第35話
照りつける太陽の光が、とても眩しい季節。
前期最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。これにて、生徒は約3週間の休みに入る。
いつもより賑やかな廊下を、縫うようにアンジェリカは歩く。隣にはストロベリーブロンドが美しいリリアンがいた。
「ではリリアン嬢、支度が終わりましたら校門へお越し下さいまし」
「は、はい。お世話になります」
顔を赤らめて、リリアンは返事をする。そのオーラは、見事なまでに桃色だ。
ーー懐かれましたわね…
とはいえ、可愛らしい仔猫だ。悪い気はしない。小走りになるリリアンを見送って、アンジェリカは自室に向かった。
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話し合いの結果、最初はアンジェリカの避暑地で過ごすことにした。リリアンに配慮した結果である。
おそらくは手回り品をほとんど持たないリリアンのために、アンジェリカが手配することにした。
「ますます惚れちゃうな」というエルドレッドの発言は、綺麗に無視された。
そしてもう一つ、事情があった。
「舞踏会?」
「そう。王家が主催だ。君のデビューに相応しいとは思わないかい?」
軽やかにアレクサンドルが告げた。舞踏会なぞ出たくない。まして王家に関わるなど、敬遠したいものの筆頭である。
「喜んで君をエスコートしよう」
「は?アレク、寝言は寝て言ってね。もちろん、僕がエスコートするからね、アンジェリカちゃん」
「え…そ、それなら俺だって…」
美麗な青年たちから誘われたアンジェリカだが、全く乗り気になれない。
「い…」
「いきたくない、なんて言わないでね。リリアン嬢はこの機会を逃したら、きっとデビュー出来ないよ?」
「……私とリリアン嬢に、デビューは必要かしら?」
「アンジェリカちゃん……。流石に君のデビューは必要だよ……」
エルドレッドは項垂れたが、アンジェリカは本気だった。己にデビューなど、必要だと思えない。
ーーというワケにはいかないけれど。
「舞踏会が終わったら、君の避暑地にお邪魔させてもらおう」
「エスコートは、僕に任せてね」
「お、俺だって…!」
「……はぁ……」
最近は、とかくなし崩しに決まってしまう。そう苦く思うアンジェリカであった。
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アンジェリカは避暑地に、王都に程近い場所を選んだ。王都から馬車で1時間ほど揺られると辿り着くその場所は、都会の喧騒から逃れ、のどかな田園風景が広がるところであった。
「風がとても爽やかですね!」
「ええ」
リリアンは興奮気味に窓の外を眺めて言った。リリアンは、孤児の頃から王都を出たことがない。初めての旅行である。
車窓を見ては興奮し、アンジェリカと話しては興奮する、忙しいリリアンだった。
馬車で揺られること1時間。外門を見たアンジェリカが、リリアンに声をかけた。
「さあ、私の避暑地に着きましたわ」
「………え………?」
確かに立派な外門(おまけに護衛の兵士がたっていた)を見たが、まだまだ御屋敷は見えない。広い……いや、広すぎる庭があるだけである。
美しい花々や、温室、湖と見間違うばかりの池(ひょっとすると湖なのかもしれない)、点在する美しい東屋、広大な農園(農園!?)、馬小屋……。
ーーもしかして、学園よりも広いのでは?!
開いた口がふさがらないということを、リリアンは人生初めて体験した。
馬車で揺られること20分。ようやく大きな……大きな御屋敷が見えてきた。
ーーお城!?
リリアンが家政婦をしていた伯爵家よりも、数倍、いや数十倍は立派である。
ーー住む世界が違いすぎる……!
