だ」
「はーい」
王子たちは、表面上感情を出さず、それぞれの役割を果たすため、ダンスホールに向かう。
三王子の中で一番気乗りしないのは、アレクサンドルだった。
ハドルストン侯爵令嬢と、どうこうするつもりなど一切無いから、気が重い。
ーーという私の感情を、正確に見抜いての人選だ
アルフレッドではないが、本当に性格が悪い。底意地が悪くて非道な仕打ちだ。
そして、嫌なことを『聞く聲』した。
『お前にソーンヒル公爵令嬢が与えられることはない』
……何故だろう。宰相閣下に嫌われたのだろうか……
「殿下?」
「ああ、失礼した、ハドルストン嬢」
「……もし、お悩みごとがありましたら、私にお話し下さいませ」
「ありがとう。優しいな、貴女は」
「いえ…。少しでも殿下のお力になれれば、これほど嬉しいことはありません」
頰を染めて微笑むジョアンナ。その言葉は、確かに彼女の本音だった。
彼女なら、そんなことは言わない。とかく怠惰な女性だから。
ちら、と前方を眺める。アレクサンドルの目に飛び込んだのは、女神と踊るエルドレッドだった。
ーーああ……
彼女の手を取っているのが、何故私ではないのか。歯がゆい。ソーンヒル公爵令嬢のファーストダンスを勤めるのは、王族である私が相応しい!
アレクサンドルの瞳が怒りに燃える。だがそれをおくびにも出さずに、ジョアンナの相手を勤めた。
さて、苦痛に歪むアレクサンドルとは反対に、天国にいるのはエルドレッドだった。
地上の女神とのファーストダンスを独り占めできる。その喜びは、言葉で言い表せない。
「アンジェリカちゃん、ダンスも上手だね」
「貴族の嗜みですわ。ソーンリー様こそ、流石ですわね」
互いに笑みを交わして踊り合う。息の合ったダンスに、周囲からため息が漏れた。
エルドレッドはアンジェリカの馨しい匂いに、酩酊状態だった。
おまけに握った手の温かさ、腰の細さ、胸の柔らかさに昇天寸前である。
「エスコートの相手が気になったけど、宰相閣下だったんだね」
「セバスの差し金ですわ」
「ああ、そう言うことか…」
これは、セバスチャンの宣戦布告だ。「お前たちにアンジェリカはやらない」という意思表明だ。
ーー恋敵が多いな
それほど、アンジェリカは魅力的だということ。そして僕も諦める気はさらさら無い。
ーーアンジェリカ、僕は……
君の不器用に微笑む顔が大好きだよ。
君の優しい怠惰な性格が大好きだよ。
君の被った哀れな仮面ごと大好きだよ。
だから、どうか……
「僕を選んで、アンジェリカ。ドロドロに甘やかしてあげる」
「遠慮しておきますわ」
「ふふ、着替えから食事まで、僕が面倒を見るよ?」
「……ソーンリー様、それは介護ですわ」
「いいね、年を取っても愛するよ」
そう言う事ではありませんわ、と苦笑するアンジェリカの額に、エルドレッドはキスを落とす。さらに腰を支えていた手を引き寄せて、躰を密着させた。
「ああ、アンジェリカちゃんは柔らかいね…」
「んもう!くっつき過ぎですわ!」
躰をよじって離そうともがくアンジェリカ。だが、エルドレッドの力強い腕はビクともしない。
むしろ、離れようとうごめくアンジェリカも、エルドレッドには大層刺激になる。下半身が熱い。
「……ね、アンジェリカちゃん。この曲が終わったら、少し休まない?」
「……遠慮しておきますわ」
「ふふ、そう言わず」
まずい。エルドレッドのことは嫌いではないが、既成事実に持ち込まれるのは避けたい。
だが、貴族まみれのダンスホールでは、セバスチャンの助けも得られない。
もうすぐ曲が終わる。
さてどうするか…とアンジェリカが逃れる術を探ると、美しいテノール声がかけられた。
「交代だ、エル。もう3曲踊っただろう?」
「……アレク……」
舞踏会には、それなりのルールがあった。その一つが、同じ人と4曲以上踊らない、ということ。
チッと珍しく悪態をつきながら、エルドレッドは引いた。「またね」と言って、アンジェリカへの頰にキスを忘れずに。
「では、アンジェリカ嬢」
「ええ、喜んで」
本来、王子と踊ることなど何としても避けたかったが、今日は心底安堵した。
ヒラヒラと妖精のように踊りながら、アンジェリカが話しかける。
「助かりましたわ、殿下」
「……?エルドレッドが、何かしたのか?」
「そう大事ではありません」
「!」
『休憩室に連れ込まれそうになっただけですわ』
「……大事だよ」
「ふふ、やはり便利ですわね」
クスクスと笑うアンジェリカを見ていると、アレクサンドルの胸は高鳴りを覚える。
ーー決して、認めたくない感情だ。
「君のお役に立てて良かった」
「ええ、ありがとう存じます」
触れる指が温かい。支える腰が嫋やか。当たる胸が柔らかい。
ーーこれは、エルドレッドが理性をなくしてもおかしくない
全く、この女神は美しいだけでなく、スタイルまで完璧だ。この滑らかな肌に触れたい、と焼き切れる男のなんと多いことか!
