第26話
中庭の奥の静かな一角で、美しい二人の女性がランチをとり始める。
最近は大分暑くなってきましたわね、と優美な女性が問うと、そ、そうですね、と可愛らしい女性が答えた。
なんとも微笑ましい光景なのだが、愛らしい女性は、ひどく緊張していた。
ーーソーンヒル様は、なぜ私をランチに誘って下さったのかしら…?
リリアンには、アンジェリカの意図が分からない。けれど、誘いを断るのは不敬だし、何より憧れの女性とご一緒出来るなんて、夢のようだ。
「リリアン嬢は、どのように勉強なさったのです?」
「え、そ、そんな特別なことは全く…」
お金がないし、と心の中で付け加える。
「ひたすら、教科書を覚えました。図書館で借りた本など、全部暗記して…」
「まあ!全て!」
「は、はい。借りたら返さないといけないので…」
お金もないし、と心の中で付け加える。
「本当に素晴らしいですわ。少しばかりですが、リリアン嬢の見事な成績に敬意を表して」
さあ、食べましょうと言われ、リリアンはゴクリと喉をならす。
目の前には色彩明媚な高級食材が、ズラリと並んでいた。
ーーど、どれから手をつければ良いのかしら!
迷う、というより分からない!
リリアンが目をうろうろさせていると、クスクス笑いながら、アンジェリカが助け船を出した。
「では、こちらのお皿から、一緒に頂きましょう」
「あ、ありがとうございます!」
アンジェリカはマナーの分からないリリアンを馬鹿にすることなく、優しく誘導してくれる。
ーー美しい方には、美しい心と魂が宿るのだわ…!
こんなにも、自分を丁寧に扱ってくれた人はいなかった。ツライ日々ばかりだったけれど、ようやく報われ始めたのだ、とリリアンの心がじわりと温かくなった。
何もかも初めての料理にリリアンが舌鼓を打っていると、背の高い男性二人が近づいてきた。
「アンジェリカちゃん~!……あれ?リリアン嬢だ。どうしたの?」
ーー失礼な方ね…!
あからさまに、ソーンヒル様しか見ていないから、私を見落とした上に、“どうしたの?”なんて。
ーーソーンヒル様に誘って頂いたんだもん!
少なくとも、この茶髪よりはソーンヒル様と親しいと言える。
ーーし、親しいとか!照れる~!
自分で言って自分で喜び悶えるリリアンであった。
「……ごきげんよう、ソーンリー様、ガスコイン様」
「こんにちは、アンジェリカ嬢。今日はご友人と一緒なのですね」
「ええ。お話したくて、ランチに招待したのですわ」
「ええ!?アンジェリカちゃんが……?」
「ゆ、友人だなんて…!」と頬を染めてニヤけるリリアンと、「僕は誘ってくれたことないのに…」とヘコむエルドレッド。
そんなエルドレッドを見て睨むセバスチャンと、不思議そうに首をかしげるリオン。
そして、そんな事情などお構いなしに、優雅に紅茶をすするアンジェリカであった。
エルドレッドは許可もなくアンジェリカの右隣に座り、リオンはそれを見て、遠慮がちに左隣に座る。
「……お二人はどうしてこちらに?」
腹の立ったリリアンが、思わず聞いた。
「ん?稽古帰り」
「もう昼を過ぎていたんですね」
「お腹すいたね~リオン」
「それなら、とっとと食堂に行った方がいいですよ」
「……ずいぶん攻撃的だね、リリアン嬢」
「親切に教えてあげただけですわ」
見えない火花が、二人の間にバッチバチに上がる。「…どうしたんですか?あの二人」「さあ…」と、リオンとアンジェリカが顔をあわせた。
「君、僕のこと覚えてないの?」
「え?どなたでしたっけ?」
「君のイス、見つけたでしょ?僕」
「…あっ!あの……!」
ブツブツ言ってた怖い人!と続く言葉を、リリアンは賢明にも飲み込んだ。
「リリアン嬢、ソーンリー様はこれでも公爵令息だよ。もう少し言い方を…」
「って言ってるリオンの方が失礼だからね?」
全く、皆僕をもう少し敬ってもいいと思うよ。僕は先輩だからね?!といつものようにエルドレッドがゲンナリする。
その姿を、アンジェリカが優しく見つめた。
ーーやはり、ソーンリー様は柔らかい
彼の持つ雰囲気が、アンジェリカは好きなのだ。
隣で優しく笑うアンジェリカを見て、エルドレッドの胸がドキンと跳ねる。顔をほんのり赤らめた時、前方から冷気が漂ってきた。
「やあ、エル。ここにいたのか」
「アレク?僕に何か用だったかな?」
「用、というか……」
ちらりとアレクサンドルは隣を見る。アレクサンドルの両脇には、綺麗な女性がついていた。
最近の取り巻きである。アレクサンドルもエルドレッドも鬱陶しいと思っているが、そう邪険にも出来なかった。
ーーだからって、僕を巻き込みたがるのは酷すぎる!
