第13話
ダルリアダ王国国王、セオドリック・ソーンダイクは、御年45歳の精力的な男である。
三方を海に面し、残りの一方は険しい山に囲まれているこの国は、若干閉鎖的ではあるが、概ね平和な時代が多かった。
セオドリックは平和に享楽せず、かといって版図を広げるほど積極的ではないが、たまに訪れる外敵を勇ましく退けていた。
未来は盤石に思える。
だが、この国の王室事情は少し複雑だった。
最初の王妃は、18年前に身罷られた。現在の王妃は、後妻である。
前王妃との間に産まれた男児は、現在25歳。才気溢れる第1騎士団の団長である。
現王妃との間に産まれた男児は、現在17歳。『完璧王子』と呼ばれる、全てに秀でた稀なる存在である。
愛妾との間に産まれた男児は、現在15歳。愛らしさと要領の良さは折り紙付きである。
このほか、二人の王女がいたが、どちらも他家へ嫁いでいた。
この国では、王位継承順に王子の位置を変える。つまり、現王妃の男児が継承権第一位の王子であり、最初の男児は、継承権第二位に下がった。
当然、第一王子派と第二王子派、少数ながら第三王子派に貴族は分裂した。
大人の事情が複雑に絡み合ったまま、王子たちは成長する。
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ある日の休日。
アンジェリカはセバスチャンを連れて、街へ出かけた。
目的はもちろん茶葉であるが、相変わらずセバスチャンは、山のようにアンジェリカの服やら日用品やらを買い込む。
アンジェリカは諦めて、セバスチャンの好きなようにさせていた。
斯様に怠惰なアンジェリカだから、セバスチャンは割と好き勝手にしている。
歩き疲れたアンジェリカに同席して、セバスチャンも喫茶店でのんびりしていた。
「あら、セバスは珈琲なんですの?」
「ええ、私の淹れる紅茶より不味いものを飲みたくないんです」
「これはこれで、茶葉のブレンドが珍しい組み合わせでしてよ。悪くありませんわ」
紅茶を飲むアンジェリカの雰囲気が柔らかい。美味しい紅茶を飲ませておけば、アンジェリカの機嫌は上昇したままだろう。
「目新しい茶葉が無くて残念ですわ」
「新しいブレンドを探してみますよ」
楽しみですわ、と主従が話を弾ませていると、不意に影が落ちる。
「やあ、アンジェリカ君。ここ、良いかい?」
「……ごきげんよう、ソーンリー様」
返事をする前にエルドレッドは同席し、給仕に注文する。彼も珈琲派だ。
ーー青……
いつ見ても、エルドレッドのオーラは青色だった。穏やかで、凪いでいる。アンジェリカは、彼の持つ雰囲気が嫌いじゃない。
きっと、彼は年齢以上に大人なのだろう。
「ね、そろそろ諦めてくれた?生徒会に入る?」
……前言撤回。無邪気な子どもだ。
「お断り申し上げますわ」
「いやもう、その言葉、聞き飽きたよ…」
ガックリとうなだれるエルドレッド。彼からは、無理に勧誘しようとする意思は感じられないのに、諦めてもらえない。
彼も、完璧王子が怖いのだろか?
「もし、君がアレクが怖くて断ろうと思っているなら」
「いえ、ソーンリー様。お嬢様は単に面倒なだけでございます」
「その通りですわ」
横入りしたセバスチャンに、大きく頷くアンジェリカ。そしてため息をつくエルドレッド。顔面偏差値が高すぎる3人は、周りから注目のまとだった。
セバスチャンは内容が怪しくなってきたので、遮断魔法を張る。
「面倒なだけなら、引き受けたまえよ。お菓子でも紅茶でも、君の望むものを提供しよう」
「魅力的なお申し出ですが、お断り申し上げますわ」
「またか……」
ガシガシと陽に照らされてますます明るい茶髪を搔きむしり、エルドレッドは眉をひそめる。
「君の香りはとても良いんだ。僕としても、是非入って欲しい。頼む!」
「そう言われましても……」
面倒以上に、アレクサンドルが怖い。……口が裂けても言わないが。
「アレクは、さ」
「……?」
ポツンとこぼすように、ひっそり話す。
「大人の事情で色々捻れて育ったからさ。こじれた性質が多いんだ。悪い奴じゃないんだよ。良い奴じゃないけど」
「上げて落とす手法は、逆の方が効果的でしてよ?」
「良い奴じゃないけど、悪い奴じゃないんだ」
「……同じでしたわね」
「そもそも、良い奴でも悪い奴でもないって、つまり”フツー“?」
「魔王を普通と呼ぶには、些か抵抗がありますわね…」
「……お二人とも、言葉遊びはその辺で」
前に進んでいません、と言うセバスチャンの忠告を、二人は素直に受け入れた。
「まあ、きっと断れないだろうけど」
カタンと音を立てて、エルドレッドは席を立つ。
「引き受けてくれたら、遠方の珍しい茶葉を君に進呈するよ」
「……珍しい茶葉?」
「そう。君の美しいエメラルドのような、翡翠色のお茶だよ」
「まあ!」
アンジェリカの声が輝く。エメラルドのお茶!聞いたこともない。
「父が外交大使だから、我がソーンリー家しか手に入れられない茶葉だ。君の気分が上がるよう、たくさん献上しよう」
「……では、釣られて差し上げましょうか」
エルドレッドの言うとおり、アレクサンドル直々の勧誘では、とても断れる話ではないのだ。
勧誘に乗る優しい理由を、エルドレッドが作ってくれた。
ーー気が滅入る話だけれど
目の前で優しく笑う美男子の顔を立てよう。アンジェリカの腹が決まった。
「貸しイチ、ですわよ」
そして、釘をさすことを忘れなかった。