「殿下にお願いがございます」
「おや、珍しいね。良いよ、どんなこと?」
「次は、リリアン嬢とダンスをなさって欲しいのです」
「……私の弟と踊っているけれど?」
「アルフレッド殿下とのダンス後、リリアン嬢をこちらに返して頂ければ」
『ボロが出る前に』
ーーそうか。彼女は平民だから…
本来であれば、この舞踏会に参加できる身分ではない。だが、『聖女』である以上、いずれ王家が容認し後ろ盾に入らねばならない。
そう思って、彼女をアンジェリカ嬢に託した。だから、この要請には応えねばならなかった。
「承知した」
「重ね重ね、助かりますわ」
アンジェリカはフワリと優しい笑顔をアレクサンドルに向ける。
ーー初めて見た…!
心を開いた、美しい笑顔。
『ありがとうございます、殿下』
アンジェリカの気持ちのこもった聲が聞こえる。
ああ!男とは本当に馬鹿な生き物だ!
女性の笑顔一つで、何でもやってあげたい気になるのだから!
舞い上がるアレクサンドルに冷えた声をかけたのは、リオンだった。
「殿下、3曲終わりました」
「……もう?」
「交代です」
有無を言わさず、アンジェリカの手を取るリオン。その熱を感じたのか、リオンははにかんだ笑顔をアンジェリカに向けた。
「どうぞ、よろしくお願い致します、レディ」
とスマートに手の甲へのキスを贈る。その流れるような所作に苦笑し、アレクサンドルはアンジェリカの傍を離れた。
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アンジェリカがエルドレッドに連れ去られた後、リリアンは一人所在なく立っていた。
ヘタに声をかけられるのも、さりとて人目に付かないのも、徹底的に避けねばならない。
ーーソーンヒル様にご迷惑をかけてはダメ!絶対!
リリアンはそう強く誓って、人目につきにくく、無人ではない場所を探し始めた。
「美しいお嬢さん、どうか私と1曲…」
青年に声をかけられるのにも気付かず、リリアンはスタスタと徘徊する。「そこの、ストロベリーブロンドのお嬢さん!」と青年が声を張り上げると、ようやくリリアンは立ち止まった。
「え……私、ですか?」
「そうです、可憐なレディ。是非、私と1曲」
「……」
え?どうするのが正解?
貴族でないリリアンには、貴族の作法がよく分からない。アンジェリカに付け焼き刃で教わったが、アンジェリカに迷惑がかからない選択はどれなんだろう?
1、青年の手を取る
2、辞退してこの場を離れる
3、逃げる(または無視する)
わ、分からない!
「ゴメンね、クレッグ伯爵子息。彼女は僕と踊るんだ」
「あ、貴方は…」
振り向くと、そこには第3王子。「し、失礼しましたー!」と青年は走り去った。
「では、リリアン嬢。お手をどうぞ」
「あ……」
差し出された手を、そのまま取ってしまった。これが正解かどうかは分からないが……
ーー王子だもの。断れないヤツよね…
やっぱりよく分からないリリアンだった。
小柄な二人がホールで踊っている姿は、大層微笑ましかった。王様は、意外な面持ちで第3王子を眺めている。
「案外、ダンス上手だね」
「はあ、ありがとうございます」
「一応、褒めているんだよ?」
「はあ、ありがとうございます」
微妙な会話の二人。アルフレッドは可笑しそうにしていたが、リリアンは緊張もさることながら、こちらを小馬鹿にしたようなアルフレッドの表情が、好きではなかった。
「僕に媚びなくていいの?僕、第3王子だけど」
「はあ、知っていますけど」
「……王家に、気に入られなくてもいいの?」
「はあ、そんな必要性を感じませんが…」
正直過ぎる感想を、リリアンはもらした。あれ?不正解だったかな?と少しだけ動揺する。
「ふうん、君、面白いね」
「いえ、全く、これっぽっちも、面白い人物ではありません」
探るようなアルフレッドの瞳に、リリアンは背中が寒くなる。
アンジェリカが王家を苦手にしている理由が、リリアンにもよぅく分かった。
「アル、時間だよ」
「あれ?アレク兄さん?女神と踊っていたんじゃないの?」
「……3曲が終わったから、交代だよ」
そっか、じゃあまたね、リリアン嬢!と笑顔で去って行くアルフレッドを見て、リリアンは思った。
ーー『また』が無いといい
と。




