第15話
アンジェリカが入学して、3ヶ月。
比較的穏やかで、順調で、健やかに過ごしていたのは、アンジェリカだけだった。
特にSクラスには、平民出身の美しい少女が在籍している。真っ白なシーツに、黒いしみがひとつ……と生徒は思っていた。
同時に、こうも考えていた。「このクラスの底辺は、アイツだ」ーー卑屈な安堵感である。
「本当に、貴族はどうしようもないな」とセバスチャンが呆れるような行動により、平民出身の生徒ーーリリアンは苦しい日々を過ごしていた。
「今日はイスがない…」
朝、誰よりも早く登校し、備品の確認をするのがリリアンの日課であった。
毎日、何かしら嫌がらせをされるが、今日はイスが無くなっている。
「探しても…無駄かな」
入学して、3ヶ月。来る日も来る日も続く嫌がらせに、リリアンももう疲れ果てた。
学園を出て行けるなら、とうに逃げだしている。けれど、リリアンにはもう帰る場所が無かった。
ーー学園で優秀な成績を修めれば、良いところで働ける!
ということが、リリアンの唯一の希望である。そのために、歯を食いしばって頑張ってはいるが……。
「うー…どうしようかな…」
イスを探しに行く気力が、もう無い。闇魔法が使えれば、探索が容易なのに。
リリアンに闇魔法の属性はなかった。
「…あれ?どうしたの?」
不意にかけられた声に、リリアンはビクッと震えた。いま、教室には私一人。逃げ切れるだろうか…。
「……ああ、イスが無いね。そうか……」
スッと音も無く近寄ってきた。怖いけれど、リリアンは顔を上げる。そこにいたのは、茶髪の美青年だった。
ーーこのクラスの人じゃない…
リリアンは、少しだけ安堵した。
「くだらないバカが多いな、ホント。ーーうん、大丈夫。まだ残滓があるから」
……残滓があるから、一体なにが大丈夫なのだろうか。というか、この美青年は何を言っているのか…。
ーー別の意味で怖い。
「ちょっと待っててね~」
と言って、美青年は教室を出た。彼を待っているわけではないが、リリアンに行くところはなかった。
ボンヤリ窓の外を眺めていると、意外な早さで美青年が戻ってきた。
右手には、イス。
左手には、公爵令嬢。
「あっ!」
まさか、イスを見つけてくれるなんて!
そして、公爵令嬢に見られてしまうなんて!
喜びと恥ずかしさで、リリアンは顔を赤く染めた。
「途中で、アンジェリカ君を拾ったから、連れてきた」
「……人を犬猫呼ばわりなさらないで下さいまし」
はぁとため息をついて、アンジェリカがリリアンに近寄る。
アンジェリカの白く美しい手が、鮮やかに輝き出す。
……ああ、なんて美しい……!
リリアンはアンジェリカにくぎ付けとなった。
「追跡魔法を施しましたわ。次に隠された時は、すぐに見つけられることでしょう」
「え?ナニソレ、事後対策?!普通、もう盗まれないようにする、とか、事前の対策をするんじゃないの?」
「……貴方、なぜ私を連れてきたのです?私が得意とするのは、闇魔法でしてよ」
「僕は、火と水」
「役に立てませんわね」
「いやいや、組み合わせによっては、事前対策もイケるんじゃ…」
「あの……」
控えめに、リリアンが2人に割って入る。この2人は放って置くと、いつまでも言葉遊びを楽しんでしまうようだ。
「ありがとうございました。とても助かりました」
「どういたしまして。君も大変だね」
美青年の柔らかい微笑みに、リリアンはホロッと涙を落とす。
ーーこうして助けてくれる人もいる
リリアンは、もう少し頑張ってみようと思った。
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「闇魔法って便利だね」
昼下がり、エルドレッドがアンジェリカのランチに参加して言った。
「……勝手に割りこんで、何を言うかと思ったら…。闇魔法が便利なことは、常識でしょう」
「うん。改めて思ってさ。備品に追跡魔法を付けるなんて、失せ物をしても安心だね」
「そこですの?」
胡乱げに、アンジェリカがエルドレッドを見つめる。
闇魔法は、秩序ある魔法。扱いは難しいが、実用性の高い魔法である。
この魔法が得意であることを、アンジェリカはまずまず喜んでいた。
「今朝の件は、僕が対処しておこう」
「……対処」
「イスを隠すとか、嫌がらせした奴のことだよ。生徒会の一員として、処罰しておこう」
「……処罰」
オウム返しをするアンジェリカ。
ーー生徒会、面倒くさい…!
面倒事は全力で回避するのが、アンジェリカの信条である。王子も従兄妹も、もう完全なる縁切りをしたい。
「そこで、お願いがあるんだ」
「お断り申し上げますわ」
「ちょーっと椅子の子を、見守っていて欲しいんだ」
「お断り申し上げますわ」
「だんだん嫌がらせが過剰になってきてるから、ここらが危ない」
「お断り申し上げますわ」
アンジェリカはにべも無い。
そんなアンジェリカを穏やかに眺めて、エルドレッドは言った。
「じゃ、頼んだよ。執事君もよろしくね~」
言い逃げて、エルドレッドは華麗に立ち去った。
『脱兎のごとく』を、これ程までに見事に体現した人は、見たことありません。と背後でセバスチャンが感嘆のため息をもらす。
全く以て、エルドレッドは厄介事しか持ち込まない。
「茶髪は、お嬢様の扱いがお上手になりましたね」
「ますます厄介ですわ」
大好きな紅茶を飲んでも、一向に気分が上がらないアンジェリカは、どんどん気が滅入るのだった。




