第31話
太陽の光がギラギラ照りつく夏が近づく。
聖アンドレア学園の制服が半袖になり、袖から見える二の腕が眩しい季節になった。
試験も終わり、生徒はホッと一息つく。本格的な夏が始まる頃、学園も3週間の夏休みとなる。誰も彼もが浮ついて、休み中の計画を立てていた。
さて、生徒会では、事件の犯人捜しが密やかに行われていたが、目立った進展はない。
だが、ちょっとした変化があった。
「ジョアンナ・ハドルストンです。どうぞよろしくお願い申し上げます」
しずしずと頭を下げる美しい女性は、ミリアム・ソーントンの従姉妹だった。
見事な金髪をしている。その姿をみて、エルドレッドが苦笑した。
ーーこの子が何をしたわけではないけれど
ジョアンナが生徒会室をうろついたせいで、アンジェリカがあらぬ疑惑をかけられた。エルドレッドの気分はあまり良くない。
彼女の匂いも、普通の令嬢と変わらない。打算的で、野心的で、肉欲的な匂いだった。
「皆、よろしく頼む」
にこやかにアレクサンドルが言い渡す。その姿をジョアンナはうっとりと眺め、己の立ち位置に深く満足した。
ーーやはり、殿下は素敵な方…
見目は美しく、手腕は高い。
ーーこの方の隣に相応しい女性でありたい
ジョアンナは改めて自分にそう誓う。意気高らかに、ジョアンナは生徒会の一員となった。
アレクサンドルは、『聞く聲』の能力により、ジョアンナの願望を正確に読み取っていた。
アレクサンドルにすり寄ることは、女性としてとても自然なことであり、権力者に阿ることは、人間として必要なことである。
ーーこれが普通の令嬢だろう。なのに、ソーンヒル嬢ときたら…
チラリとアンジェリカを見る。アンジェリカはこちらを一顧だにしない。
アンジェリカのことを考えると、ジョアンナの生徒会入りは望ましくないのだが、やむを得ない対処である。
ジョアンナは、大変精力的に活動した。中々便利な手駒である。
「殿下、こちらは如何ですか?」
「……うん、良いね。ではこれを採用しよう」
「ありがとう存じます!」
フェリクスとジョアンナが様々な提案をする中、エルドレッドとリオンはアンジェリカの両隣を陣取り、熱心に話しかけている。
「アンジェリカちゃん、夏休みはどうするの?」
「別荘で過ごす予定ですわ」
「あ、良いな。僕もお邪魔しても良い?」
「ちょっと、エルドレッド様!何図々しいこと言ってるんですか!」
いつの間にか名前で呼び合う仲となった男二人が、美しい花に群がる。
「……エル、この事案はどう?」
「あと寄付金の項目を足しといて」
「……了解した」
アンジェリカを口説いていても、議題の話は聞いている。エルドレッドのくせに、器用なまねを!アレクサンドルは怒るに怒れない。
「あ、アンジェリカ嬢、良かったら俺の避暑地にも来ませんか?」
「…リオン、抜け駆けなしだよ」
「いや、なり振り構っていられませんよ」
一体なぜ会議中で女性を口説くんだ、君らは!
私も混ぜろ!
「……ソーンヒル嬢はいかがかな?」
「異論ありませんわ」
「……ありがとう」
今日もアンジェリカは平常運転である。アンジェリカの発言を聞いて、ジョアンナがポカンとした表情になる。
ーーまあ、呆れたこと…
首席といっても、大したことありませんのね、とジョアンナはアンジェリカを評価した。
会議が終わり、ジョアンナはアンジェリカを見つめる。アンジェリカは、エルドレッドとリオンを両脇に置いて、二人をもてあそんでいるように見える。
ーーあんな女…!
