第36話
美しい庭を散歩しながら、妙齢の女性たちは優雅な時を過ごす
ーーわけではなかった。
リリアンのデビューに合わせ、3日間で徹底的にマナーやダンスを教え込むアンジェリカ。
とはいえ、学園で多少は学んだこと、そして生来の頭脳の良さと運動神経の良さから、リリアンはすぐに作法を身につけていった。
ーー優秀な生徒だこと
アンジェリカは満足げに頷く。他に必要なのは、ドレスと装飾品である。装飾品はともかく、ドレスは流石にサイズが合わない。
公爵家御用達の仕立屋を呼び、リリアンのドレスを2日で仕立てるよう、依頼する。既製品を少し手直しすることで、間に合うよう互いに妥協した。
リリアンは初めて見る美しいドレスに、ただただ驚愕した。「どれがお好みかしら?」と問われても、お好みなんて分からない。
実は、アンジェリカも好みなどないし、センスもない。はっきり言ってどれでもいいしどうでもいい、という性格だから、被服はほとんどセバスチャンが選んでいる。
というわけで、セバスチャンを呼んだ。
「リリアン嬢に似合うドレスを、選んで欲しいの」
「お嬢様のドレスではなく?」
「ええ」
「……大変不本意です」
「では、命令よ、セバス」
苦い顔して、渋々セバスチャンは取りかかる。「これとこれとこれ」と3着選んで、並べてみせた。
「流石セバスね。確かにこの3着は、リリアン嬢にピッタリですわ」
「あ、ありがとうございます…」
「本来ならば、私はお嬢様以外のためになど、指の一本も動かしません」
お忘れなきよう、とセバスチャンが釘をさすと、リリアンがポカンと呆ける。別にセバスチャンさんに、何かを期待なんてしてないけど。
ーー自意識過剰だわ、この執事
でも、真っ黒な闇の色の瞳に、見覚えがある気がする……。
「さ、リリアン嬢。どれになさいます?」
「え、っと…」
ていうか、頂いて大丈夫なのかしら?!後から莫大な借金を背負わされたとかいう詐欺ではないのかしら?!
一抹の不安が、リリアンを襲う。
「……お嬢様は無頓着ですので、貴女に何かを背負わせることはしませんよ」
「……随分な仰りようね、セバス」
ため息をついてアンジェリカはセバスチャンを小突く。セバスチャンは嬉しそうだ。
「これなんか、愛らしいですわ」
「あ、こ、これにします!」
アンジェリカが選んだのは、ストロベリーブロンドに似合うコーラルオレンジ色のドレスだった。胸元は開きが少ないが、流行りのデザインだ。デビュタントにピッタリである。
「お姫様みたいです」とリリアンが呟くと、「素敵なお姫様になりましょうね」と優しく答えるアンジェリカであった。
その日の夜のこと。
アンジェリカは他人にも自分にも無頓着であるから、今日来た仕立屋には、リリアンのドレスしか注文しなかった。
「お嬢様……。貴女はドレスを如何なさるのです?」
「その辺の、適当なドレスを選んでおいて頂戴、セバス」
「……不肖このセバス、お嬢様がそう仰ると思い、昨年より準備しておりました!」
「去年から?!」
なにそれ怖い!アンジェリカの肩が震える。
「お嬢様のデビューは、国中で1番美しくあるべきです!どうです、見て下さい!」
と、セバスチャンが披露したのは、パール色の光沢感があるドレスだった。胸元は広めに開き、背中は美しいラインが見えるようになっている。非常に蠱惑的で魅力的な作りであり、デザインも流行りに流れすぎないシンプルかつ凝った意匠であった。
一言でいえば、セバスチャンの妄執が体現されたドレスである。
「………」
「間違いなく、お嬢様が1番可憐で玲瓏な女性となるでしょう!」
「……………………」
何も言えない。
アンジェリカは呆れ果てた。
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「やあ、おはよう、アンジェリカ」
「……お父様……?」
デビューの日の朝、何故か父が食堂で朝食をとっていた。あらぬ存在に、アンジェリカは己の目を疑った。
「何をしにいらっしゃったの?」
「もちろん、お前のエスコートのためだよ」
「……まさか」
父親に、そんな親心があるとは思えない。何の企みがあって、伯爵領にいるのか。
真正面から切り出すと、「己の領地にいて、何が悪い」と話をそらされるだろう。
ーー聖女のこと?王家のこと?
どれも正解でどれも不正解なのだろう。アンジェリカは、ウィリアムの思惑を測りかねた。
そんな冷たい空気の傍で、リリアンはハラハラしながら、二人を交互に見つめる。ウィリアムは人の良い(ように見える)笑顔を、リリアンに向けた。
「おはよう。貴女はアンジェリカのご学友ですかな?」
「は、はい。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。リリアンと申します」
緊張から、勢いよくお辞儀をするリリアン。アンジェリカは「80点」と呟いた。
「これはご丁寧に。どうぞごゆっくりなさって下さい」
「あ、ありがとうございます」
では私は失礼するよ、と言って、ウィリアムはジーヴスを伴い食堂を後にした。
はぁ……とそれぞれにため息を漏らす。
「ソーンヒル様のお父様は、とてもご立派な方なのですね。威圧されてしまいました」
「……本質は怖い方よ。リリアン嬢もお気をつけて」
「は、はい」
実子に「怖い」と言われるほど、厳格に育てたのだろう。貴族は大変だな、とリリアンはウィリアムをさほど意識はしなかった。
一方、久々の父との邂逅にゲンナリしたアンジェリカは、セバスチャンを非難する。
「……どういうつもり?セバス」
「いえいえ、公爵閣下の親心ですよ」
「言い切りますけれど、それは無いですわ」
「……そこまで希薄な関係でもないと思いますよ?お嬢様」
セバスチャンの意図は、おそらくアンジェリカには正確に伝わっているだろう。
その上での、非難である。
ーーエスコートを、あの3人にさせるくらいなら
とはいえ、アンジェリカと公爵閣下の仲を考えると、最善の選択ではなかった。でもまあ、ここらで少しは親子仲良くしておいた方がいいだろう。
「アンジェリカちゃ~ん♪」
「……やっぱり……」
あ、と思わず呟いたセバスチャンだった。
「久しぶりね~。元気だった?」
「……おかげさまで。お母様もご機嫌麗しゅう存じます」
「ウィルがね~。しばらく公務を休んで、一緒に伯爵領にいるのよ~。嬉しいわね、アンジェリカちゃん♪」
「……いえ、別に」
最後の呟きは、「またね、アンジェリカちゃん~」という母親の声に消された。全く、セバスったら!
「……忘れていましたわね……!」
「あ、あはは……そうでした」
「公爵閣下在るところ、恋愛脳100%有り」と世間では言われている。
それほど、父にベッタリな母であった。
仲良しの御夫婦で素敵ですね、とあさってな方角で、リリアンに褒められた。




