第25話
部屋に戻ると、執事が仁王立ちで待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま戻りましたわ。セバス、お父様は如何でしたか?」
「お変わりございません」
「そうですか」
部屋着に着替えるため、隣の部屋に移動しようとするアンジェリカを、セバスチャンが引き止める。
「……紅茶を用意致しました。お座り下さい」
「着替えてくるわ」
「お話があります」
有無を言わせないセバスチャンの口調に、アンジェリカが折れた。ため息をついて、席につく。
「幻影から聞きました」
「……そう」
相変わらず、有能すぎる影の護衛である。それを手先として使うセバスチャンの実力が恐ろしい。
「ソーンリー様と抱き合ったとか」
「正確に言えば、抱きしめられたのですわ」
「お嬢様」
腕を取られ、セバスチャンに抱きしめられた。
ーー護身術でも覚えようかしら…
アンジェリカは、あまりに簡単に腕を取られてしまうこと、ようやく危険だと認識した。
「ソーンリー様に、告白でもされましたか…?」
「されましたわ」
「どうお答えに?」
「何も答えていませんわ」
「……そうですか……」
ソーンリー様は流石ですね、とセバスチャンが耳元で小さく息を吐く。
今すぐの答えを求めてくれれば、アンジェリカはにべも無く断っただろう。
だが、エルドレッドは気長に待つから、最終的には自分を選んで欲しいと告げただけで、答えを求めなかった。
ーーお嬢様の性格を知った上での行動だ
エルドレッドの本気を、セバスチャンは強く感じた。
「まぁ、ソーンリー様は手練れですから。ボンヤリしているお嬢様を抱きしめることなど、造作もないですね」
「ボンヤリ……。強い悪意を感じますわ、セバス」
「当然です。お嬢様の隙だらけな点を非難していますからね」
やっぱりか。説教コースになると思った!
とアンジェリカはセバスチャンの腕の中で、ゲンナリする。
すると、つむじにセバスチャンの唇が落ちた。思えば、いつの間にかセバスチャンは躰付きが男らしくなり、背が高くなった。
ーー初めて会った時から、美しい少年でしたけれど…
今は精悍さが増して、美しさに凄味が出た。全方位の女性から、悲鳴が上がるほどの美形である。
アンジェリカは、セバスチャンの顔の造形には興味がなかった。彼女は、セバスチャンの持つ美しいオーラをこそ、愛してやまない。
彼のオーラの色が変わらない限り、アンジェリカはセバスチャンを愛し続ける。
こうしてアンジェリカを抱きしめている今も、セバスチャンのオーラは、愛すべき色のままである。
「……お嬢様は、ソーンリー様をどうお想いなのですか」
「彼の持つ雰囲気は、とても好ましいわ」
「男としては?」
「考えたことがありませんわ」
セバスチャンは、ハァと大きな大きなため息をついた。このお嬢様は、恋愛脳0%の幼子なのだ。
ーーこうして、力を抜いて素直に抱きしめられているのも、俺を男として見ているからではない。
セバスチャンは、アンジェリカに拾われてから、アンジェリカだけを見つめてきた。主人として心酔し、心から慕っている。1人の女性としても愛していることに気付いたのは、割と最近であるけれど。
もちろん、愛しい姫が横からかっ攫われるのを、セバスチャンは指をくわえて眺めたりはしない。ーー最終的には、主人を己のものにするつもりである。セバスチャンの野望は、冥くて強くて、執拗だった。
「では、お嬢様は誰のものでもありませんね?」
「誰のものでもありませんわ」
さあ、そろそろ開放してくださいまし、とアンジェリカはセバスチャンの胸を押す。
2人に少し空間が出来たところで、セバスチャンの頭が少し降りた。
ふわり、と唇に何かが掠める。
「お嬢様の唇は、私が最初に頂きました」
「……セバス……」
「学園に通うことになったのを、よかれと思っていましたが……。想定以上にお嬢様が好かれてしまい、作戦を変えることにします」
「貴方も、大概面倒な人ね…」
その作戦が何なのか、聞くのが怖いから言わないように、と釘をさして、アンジェリカは今度こそセバスチャンから離れる。
セバスチャンもアンジェリカを素直に開放し、夕餉の支度をし始めた。
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翌朝、主従は何事も無かったかのように振る舞う。
どんなことがあっても、セバスチャンの紅茶は完璧な美味しさであった。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
「いってまいりますわ」
部屋を出て教室へ向かう足取りが重い。
ーーなんだか色々ありましたわね……
エルドレッドに抱きしめられて告白されて。
セバスチャンに抱きしめられてキスされて。
身辺が慌ただしくなってきたことに、アンジェリカはウンザリしはじめた。
男に興味がないとは言わないが、本能的に避けているのか、食指は全く動かない。
エルドレッドにしろセバスチャンにしろ、男性としてかなり上等な類なのだろう。アンジェリカの立場は、さぞや羨ましがられるものなのだろう。
嬉しくないわけではないが、それ以上に面倒くさい。アンジェリカは考える事を放棄して、成り行きに任せることにした。
重い足取りでボンヤリ歩いていると、前方にストロベリーブロンドが見えた。
「リリアン嬢」
「はい…? そ、ソーンヒル様っ!」
振り返って、リリアンが驚く。アンジェリカは柔らかく笑って、リリアンに話しかけた。
「試験結果を拝見致しましたわ。素晴らしい順位でしたわね」
「い、いえ。ソーンヒル様こそ、首席おめでとうございます」
「リリアン嬢の努力に比べたら、私の順位なぞカスみたいなものですわ。本当に頑張りましたのね」
「……ソーンヒル様……」
涙目になって礼を言うリリアンに、お昼の誘いをする。リリアンは顔を真っ赤にして、その誘いを受けた。