アンジェリカを口説きたいエルドレッドは、アレクサンドルにもご退場願いたいところだった。
「まあ…平民の臭いがいたしますわ。殿下、あちらに参りましょう」
「エルドレッド様も、ご一緒に」
アンジェリカすら無視し、ご令嬢方は二人を連れ出そうとする。「いいぞ、やれやれ!」と思っているのは、セバスチャンとリリアンだ。
いい加減、腹が立ってきたエルドレッドは、温かかった心を鎮め、冷淡に言い放つ。
「……君が誰だか知らないけれど、僕は君に名前を許した覚えはないよ」
「ひっ!も、申し訳ごさいません」
「アレクも。僕の邪魔をしないで、向こうへ行ってくれるかな」
「ふうん、そう」
愉快そうに、アレクサンドルは一同を眺める。一つ頷いて、冷たく言った。
「私も、彼らに用があるから、ここまでにしてもらえるかな?ご令嬢方」
「でも…、私はもう少し殿下と…」
「私の願いは聞けないかな?」
アレクサンドルは口角の端を上げてはいるが、目が笑っていない。おまけに、周辺の空気も重くなった。
端的に言うと、滅茶苦茶コワイ。
分かりました、と渋々引き下がった令嬢方を見送ることなく、アレクサンドルはリリアンの隣に立った。
「やあ、リリアン嬢。初めまして」
「は、初めまして…」
リリアンは王子様なんて存在を初めて見た。ゴージャスな雰囲気漂う姿に圧倒される。
ーーこの方のせいで、打たれたこともあったわ…
近寄ってはいけない種属だ、とリリアンは思った。
警戒したリリアンを見て、アレクサンドルは苦笑する。
なんとまあ、王宮とは違い、学園にはこの私を敬遠する人が多いこと!アレクサンドルはむしろ愉しい。
「ところで、この集まりは何なのかな?ソーンヒル嬢」
「私とリリアン嬢のランチですわ。あとの方は付録です」
「「付録…」」
「ふふっ」
リリアンは、アンジェリカの物言いについ噴き出した。男たちは苦笑する。
昼時の、平和な一コマであった。
++++++++++
昼が終わり、教室に戻りながら、アンジェリカはリリアンに話しかける。
「思わぬ方々の闖入で、ゆっくり出来ませんでしたけれど。リリアン嬢、私、貴女の頑張りを讃えたくて。伝わりましたかしら…?」
「は、はい。伝わりました。こんな私を褒めてくださって、本当にありがとうございます」
良かったわ、とニッコリ微笑むアンジェリカは、女神のように美麗である。
ーー尊い…!
何コレ尊い!私ってば、幸せすぎる!!
心の中で悶え苦しむリリアン。
あまりの喜びに、ついうっかりなみだを流してしまった。
「あら、まあ…」
そんなリリアンを見て、アンジェリカが優しく抱きしめる。
「泣かないでくださいまし。きっともう、貴女をいじめる人は、居なくなったと思いますから」
「ソーンヒル様…」
リリアンが泣いたのは感激のあまりだったが、アンジェリカが抱きしめてくれるのなら、理由なんてどうでも良かった。
ーーなんて柔らかくて良い匂い…!
セバスチャンに離されるまで、リリアンは存分にアンジェリカを堪能したのだった。