第34話
陽が少し傾き、徐々に夕方に近づく頃。
アンジェリカはアレクサンドルにエスコートされ、東屋に立ち寄る。
腰をかけると、二人して安堵のため息を大きくはいた。
「……殿下」
「……分かってる。君には迷惑をかけた。だが毎日果てしなく声をかけられて、いい加減疲れてきたんだよ」
アレクサンドルはもう一度大きく息をはいた。アンジェリカが「お疲れ様です」と声をかけると、「ありがとう」と返された。
「そういえば、アンジェリカ嬢。私に話があるのでは?」
「ええ、そうです。夏休みの事ですけれど……」
「アンジェリカちゃんー!」
大きな声で名前を呼ばれ、思わず顔を上げる。すると、目の前にエルドレッドが現れ、すでに抱きつかれていた。
「無事?アレクサンドルに何もされてない?」
「……おい」
「無事ですけれど……一体何事ですの?」
突如抱きつかれ、驚く間もなく妙なことを言われる。おまけに、殿下との会話をぶった切られた。エルドレッドはどうしたというのか。
「さっき、ハドルストン嬢とぶつかったんだよ。そしたら、彼女、『ソーンヒル様と殿下が…こ、恋人関係に…!』とか言うから!」
「……彼女がそう言ったから、どうしたんだい?エル」
「焦って、彼女をリオンに突き飛ばして、君たちを探しに来たってわけ!間に合って良かった~!」
もう一度きゅっと抱きしめられる。すると、どこからか現れたセバスチャンに引き剥がされた。
セバスチャンはそのまま茶菓子を給仕する。
「エル……。君、ガスコイン君に押しつけて来たのか、ハドルストン嬢を」
「何だよ。元はと言えば、アレクが悪いんじゃないか!もっと上手くあしらいなよ!」
怒りながらも、ちゃっかりアンジェリカの隣を確保するエルドレッド。その見事な手腕に、セバスチャンが苦笑する。
はあ、とアレクサンドルが三度目の大きなため息をつくと、リオンの非難する声が近くなった。
「エルドレッド様!酷いじゃないですかー!」
「あ、もう追いついたの?」
「もちろんですよ。俺を犠牲にしてくれて…!」
全く、卑怯ですよ、とブツブツ文句を言いながら、リオンも空いてる椅子に腰掛けた。
「もうちょっと時間稼ぎしてくれても良いのに。早すぎない?」
「生憎、俺が気に入らないみたいで。エルドレッド様が俺に押し付けた後、あのご令嬢は舌打ちして『お前じゃない』と言って、何処へ去っていきましたよ」
「………」
元気そうだね、と思わずアンジェリカとアレクサンドルは顔を見合わす。
アレクサンドルが笑うと、アンジェリカも微笑した。
ーーえっ!?
初めて……私を見てアンジェリカ嬢が笑った!警戒を少しは解いてくれたようだ。
嬉しい、という感情かな、これは。何だか熱い。
「……ちょっと、二人で世界作らないでよ」
「そう言えば、アンジェリカ嬢は何故ここに?」
「……ハドルストン様のいざこざに、私も巻き込まれたのですわ」
「そ、そう言えば、アンジェリカ嬢は夏休みの話があるのでは?」
やや強引にアレクサンドルは話を変えた。じと…と冷たい視線を浴びせながら、アンジェリカは言う。
「……そうです。夏休みの事ですけれど、夏休み中はリリアン嬢をどうなさいますの?」
「「「あ」」」
男三人は、リリアンのことをそっちのけであった。聖女なのに。
「彼女、多分天涯孤独の身ですから、寮に残らざるを得ないと思うのです。そうしたら、どなたが護衛することになりますの?」
「うん、そうだね。正直思い至らなかったけれど、アンジェリカ嬢の言うとおりだ。彼女には護衛が必要だね」
「うちの騎士を貸そうか?」
「私の“影”でも良いのだが……。この際だ、別荘に招待しようか」
「ええ~」
と不平を鳴らしたのは、エルドレッドだ。アンジェリカとの仲を邪魔されたくない、という一心で不満を漏らす。
「僕がリリアン嬢に騎士をつけるよ」
「いや、出来ればごく自然な形で、彼女を父に紹介したい。アンジェリカ嬢はどうかな?」
「よろしいですわ。リリアン嬢をご招待なさっても」
「アンジェリカちゃんまで……」
いつも行き場が無さそうな様子の、リリアン嬢。アンジェリカには彼女の姿が、まるで捨て猫のように思える。
ーー招待するのは、やぶさかではないわ
それに、父にも彼女を見せたい。おそらく、宰相閣下は『聖女』の存在を承知しているはずだ。
「分かった。リリアン嬢も呼ぼう」
「では、全員で5人ですね。レクサム領主に伝えておきます」
リオンの言葉に、全員が頷いた。
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木蔭でランチを取りながら、アンジェリカはリリアンに夏休みのことを話した。
「で、でも……。私なんかが貴族様の別荘にお邪魔しては……ご迷惑では……」
「いつもの5人しかいないから、安心してくださいまし」
「正直、助かりますけれど……。お言葉に甘えてしまっても、よろしいのでしょうか……?」
「もちろんですわ。殿下も心待ちにしておりますから」
「え……」
それはちょっと嫌だな、と不敬なことをリリアンは思った。一部には大変不人気の、アレクサンドルである。
ーーこうして、ソーンヒル様とランチをご一緒しているだけでも……ご迷惑をおかけしているのに……
リリアンは、自分が何を言われようと諦めているが、リリアンと一緒にいることで、最近はアンジェリカが非難されている。
『あんな平民と一緒に行動するなんて、頭がおかしい』と。
ーー私って、ソーンヒル様を貶めるだけの存在なんだわ……
優しくしてもらって、舞い上がってしまった。私は孤児で平民で、ソーンヒル様の何一つお役に立てない。
「ご一緒して下さると、嬉しいわ」
「えっ!」
「男性ばかりで、困っておりますのよ。リリアン嬢がご一緒して下さるなら、私、とても助かりますわ」
「……ソーンヒル様……」
やっぱりソーンヒル様は優しい。私が承諾し易いように話してくださるのだもの。
ーーとモダモダ悩んでいると、柔らかく美しい手が、リリアンの手を包んだ。
「お願いしますわ」
ーー小首をかしげて、お願いされました!
尊い!尊くて死ぬ!!
リリアン嬢の脳内はお祭り騒ぎだ。
「で、では、図々しいですが、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
ふんわりと微笑むアンジェリカ。「尊い…!」と、涙目で喜ぶリリアンであった。