第14話
エルドレッドと別れたあと、主従はボンヤリしながら話し合った。
「よろしかったのですか?お嬢様」
「よろしいわけありませんわ。でも…」
アンジェリカはコツコツ鳴らして、爪で卓を叩く。ーー今日のお嬢様の手も美しい。セバスチャンは手入れを欠かさない。
「初手を誤りましたわ。やはり首席など、取るべきではありませんでしたね」
「そこは、言っても詮ないことです。太っちょを早々にあぶり出した戦果を、喜びましょう」
「あのような太っちょなんて、セバスに押しつけておけば良かったですわ…」
「怠惰はこの国において罪ですよ、お嬢様」
「……だから、爪を隠すべきだったのよ……」
お兄様たちはやはり賢いわ!とうなだれるアンジェリカであった。
「ーー私の不安は、王子が近づいたことです。お嬢様をお妃に、という意思が芽生えるかもしれません」
「現状では、難しいと思いましてよ」
「御身分に不足はありません。御父上は宰相閣下でいらっしゃいます。むしろ、これ以上ない良縁では?」
「だからでしてよ。国王陛下は、これ以上ソーンヒル家を深入りさせたくないとお考えですわ」
現国王は、徹底的に権力の集中を避けている。今の王妃は侯爵家の令嬢だが、国王に輿入れの際、父親が国務大臣を罷免されている。
外戚と官僚を徹底的に分けている、と言っても良い。
ーー臣民の権力集中化は、王家の衰退である
国王は、そう考えている。
何より、現国王には優秀過ぎる宰相がいた。どんなに大臣が罷免されても、宰相がいれば揺るがない。
それ故、ソーンヒル公爵は畏敬を込めて『宰相閣下』と呼ばれている。
ふぅ、と大きなため息をついて、セバスチャンは言った。
「…それでは、条件を付けましょう。1つくらいの我が儘なら、聞き入れて頂けるでしょう」
「どんな条件?」
「私を同席させる、という条件ですよ」
ニィ、と悪そうに笑うセバスチャン。その姿を呆れたように見つめ、「阿呆ですわね」とアンジェリカは呟いた。
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一陣の風が、カーテンを揺らした。
「こんばんは、殿下」
ゆらり、と影から躍り出たかのように、男が現れた。
ーー手練れだ
全く気配を感じなかった。今も、影としか思えないくらい、存在が希薄だ。
さて、どうしたものか。
「やあ、執事殿。こんな時分に仕事とは、勤労痛み入るよ」
「おかげをもちまして。勤労は国民の義務ですから」
「これはこれは。主人に褒美を貰うが良いよ」
「さて、王家が決めたことに従うことが、何故主人からの褒美になるのでしょうか?」
「言うね」
バナナも凍る様な温度で、男達はやりとりする。よろしい。腹の探り合いなら、こちらの得手である。
「単刀直入に聞くよ。執事殿の目的は何かな?」
「ソーンヒル公爵令嬢の生徒会入りは、私も参加することを条件としたい」
「別に、彼女に危険は及ばないよ」
「あなたにそれが保証できるでしょうか?」
「保証しよう」
「残念ですが、全く信用出来ませんね」
元凶が何を言う!
ーーって思ってるね。
王子は冥く笑う。
「許可したら、私にメリットはあるのかな?」
「ありませんね」
「なら、許可する必要性を感じないね」
「でしょうね。ま、こちらも勝手にさせてもらいますよ」
ただの宣戦布告です、と影は仄かに笑った。
『アンタを近づけたくない』
ーー影が強く思ってるのは、その1点だ。
忠誠か、嫉妬か。あるいは両方か。
俄然、興味が出て来たな。
これほどの手練れに執心されるお嬢さんとは、一体どんな人物なのか。
「主人を守る、か。泣かせるね」
「面倒な女ですから」
「君のように優秀な男から、それほど熱く想われるなんて、さぞや魅力的な女性なのだろうね」
「ご想像にお任せしますよ」
ケロリと言い放って、平然と応対する。なるほど。やはりこの男、一筋縄ではいかない。
『何を言っても温度がねぇな、この王子』
ーー影は、そう感じている。
分かってる。私が感情をほとんど動かさない人間であることは。
だが、初対面の男ですら、しかも何の能力も持たない人間にすら、自分の本質を見られてしまう。
ふぅ、と小さく息を吐いて、アレクサンドルは影に向かう。
「私の護衛をどうしたのかな?」
「眠ってもらっていますよ。スヤスヤと」
「執事殿は、私に何の忠告がしたいのかな」
「忠告?そんなものありませんよ」
『アンジェリカ様を欲しがる理由を探ってるだけだ』
心の声は、そう言っていた。
「そんなに警戒しなくても。彼女を欲しがる理由は、単に彼女が優秀だからだよ」
「……!」
『もしかして…王子は…』
バシッ!
急にはじかれた。今は何も聞こえない。
ーー完璧な遮断魔法だ…
恐らく、これほど高度な遮断魔法の使い手は、国内には片手もいないだろう。
まさか、わたしの能力を超えるほどとは
彼の揺るがない自信は、この強さから来ているのだろう。
ーーそれにしても解せない…
なぜ急に悟られたのか。
『もしかして…王子は…』
あれは、心当たりがあるという感じだ。
彼は、何を知っている……?
「……これ以上は不毛のようだ。良いでしょう。執事殿の参加を認めよう。では、今日はこれでお引き取りを」
「良い夜を」
サッと風が舞い上がる。それだけで、目の前の男は消えた。
「あれほどの男を従えるアンジェリカ嬢…」
ただの美しい人形ではない、ということか。
「そして、何を知っている…?」
今日はあちらもこちらも収穫は1つずつ。
ーーいや、あちらは2つか
次から、間違いなく警戒される。
軽い敗北感を味わう。それは、アレクサンドルにとって初めての経験であった。