会議もやる気がなく、今もにこやかに対応したりはしない。なのに、なぜあの女がチヤホヤともてはやされるのか。
3人の輪の中に、アレクサンドルも加わる。あまりに悔しいので、ジョアンナもその輪の中に近づいた。
「あの…ソーンヒル様。何をお話しておりますの?」
「特に、なにも」
にべも無い。今日もアンジェリカは平常運転である。
無碍な対応に、ジョアンナの顔が赤くなった。苦笑いして、アレクサンドルが話しかける。
「君たち、会議中に私語は禁止だよ」
「え~、ちゃんと聞いてたよ」
「す、すみません」
ジョアンナは、改めて二人の男性を眺めた。
エルドレッドは高貴な人に相応しい典麗な容姿である。リオンは逞しい体躯で凛々しい男性だ。それぞれに魅力的である。
「私も、お話しに混ぜて下さいまし」
「…ハドルストン嬢は、とても優秀だね。意見も資料も、素晴らしい出来だったよ」
「経済学まで把握していて、スゴいと思います」
「あ、ありがとう存じます!」
あら、分かっているじゃない!ジョアンナは嬉しくなった。
「……で、何を話していたの?」
「別に~。アンジェリカちゃんは可愛いなって話だよ」
「エル、私に嘘は通じない」
「嘘じゃないよ」
しれっと騙るエルドレッド。リオンもアンジェリカも、口出ししない。
「……夏休みの計画を話していただろう?」
「それについては、後でゆっくり話すことにしたから」
「……まあ、いつからそんな話に」
アンジェリカが、じと目でエルドレッドを睨む。「そんな顔も可愛いね」とエルドレッドはニコニコ笑う。
「じゃ、行こうか。アンジェリカちゃん」
「…ソーンリー様、手を離して下さいまし」
「エルドレッド様!」
アンジェリカを連れて、エルドレッドとリオンが外に出る。追いかけていいのか悪いのか、ジョアンナは逡巡した。
「まったく…。ハドルストン嬢、今日はお疲れ様。これで解散だ」
「は、はい」
そう言ってアレクサンドルは生徒会室に鍵をかけ、3人の後を追いかけて行く。
ーーまだ、あの輪の中には入れない…
ジョアンナは早足で急ぐアレクサンドルの後ろ姿を眺め、歯噛みした。
素敵な男性二人に手を繋がれ、アンジェリカは東屋に移動した。セバスチャンがお茶菓子を用意し始める。
「……良かった。流石について来なかったね」
「そうですね」
エルドレッドとリオンは、ハドルストン嬢を警戒した。彼女の狙いはアレクサンドルだから、大いに犠牲になってもらおう。
「優秀な方でしたわね」
「1年生の中で、人気のある人らしいですよ」
「リオン君も知っているんだ」
「興味はありませんけど」
肩をすくめて、リオンが言う。リオンに心を読む能力はないが、あからさまに野心的な態度だった。
アンジェリカと足して割ったら、丁度良いかもしれない。
「さて、夏休みの話をしようか」
「アンジェリカ嬢、ぜひ我が家の避暑地に来て下さい」
「リオン君の避暑地って?」
「レクサムです」
「まあ!」
アンジェリカの瞳が輝いた。レクサムと言えば、かの英雄が管理する領地。そして、有名な鉱山がある。
アンジェリカの数少ない関心の中に、鉱石採集があった。
「素敵ですわ、ガスコイン様。本当にお邪魔してもよろしいの?」
「もちろんです!喜んで!」
「リオン君、当然僕も招待してくれるよね?」
「……稽古をつけてくれる約束をして下さるなら」
オーケー、それでいいよとエルドレッドは妥協した。
リオンは大満足だった。まさか、レクサム領がアンジェリカの関心を誘うなんて!
やはり、切り札は有効活用しようと改めて考えた。
「アンジェリカちゃんの別荘にも行きたいな」
「ーー何が目的ですの?」
「アンジェリカちゃんたら~。好きな子の傍にいたいのは、当然でしょ?」
「では、別荘に来なくとも、ガスコイン様の避暑地でご一緒しますわ」
「……もちろん、アンジェリカちゃんの傍にいたいのが一番だよ。でも、出来ればね、ちょっとだけでいいからね、その…宰相閣下にお目にかかれたらな~なんて…」
「父に?」
そういえば、彼は父を尊敬している節があった。あの父に、会いたいというの?
ーー知らないって、怖いわね…
思わずセバスチャンと顔を見合わせたアンジェリカであった。
「あの、出来れば俺も…アンジェリカ嬢と共に過ごしたいです」
「ガスコイン様まで」
「もちろん私も誘ってくれるよね?ソーンヒル嬢」
突如現れた姿に、驚く3人。ああ、やっぱりか……という声は、漏れ出なくてもアレクサンドルには露見している。
「君たちは、私を一体何だと思っているんだ?」
「「「魔王様」」」
「……酷いな……」
媚びない様子が新鮮ではあったが、流石にこれは酷い。王子を王子とも思わない態度だなんて。魔王扱いされるほど、悪いことはしていないはずだ。
「代わりに、王家の別荘にも招待しよう」
え、行きたくない、とアンジェリカは目で語る。もちろん、アレクサンドルはそれを読み取るが、アンジェリカが『聞く聲』を便利な道具として扱うことに苦笑する。
「……そう言わず。風光明媚な美しい避暑地だよ」
「じゃ、リオン君とアンジェリカちゃんとアレクの別荘地を1週間おきに廻るってことで良いかな?」
いいわけない!とアンジェリカは言いたいが、有無を言わせないこの状況で、頷くほかはなかった。