第11話
ガスコイン伯爵家は、中流の域を出ない貴族だった。
ガスコイン伯爵には、息子が三人いる。どの息子にも、突出した才能はなかった。華やかなイメージとは程遠い、真面目で勤勉が売りの貴族である。
長男は、王族三男の近衛兵隊に所属しているが、うだつの上がらない存在であった。
次男は、魔法省に所属し、事務員として日夜こき使われている存在であった。
リオンという名の三男は、兄二人と同じく突出した才能を見出せず、父母も特に期待した存在ではなかった。
『ガスコイン』という名を知る貴族は多くないが、『レクサム辺境伯』という名を、知らぬ貴族は少ないだろう。
平凡極まるガスコイン伯爵は、かの有名な英雄、ジャスティン・レクサム辺境伯の五男であった。その平凡さから、『レクサム』を名乗れず、小さなガスコイン領を踏襲したと言われている。
レクサム辺境伯の孫たちは、あまりに厳格なジャスティンが怖く、本宅へ寄りつかなかったが、リオンだけは厳粛で老獪なお祖父様が好きだった。
リオンは幼い頃、ジャスティンのもとに送られた。どういう経緯かわからないが、お祖父様に10歳頃引き取られて、本宅で成長した。
魔法を覚えたのも、剣術を習ったのも、貴族としてのマナーを教わったのも、お祖父様からだった。
ある日、リオンがジャスティンと街へ買い物に行ったときのことだった。すれ違った男を見て、リオンがジャスティンに耳打ちする。
『お祖父様、あの男、すっごく怒ってます。危険です』
『………何だと?』
ジャスティンが素早く振り返ると、男が魔法を暴発させる所だった。
『鎮静!』
ジャスティンが一瞬先に魔法を放つ。男の魔法はより大きな魔法に絡め取られ、暴発は未然に防げた。
その後、駆けつけた警備隊に男を引き渡し、ジャスティンは改めて孫に聞く。
『何故わかった?』
『彼の躰は、燃えるように熱かった。黒い熱、と僕は呼んでる。悪いことをする時の熱だった』
『………熱?別にあの男は体温が高かったわけではないが……』
『……お祖父様。僕は人に触れると、熱を感じます。その熱の種類で、その人が何を考えているのかが解ります』
お祖父様は違うのですか?との少年の問いに、ジャスティンは『違う』と答えた。ジャスティンは青ざめつつ、リオンの瞳を真っ直ぐに見つめて、厳かに言った。
『それは、お前だけの能力だ。誰にも知られてはいけない』
なぜ、と糺したかったが、ジャスティンのあまりに真剣な顔つきに、リオンはただ頷くだけだった。
16歳になり、リオンは聖アンドレア学園に入学することになる。入学登録の時、属性が検出されなかったため、配属がZクラスになった、とジャスティンに告げた。
『そうか』
『Zクラスは特殊なクラスだと、聞きました。平凡な俺が、何故特殊なのでしょう』
『お前を平凡だと思っている奴は、大した人間じゃない。お前を含めて』
ひどい言い草だ、とリオンは苦笑する。
『……例の能力のせいでしょうか』
『違う』
クラスなどどうでも良い。心身ともに、もっと鍛錬しろ、とジャスティンは厳しく言った。
学園の生活は、思ったほど悪くなかった。Zクラスは皆、互いを馬鹿にしたりしないから、居心地が良い。
初めて別のクラスと授業を受けたとき、雰囲気がこうも違うのかと驚いた。特にSクラスは高慢だった。上流貴族の令息令嬢ばかりで構成されている。
ーー負けたくない
とついムキになってしまった。顔も良く家柄も良い男どもに、一矢報いたい。結局、クラスは負けてしまったけれど。
『素晴らしいご活躍でしたわね』
絶世の美女が、誰かにそう話しかけた。美しい人は声も麗しい、とぼんやり考える。
『ーーえ?俺?』
なんと、美女は俺の前に立ち、俺を労ってくれていた。ーーこれって、何のご褒美だ?
俺を素敵だと言って、天使のように微笑む美女。これは、夢だ。美人局だ。騙されてはいけない、と己を戒めた。
なーんて言ってた自分があっさり手のひら返ししたのは、模擬舞踏会のエスコートに誘われた時だった。
ソーンヒル様は、本当に俺の好みのど真ん中で、そんな人に誘われて断れる男がいるだろうかーーいや、いない。(反語)
調子に乗って左手に口づけをする。卑怯だと解っているが、確認したかった。
ーーあ、れ?
ソーンヒル様に触れた熱は、体温以外読み取れない。ーーつまり、熱が透明なのだ。
俺を騙していない、と解っただけでも、俺は天にも昇るほど嬉しかった。
舞踏会を指折り数えて待っていた日々。とうとう本番が訪れた。
女神に少しでも釣り合うよう、ただ生えるに任せていたボサボサ髪を整える。身長だけは高い方なので、多少アレンジすれば、俺だって見映えが良くなるだろう。ーーそれは、女神に僅かでも男前だと思って欲しい、純な男心であった。
だが、女神は女神だった。
『ーーーーー!』
地上に住む女性の中で、彼女ほど美しい人がいるだろうかーーいや、いない。(反語)
エスコートする手が震える。やっぱり卑怯だけれど、『接触』の能力を発動する。
今日も、透明な熱であった。
ダンスフロアは、人でごった返していた。邪な熱が多そうなので、能力を閉ざす。
隣には、絶世の美女。勇気を振り絞って誘う。
『あの、ソーンヒル様。俺とダンスを踊ってくれませんか?』
『ええ、もちろん』
ニッコリ微笑む女神。もう、俺、死んでも良いかもしれない……。
幸せな時間は、3曲分だった。女神は皆の女神だ。俺は一旦ソーンヒル様と離れ、フロアの端に引っ込んだ。
ーーこんな幸せがあるなんて…
これまで頑張ってきて良かった、と心の底から思った。お祖父様の過酷すぎる試練も、このご褒美のためだったのだ。
『あ、と。失礼』
『………』
瞳の冥い男にぶつかった。不穏なものを感じ、とっさに能力を発動する。
ーー黒い熱……
今宵、ここで何をするつもりなのか。俺の幸せを妨げるなら、絶対に容赦しない。リオンはさり気なく小太りの男を監視した。
結果的に、あの太っちょを監視したことは、大成功であった。自分で自分を褒めてあげたい。
奴の黒い熱は、ソーンヒル様に向かっていたのだ。踊りながらソーンヒル様に近づいた所で、俺は防御魔法を発動した。太っちょを警戒していたから、とっさに出来た技だ。
ナイフが落ちた時、奴に対する憎悪が爆ぜた。さり気なく太っちょに電流を流す。
女神の無事を確かめると、ようやく安堵出来た。抱きしめた腕は、まだ離さなかった。
ーー柔らかい…良い匂い……
太っちょの犯した罪は腹立たしいものだったが、ちょっと役得だったとも思った。俺も、まだまだ尻が青い人間である。
俺の腕の中に守られている女神を眺めて、渇望する。
ーーこの人が欲しい
ソーンヒル様は、3家しかない公爵家のご令嬢。かたや俺は、中流貴族。普通に考えれば、全然釣り合わない。
だが。
ーーまともに考えなければ良い
手立てがないわけじゃない。女神を見つめ、俺はニッコリ微笑んだ。




