第17話
人気の無くなった逢魔が時。
聖アンドレア学園の一室で、散乱したガラスやら机やらを片付ける生徒がいた。
「リリアン嬢、お怪我はありませんの?」
「えっ!あ、は、はいっ!ありません!!」
パァァと紫水晶の瞳を大きく開いて、リリアンは勢いよく答えた。
「そう。何よりですわ」
「ありがとうございます」
ーーソーンヒル様が、私の名前を呼んでくれた…!
『リリアン嬢』だって!
あんなに綺麗なお声で名前を呼ばれたの、生まれて初めてだわ……!
しかも、怪我を心配してくれて。
こんなに幸せが訪れるなんて、私、今日で死んじゃうのかしら……!
はぁ…と恍惚のため息をつく。
「この破損、”修復“で直してしまおうかしら…」
「ソ、ソーンヒル様は光魔法も使えるのですか…?」
「そうですね、闇魔法ほど適性はありませんが」
「す、すごいですね…!」
ーー私、ソーンヒル様とお話してるっ!
もう、いちいち興奮するリリアンであった。
「ひ、光魔法でしたら、私も使えます」
「あら、そうでしたの」
「学園内で、許可なく魔法は使用出来ませんけれど…」
「面倒だから、魔法で直してしまいたいわね…」
心底面倒くさそうに、アンジェリカは言った。「このまま放置しておきましょう」との言葉には、苦笑してしまう。
ーー助けて、いただいたもの…
何かお役に立ちたい。その思いで、リリアンは魔法を唱える。
「修復」
そっと呟くように使った魔法。瞬時にガラス窓が元に戻る。
「…お見事ですわ」
一瞬でしたわね、とアンジェリカが何気なく窓を見る。すると、窓はキラリと美しく輝いていた。
ーー元通り…?
窓に近寄り、じっと確認する。その窓は、以前より強度を増して、艶やかに磨かれたガラスと化していた。
ーーただの“修復”ではない
この娘の属性は何だろう。光魔法は使え、闇魔法は使えない。それは確認済だ。
ーーまさか…
ただの光魔法ではない。光魔法より上位の魔法。
ーー聖魔法…!
その使い手は伝説と呼ばれるほど、聖魔法を使用出来る者はいない。
ここまで推論し、アンジェリカは思い出す。
彼女が、Sクラスに配属されたこと。
ソーンリーが、彼女を見守れと言ったこと。
こちらを見て、はにかむリリアン。
アンジェリカは、自分が生徒会に無理矢理加入させられた理由を知った。
セバスチャンが不届き者の処置をして、教室に戻ってくる。幾分青ざめたアンジェリカと、桃色に頬を染めるリリアンを見て、セバスチャンは小首をかしげた。
++++++++++
ある日の昼下がり。
珍しくアンジェリカのお供ではなく、一人で街へ出かけたセバスチャンに、尾行がつく。
「………」
いや、尾行と呼ぶにはあまりにお粗末であるが、特に害は無いため、セバスチャンは黙々と用足しをした。
紅茶店。
衣料品店。
雑貨店。
下着店。
「ーーーー!!」
セバスチャンが下着店に入ったところで、尾行者が怒りに震える。セバスチャンはクスクス笑って、アンジェリカの下着を購入した。
セバスチャンが喫茶店でくつろぐと、見目麗しい、豊満な女性が声をかける。
セバスチャンもにこやかに応対し、まるで恋人同士のように甘やかな時を過ごす。
女がセバスチャンの手を握り、脚を絡ませる。セバスチャンが女の頬に触れようとした時、ついに尾行者は、その美しいストロベリーブロンドの髪を揺らして、怒りの声を上げた。
「あ、あ、貴方という人は!ソーンヒル様のような、素晴らしい方がお側にいらっしゃるというのに!」
「……何か、誤解していないかな、君」
「貴方が不埒な人だということが、よく解りました!」
「いやいや、誤解しているね。1つ、俺はお嬢様の恋人じゃあない」
「当たり前です!」
「もう1つ。この女とは何の関係もない」
「まっ!」
豊満な女が、声を上げて憤る。先程までの甘い雰囲気は、どこへ行ったのか。
「尻の軽い女に興味はない。ーー行け」
セバスチャンは刃物のような目つきで女を見て、鋭く言う。「なんなのよ!」と乱暴に席を立って、女は去った。
「……あの、良いんですか?いまの女」
「構わない。君が声を掛けなければ、引っぱたく所だった」
彼女は君に救われたな、と嫣然と微笑む。
ロクデナシだ、この男、と尾行者ーーリリアンは思った。
「で?半日俺の買い物を尾行した目的を、教えてもらおうか」
「うっ…」
露見してる!とリリアンは目を泳がせる。
あんなヘタな尾行で、露見しないと思っていたのか。セバスチャンは呆れた目で見つめた。
「その……。何か、ソーンヒル様にお礼を差し上げたいと、思いまして…。それで、貴方を尾行したら、ソーンヒル様の好みが分かるかと…」
モゴモゴしながら、言い訳めいたように、リリアンは白状する。
「……お礼なら、俺にすべきでは?物理的に君を助けたのは、俺だけど」
いけしゃあしゃあとセバスチャンは言う。
「……え?貴方、何かやりましたか?」
「君に悪さをした男どもを、まとめて縛り上げたのは俺だよ」
「そもそも、ソーンヒル様がいらっしゃらなければ、貴方は来ていませんよね?」
「……来ていませんね」
「ですよね。ではやはり、お礼はソーンヒル様で間違いないですね。ソーンヒル様は、二度も私を助けて下さいました…」
ウットリと恋する乙女のように、リリアンは言う。
ーーあの怠惰な人をそこまで…
セバスチャンは腑に落ちない。女を落とすことなど朝飯前の色男が、何故かアンジェリカに負けた。アンジェリカには、リリアンを助けた意識など皆無だろう。そして、感謝もされたくないだろう。
ーー変わった女
セバスチャンはリリアンをそう評した。
「ソーンヒル様にお礼なんて、不躾でしょうか」
「お嬢様は何も気にしませんので、特にお礼も不要だよ」
「まあ。まるで正義の味方ですね…!」
輝きだしたリリアンの瞳を見て、セバスチャンが苦笑した。可哀想な子を見る目つきで、リリアンを眺める。
ーーこの瞳…
美しい黒曜石のような、色。どこかで見たことがあるような…。
深い深い闇の色の瞳を見つめ、リリアンは思い出せない何かに戸惑った。