第32話
よく見ると、ジョアンナ・ハドルストンは同じクラスだった、とアンジェリカは思った。
よく発言し、よく活動する。積極的で親身なその姿は、誰の目にも好意的に映る。彼女の取り巻きも多い。
ーー優秀な方ですのね
アンジェリカはそう評価したが、彼女に微塵も興味を持てない。その辺の令嬢とそう変わらない様子に、正直なところ他の令嬢と区別がつかなかった。
ーー生徒会なんて、やりたい方がやれば良いのに
怠惰なアンジェリカは、恐らくジョアンナに嫌われることだろう。敵を作るために生徒会にいるわけではないのに。
チラリと横を見ると、ストロベリーブロンドが目に入った。そういえば彼女は、夏休みをどう過ごすのだろうか。
彼女自身は、己の存在が極めて稀有な『聖女』であることを知らない。だから、自己防衛の意識は持っていないだろう。おまけに平民出身だから護衛も侍官もおらず、とても不安定ーーいや危険な立場だった。
アレクサンドルは、彼女の立ち位置をどう考えているのか。
現況からみると、付かず離れず、といった線を守りたいようだ。王家としては、王族に組み入れた方が手っ取り早いだろうに。
ーー王子は3人。誰かが彼女と婚姻してしまえば良い
アンジェリカはそう思う。面倒ごとをこちらに持ち込まないで欲しい。アレクサンドルに興味がないならば、第2、第3王子で良いではないか。
彼女が倹しい生活から脱出し、命の危険も脅かされることがなくなるのは、アンジェリカにとっても嬉しい。
ーーと感じるのは、アンジェリカが周囲の人々に振り回されている証左である。
ーー色々面倒なことになったわね…
正義感とか責任感とか、縁遠い存在でありたいのに、知らないうちに巻き込まれているアンジェリカであった。
さて、正義感とか責任感とかが大好物のジョアンナは、憧れの生徒会に入って絶好調であった。
己の研鑽もさることながら、嫁ぎ先探しにも余念が無い。
いわゆるフツーのご令嬢であるが、自己研鑽に力を入れる分、マシな女性だというのが、アレクサンドルの評価であった。
「会長、こちら資料を用意しました」
「ああ、ありがとう」
「この案件は、寄付金を増額することでよろしいでしょうか」
「そうだね、それでいいよ」
「会長、先ほどの件は……」
優秀で活動的。生徒会員としては、アンジェリカなどより遥かに貢献している。
ーー殿下に”出来る女“をアピールしなくては!
そして、婚約者に私を選んで欲しい。そのための努力は惜しまない。そして、従姉妹のような失敗はしない、と強く誓うジョアンナであった。
ふと眺めると、アンジェリカが相変わらず退屈そうにしていた。ジョアンナが声をかける。
「ソーンヒル様は、如何お考えになりまして?」
「……ハドルストン様のご意向でよろしいと存じますわ」
「まあ…。私なぞ、まだまだですので。出来ればご指導下さるとありがたいのですけれど」
「ご謙遜ですわ。ハドルストン様の方が、よほど優秀でいらっしゃいますわ」
「そんな…」
ジョアンナは目を見張った。アンジェリカは自分の能力を誇示しないばかりでなく、他者を認める度量もあるというのか。
ーーまさか、ソーンヒル様も殿下の妃になりたいのかしら…?
貞淑な女性を演じているように見える。そこに意図があるとするなら……やはり、王家に気に入られたいのだろう。
ーー殿下、お気をつけになって…!
精一杯の慈愛を込めて、ジョアンナはアレクサンドルを見つめた。アンジェリカに惹かれないよう、騙されないよう、注意を喚起した瞳で熱く、強く……。
ーーってハドルストン嬢の思惑通りの女性なら、もう少し嬉しいんだけど……
アレクサンドルはジョアンナの注意喚起を聞き取り、考えた。
ジョアンナはまだまだ考えが浅い。アンジェリカのあの態度は、本物なのだ。生徒会などどうでも良いし、まして私なぞ、魔王扱いである。
ーー? 私は……ソーンヒル嬢に想われたいのか……?
少なくとも、警戒は解いて欲しいアレクサンドルであった。
++++++++++
陽が落ちて、自室に戻ったエルドレッドとアレクサンドルが語り合う。
「アレク、なんでハドルストン嬢を生徒会に入れたのさ!」
ウンザリした口調で、エルドレッドが詰問する。
「ソーントン家への牽制だよ」
「従姉妹を贔屓にして、内輪もめを誘うの?」
「それを含めた色々さ」
「君が決めたんだから、君が責任とってよね!」
「うん?」
「僕にまでアプローチしてくるんだよ、彼女。僕、彼女の匂い好きじゃないから、鬱陶しくて」
「いつものことじゃあないか」
「何言ってるんだよ。君が引き入れたんだろ?君が誘惑して、僕にとばっちりが来ないようにしてくれよ」
はぁ~と大きなため息をついて、卓上にうっぷすエルドレッド。
ーー僕は本気でアンジェリカが好きなんだ。
だから邪魔しないでくれ
と本気でこちらを非難している。
「アンジェリカちゃんを婚約者に出来たらな~。もうこんな面倒ごとはなくなるのに……」
「……それ程、惚れたのか」
「メロメロだよ」
とエルドレッドが顔を桃色に染めて、幸せそうに呟く。
「彼女は、僕のマタタビだよ。匂いを嗅ぐ度、もう爆発しそうになる」
「……猫か?君は犬だろう?」
「……殴ってもいいかな?」
ギラリと睨んでも、アレクサンドルは平然としている。
それにしても、人当たりは良いが実は女嫌いなエルドレッドが、これほど女性に入れ込むとは。
アレクサンドルは、改めてアンジェリカを思う。
私を見て怯える変わった女性だ。
私を見て媚びない稀有な女性だ。
私を知って……嫌悪しない女性だ。
目を閉じ、アンジェリカの姿を思い浮かべる。いつだって、彼女は私と目を合わせない。目を合わせても、エメラルドの瞳は冷たいままだ。
そこで、アレクサンドルは気付く。彼女が私に微笑んだことがないことを。
ーー笑ってくれたら、どんなにか……
アレクサンドルのこの気持ちに、名前はまだない。だが。
「彼女は、王子妃の冠が似合いそうだな」
「!!」
何言ってんの!?ダメだよアレク!!というエルドレッドの怒声が遠く感じたアレクサンドルであった。