私はなんでここにいるのかしら。リリアンは完全に大混乱状態だった。
「姫様、お帰りなさいませ」
「ジーヴス!」
馬車を降りると、待っていたのは初老の紳士。アンジェリカが珍しく駆け寄って抱きついた。
「姫様、大人になられましたね」
「もう3年も会っていなかったものね。ジーヴスは白髪が増えたわ」
「これはこれは。姫様にお会い出来る日を、一日千秋のようにお待ちしていたからですよ」
「ありがとう、ジーヴス」
満面の笑みが、アンジェリカからこぼれた。「尊い…!」と遠巻きでみていたリリアンが発憤する。
セバスチャンも苦笑する。アンジェリカを笑顔全開に出来るのは、地上でただ一人、この男だけだった。
「ジーヴス、紹介しますわ。こちら、学友のリリアン嬢です」
「は、初めまして。リリアンと申します」
「ご丁寧に痛み入ります。私は当家の家令のジーヴスと申します」
背筋をピンと張り、ジーヴスは優雅にお辞儀をした。経験の無い挨拶に、リリアンは緊張を高める。
ていうか、目の前の紳士がハチャメチャに格好良い。
ーー流石、ソーンヒル様です!
何もかも美麗。それがソーンヒル様なのだ。
「では、ご令嬢方。御屋敷にご案内致します」
腰に響く美声で、ジーヴスは二人を先導した。
女性たちを案内し終わると、ジーヴスはセバスチャンを呼んだ。
「久しいな」
「アンタも。まだまだ健在のようだね」
「嘴がまだ青いな、セバス」
先ほどとはうって変わったような態度をするジーヴス。セバスチャンも口だけは余裕ぶっているが、その実、ジーヴスには頭が上がらない。
「どれ、少しは強くなったか」
「過ぎる日々は、俺にとっては成長。アンタにとっては棺桶へのカウントダウンだ」
「口だけは威勢がいいな」
言うが早いか、裏拳を飛ばすジーヴス。ギリギリでかわして、セバスチャンは距離をとった。
仕込みのナイフで斬りつけるも、ジーヴスは余裕で避けてセバスチャンの腕をとる。
すぐさま腕を捻りジーヴスから逃れ、同時に蹴りを入れる。ジーヴスはその足を指一本で跳ねのけた。
「……バケモノだな、相変わらず」
「いや、私も歳をとったよ。姫様があれほど美しくおなりになった」
「増えたのは、シワと白髪だけだな」
フッと微笑み、着座を促すジーヴス。セバスチャンは大人しくそれに従った。
「姫様の学園生活はどうか?」
「案外、愉しそうにしているよ」
「そうか、良かった…」
アンジェリカは、大人に囲まれて過ごし、大人でいることを要求された。ジーヴスの目には、抑圧された子どもに映った。
ーー3年前、本宅を出てこの伯爵領に移るため、アンジェリカの傍を離れた。アンジェリカにとって、ジーヴスは唯一子どもでいられる場所だったから、ジーヴスはずっと気懸かりだった。
ーーだが、3年振りの姫様は、女神のように麗しい
サナギが蝶にーーそれも至極美しくーー変化したのを、ジーヴスはこの目で見たのだ。
自分があと20年若かったら、何としても姫様を娶っただろう。
ーーこれは、王家が騒ぐのも無理はない
50年ほど生きているが、アンジェリカより美しい女性にはお目にかかったことがない。
ヘタなことにならぬよう、セバスチャンに釘を差した。
「姫様を、その命かけて護れ」
「言われなくても」
「いいか、貴様からも護るんだぞ」
「それは無理な相談だ。俺が欲しいのは、お嬢様だけだから」
「……手を出したら、殺す」
「合意なら良いだろう?」
セバスチャンにはセバスチャンなりの矜持がある。アンジェリカを最終的には手に入れるが、汚い手を使ったり、強要したりするつもりは一切ない。
ーーお嬢様から、俺を望ませる
セバスチャンは、ただそのために努力している。彼女のためだけに、生きているのだ。
「……ところで、ストロベリーブロンドの愛らしいお嬢さんはどなたかな?」
「ん?公爵閣下から、聞いていないのか?」
「ああ、彼女が」
そこから先は、まだトップシークレットだ。だが、ジーヴスも話は聞いているようなので、余計な説明はいらなかった。
「そういや確認だが、三日後の王家主催の舞踏会って、お嬢様は招待されてるか?」
「もちろん」
「……だよな……」
面倒だが、動くか。
セバスチャンは心底嫌そうにため息をついた。