第12話
『アルジャーノン・ヤードリーを退学に処する』という通知が掲示された。
それに対して生徒の反応は、ほとんど皆無であった。さほど目立たない存在であったのか、それとも、周囲にとって目障りな存在であったのか。アンジェリカには分からなかった。
父親からも、『適切な処置をしたので、安心するように』との手紙が届いた。公爵閣下が動いた。……彼を見ることは、金輪際ないであろう。
思うほど手こずらなかったわね、とアンジェリカ。公爵閣下が裏で動いていたのでしょう、とセバスチャン。
そうね、といい加減に相づちを打つ。退屈そうなアンジェリカを見て、セバスチャンが苦笑した。
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日差しが少しずつ強くなり、気温も上がってきたある日。
木蔭でランチをとっていたアンジェリカは、セバスチャンの完璧な紅茶に舌鼓を打っていた。
「やはり、アッサムにはミルクが合いますわね」
「お嬢様の紅茶好きも、極まってきましたね」
新しい茶葉が欲しいわ…とアンジェリカが考え始めると、不意に声をかけられる。
「こんにちは、ソーンヒル様」
「こんにちは、ガスコイン様」
「ご一緒してもよろしいですか?」
フワリとリオンは微笑んでお願いする。「どうぞ」とアンジェリカは応対した。
ーー舞踏会から、随分積極的になったな
舞踏会から、リオンはアンジェリカを見ると声をかけるようになった。自信に溢れ、身なりを整えた彼の姿は、平凡とは程遠く、中々男前である。
「ミスター・ヤードリーが退学になりましたね」
「その節は、ご迷惑をお掛けしましたわ」
「いえ、お怪我が無くて良かった」
心からアンジェリカの無事を喜ぶリオンに、アンジェリカは微苦笑を浮かべる。
ーーオーラが桃色ね
すっかり懐かれた、とアンジェリカは思った。
「ガスコイン様がお守り下さったおかげですわ」
「お役に立てて良かったです」
「………」
その言葉を、アンジェリカは正確に理解した。利用されていたことに、リオンは気づいていたことを。それでもなお傍にいてくれたことを。
「ありがとう、存じますわ」
私に、利用されてくれて。
私を、守ってくれて。
「お気になさらず。でも、俺、ソーンヒル様にお願いがあるんです」
「まあ、何でしょう?」
「その、これからソーンヒル様をお名前で呼んでも…良いですか?」
カチャン、と食器の音が鳴る。セバスチャンがリオンを睨んだ。
『なにずうずうしいお願いしてんだよ!ダメに決まってんだろ!』
『同級生だから、自然なことだろ?お前が決めることじゃない』
男たちは、バチバチ目で会話を交わす。
「容易いことですわ。お好きにお呼びになって」
「ーー!ありがとうございます!あ、アンジェリカ嬢……。俺のこともリオンと呼んで下さい!」
『勝った!』とリオン。『調子に乗るなよ!』とセバスチャン。
「じゃ、僕も名前で呼ばせてもらおう」
ひょいと卓上の菓子をつまみながら、男が言った。突然沸いた存在に、3人の視線が集まる。
「……ソーンリー様、ご用は何でしょうか?」
「まあ、そんな邪険にしないでよ。姿を見掛けたから、声かけたんだ」
「そうですか。ごきげんよう、ソーンリー様。そしてさようなら、ソーンリー様」
「まあまあ。一応用ならあるんだよ、アンジェリカ君」
胡乱な目つきで、アンジェリカはエルドレッドを見る。その視線を平然とエルドレッドは受け止めた。
「アンジェリカ君、きみ、生徒会に入らないかい?」
「お断り申し上げますわ」
「即答!?もう少し検討してみてよ」
「お断り申し上げますわ」
「頼むよ、従兄妹のお願いだよ?」
「お断り申し上げますわ」
ソーンリーのお願いを承知するつもりは全く無い。
だが、この男、いま何と言った?
ーー従兄妹、と言ったのか……?
アンジェリカが軽く目を見張ると、苦笑いを浮かべてエルドレッドは言った。
「ーー知らなかった?」
「そうですね。存じ上げませんでしたわ」
そして、興味もない。
「でも、動揺しないんだね。ふぅん。その肝の据わり方は、生徒会に向いているよ」
「お断り申し上げますわ」
アンジェリカはにべも無い。
「あのね、ここらで妥協しておいた方が良いと思うよ。これ以上断ると、魔王が出て来るんだよ」
「それは誰のことかな?エル」
今日は日差しが強かったのに、急に温度が下がった。ーーように3人は思った。
ーー出た、完璧王子!
背後に闇を背負っているとしか思えないほどの重力。そんな恐ろしい王子なのに、取り巻きは多い。
王子の登場に一番動揺したのは、セバスチャンだった。
ーー気配を感じなかった…
なるほど、お嬢様が裸足で逃げ出すと言うはずだ。まだ17歳でこれほどの老練さ。一体、どんな人生を送ってきたのか。
「…ごきげんよう、殿下」
「…こんにちは、殿下」
下級生らしく、アンジェリカとリオンが挨拶する。氷の微笑をたたえ、アレクサンドルはそれを受けた。
「エルから聞いたと思うけれど、君に是非生徒会に入って欲しいんだ」
「申し訳ございません。私には荷が勝ちすぎますわ」
「学年首席の君に荷が重いなら、誰も出来ないだろうね」
微笑むだけで、人をヒンヤリさせる。恐ろしい才能だ。
ーーやっぱり、首席なんて取るのではなかったですわね…
手っ取り早くオーラを確認するため、安易な方法をとってしまった。その代わり、ヤードリーをあぶり出した。一勝一敗である。
「こういったことには、向き不向きがごさいましょう」
「君は万能選手だろう。入ってくれるとありがたいのだが」
どうだろう、と完璧王子が告げる。ほとんど脅しにしか聞こえない。
「まあ、なんて無礼な娘でしょう!」
甲高い声で割って入ってきたのは……
「…どなたかしら?」
「なっ!わ、わ、私を知らないなんて!」
カッと赤ら顔で憤るお嬢さん。有名らしいが、アンジェリカには分からない。
「ソーンヒル家には、常識がないようですわね。私はミリアム・ソーントン。ソーントン公爵家の長女ですわ」
「ソーントン様…?私のクラスではない気がするのですが…」
ミリアムは、再び顔を赤らめる。痛い所をつかれたのだ。ミリアムはアンジェリカと同級だが、Aクラスであった。
「殿下のお誘いをお断りするなんて、なんて恥知らずなのでしょう。殿下、もうソーンヒル様なんて放っておきましょう?」
「ソーンヒル嬢」
ギクリとして、アンジェリカが魔王を見つめた。相変わらず、この世の全ての色を混ぜ合わせた、恐ろしいまでの灰色である。
「よぅく、考えておいてくれ」
「ーーっっ!」
悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい。
アンジェリカは、失礼いたしますわ!と言って、物理的に逃げ出した。本気で。
「……よっぽど、怖かったんだね……」
ポソリとこぼしたエルドレッドの発言に、セバスチャンとリオンは心から同意した。