第3話
二間続きの豪奢な部屋の一室で、執事が昼食の準備を始めている。
ーーお嬢様はお茶会の誘いを全てお断りして、そろそろ戻ってくる頃合いだ
公爵家となれば、寄付金はもちろん莫大であり、それに比例して寮の割り当て部屋も広く豪華になる。
アンジェリカの一室も、公爵家のリビング並に広い。キッチンやバスルームも完備され、豪華ホテルのスイートルームさながらである。
セバスチャンはアンジェリカの帰るタイミングを見計らい、絶妙な温度の紅茶を用意した。
「ただいま戻りましたわ」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
今日もジャストなタイミングであった、とセバスチャンは心の中でガッツポーズをした。
「今日も良い香りですね」
「お召しものはこちらに用意してございます」
「そう」
アンジェリカが着替えをしている最中に、セバスチャンは紅茶を注ぐ。その完璧な仕上がりに、セバスチャンは笑みをもらした。
「本日の入学式はいかがでございましたか?」
「そうね、生徒はおおむね青か緑でしたわ。警戒すべき人数は、今のところ5人」
「おや、存外少ないですね」
「まぁ、これから増えるかもしれませんけれど」
ふふっと笑うアンジェリカ。その笑顔は天使のように可愛らしいが、発言は不穏である。
ーー自ら増やす、と言ってるようなもんじゃねーか!
当然のように尻拭いさせらせる未来が見えて、セバスチャンはクラリとする。
「セバス、名簿は?」
「こちらに」
「さすがですわね。ーーさて、どのご子息だったかしら…」
紅茶を美味しそうに飲みながら、アンジェリカは名簿をパラパラとめくっていく。セバスチャンはその指を眺め、美しいなと思った。
「一番赤に近かったのは、このご子息ですわ」
「ーーヤードリー伯爵子息ですね…」
「そう、この太っちょさん」
「………」
確かに小太りだが、この天使は顔に全く似合わず毒々しい物言いをする。
ーー女性不信になりそうだ…
セバスチャンはこの8年、幾度となくそう思っている。
「ああ、ヤードリー伯爵家は、当家に借金がありますね」
「巨額かしら?」
「ええ、わりと」
「では、警戒度Sですわね。お父様に知らせて」
「かしこまりました」
「あとは、橙色が二人」
これとこれ、と指差してセバスチャンに話す。こちらも公爵閣下に伝えます、とセバスチャンは答えた。
「こんなものかしら」
「お嬢様は数が数えられなくなりましたか?まだ3人ですが」
「……遮断魔法は?」
「とうに」
ふー、とひと息吐いて、アンジェリカが背もたれにもたれる。ピンと背筋を伸ばして座る彼女からは、珍しい光景だ。
「あと2人ね。1人はエルドレッド・ソーンリーですわ」
「ああ、ソーンリー公爵家の次男坊ですね」
「ええ。オーラは青でしたけれど……得体の知れない何かがありますわ」
「抽象的ですね。少しもわかりません」
「彼のことは、今は良いでしょう。頭の片隅に入れておいて」
「かしこまりました」
紅茶のおかわりを注ぎながら、セバスチャンはアンジェリカの言葉を待った。
こんなに言い淀む彼女は、初めてだ。
「あと1人は、アレクサンドル・ソーンダイク」
「……第1王子ですか!」
「そう。必ずお父様に報告して。第1王子は、灰色だと。一切の感情が読めなかったと…」
「灰色は…初めてですね」
「ええ。アレクサンドル王子を見たら、セバスもきっと裸足で逃げ出したくなると思いますわ」
「猛獣並みの精神力を持つお嬢様が、そこまで…!」
「一言余計ですわね、セバス。でも絶対よ。2人で絶対に逃げ出すと思いますわ」
クスリと笑うアンジェリカ。青ざめた顔色が、少しずつ桃色に変わってくる。
ーー良くも悪くも、お嬢様の心に王子が入ってきた
セバスチャンは、別の向きで警戒を強める。
「お父様は、今の王様が退いたら引退決定ですわね」
「そうでしょうか?王妃側の勢力を削ぐため、第1王子が即位しても宰相を任せたいのでは?」
「無理ですわ。あの王子様では、お父様とは相性が悪すぎですもの」
「そうすると、お兄様方の動向が変わりますかね…」
「……いずれは」
アンジェリカの兄は二人。上の兄は王の近衛兵で、下の兄は第1王子の近衛兵を勤めている。天秤の傾きによっては、兄たちの仕事場が変わるであろう。
「まぁ、新入生代表になった価値はありましたわね」
「他に変わった色を見掛けましたか?ーー例えば、桃色とか」
「大概失礼ですね、セバス。美しい私を見て、恋してしまうのはむしろ必然ではないこと?」
「はいはい。その美しいお嬢様を見て、桃色のオーラを出した方はいらっしゃいました?」
「……本当に失礼ですね、セバス……」
セバスチャンにしてみれば、桃色こそ最も警戒すべき相手なのだが、当の本人は桃色のオーラに全く興味がなく、覚えていない、という返事が返ってきた。
まあいい。
差し当たって警戒すべきは、『太っちょさん』と『完璧王子』である。
セバスチャンは心に2人の名を刻みつけた。